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旅先で読む一冊がほしい。

 京都に行った。
 たまの旅行みたいな書き方ですが、わりとよくでかける。
 昼間あちこち歩いたものだから、夜にホテルのベッドに寝転がり、本を読んでいたらいい時間になってしまった。本当は夜も歩いて見ておきたい場所があったのだけれど、仕事の合間であったり、仕事を持ったままの旅だったので、くたびれてしまった。

 にしても、旅行というのは素晴らしい。自分に必要なもの、どうでもいいものがわかる。
 旅の支度をあれこれしてみても、結局使わなかったもの、が多い。
 二泊三日くらいなら、服だって律儀に日数分揃えておかなくてもいい。ホテルで洗濯して一晩部屋干ししておけば乾いている。ほとんど近所の街歩きくらいの感覚で出かけている。強いて必要だと感じるのは、風呂で使うナイロンタオルだろうか。なんだかナイロンタオルでないと身体を洗った気になれないのだ。
 荷造りに慣れてくると、本当に「いる」ものがわかってくる。無駄なものを排除しろ、ミニマリストになれ、というわけではない。
 そもそも僕は、ミニマリストになりたいな、と常々思っている。実家がとにかくものがたくさんあって、なんだかいつも目に障り頭が散漫になるような家だったのです。
 なんで一人で暮らしていたとき、あんなに楽だったんだろう、と思うと、一人だから、ということ以上に、物が少ない暮らしをしていたからではないだろうか、と思う。ま、貧乏だったからってだけだ。
 べつにいらないな、というものがわかるのは、いいことだと思う。捨てようと思ったらきっぱり捨てられるし、必要でないけど手元に置いておきたいもの、は大事なものだ。
 むしろ大事だったり自分の好きなものしか置くべきではないのかもしれない。あ、これがこんまりさんの「ときめき」のジャッジみたいなものか。あれをするたび、頭が混乱してくるのだ。多分ときめきの感覚をつかめていないのか! そういう感覚を磨くの、大事。なんとなくかっこいいとかシンプルだから、ということで、ときめきを真剣に考えてこなかったのか。

 旅にいちおうキンドルを持っていくのだけれど、いろんな本(あれはデータ、と呼ぶのがただしいのだろうか)を持っていると、あちこち摘んでしまう。それはそれで楽しいのだけれど、狭いビジネスホテルの一室で寝転がりながら読むのなら、一冊の本を読み通したい、と思う。移動の途中とか、一休みした喫茶店とかで、ちょっとページをひらくような一冊。多分長いものでなく短いエッセイや短編があって、さっと読めるものがいい。
 誠光社で、堀部篤史さんの文集を買ったので、それをずっとだらだらと読んでいた。薄くて、適度に短いエッセイの収録された、小気味のいい本だった。その人なりの偏屈さやこだわりのある文章を読むのはいい。エッセイにあったブコウスキーや伊丹十三を久しぶりに読み返したくなった。

旅に持ってくる、荷物にならない一冊があるといいな、と思う。ハードカバーだとちと重い、文庫もいいけど、もう少しサイズがあってもいい。新書サイズで。でもべつにいかにも人生に役に立つ本なんて読みたくない。さりげなく人生を支えるような本がほしい。
 村上春樹のエッセイで、旅にチェーホフ全集を持っていく、みたいな話があった。なので個人全訳されたレイモンド・カーヴァー全集も同じサイズにした、と書かれていたような。そうそう、村上春樹翻訳ライブラリーくらいのサイズ感の一冊があったらいい。
 自分で作ろうかな。なんなら自費出版してもいい。
 身軽に旅行して、一冊だけ持ち歩く、おまけみたいな本。合間合間にちょっと読む、瞑想みたいな本。そういうものを持っているのはいいな。
 レイモンド・カーヴァーを次は持っていくか。
 いや、旅先の本屋でさっと見つけるのがベストかもしれない。
 なので、本屋をみつけると入ってしまう。そして出かける前に立てた予定を壊してしまう。

旅先でしか、きちんと「読む」ことができなくなっているような気がする。最近日常をいったん「離す」ことがうまくできない。集中力が足りなくなっているのかも。老化?

最後に、自分のなかのベストアンソロジーを作るってのは、小説読みの究極の夢かもですね。

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