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論語って面白い!

興味があって手を出してみたものの、見事に撃沈した本が何冊かある。そのひとつが『論語』だ。

初めて興味を持ったのは、20代の頃。同年代のサッカー選手の中田英寿さんが愛読書だと言っていて、そんなに面白いのかと思い手に取ってみた。しかし少し読んで、「まぁ言ってることはもっともだけど」くらいで読み終えることは出来なかった。その本が面白くなかったのかと、別の本も読んでみたがやはり読み終えられず、読みたいけど読めないものという分類に入れていた。

人間塾でいろいろな本を読む中で、「論語と算盤」や「論語の活学」など論語を扱った本があり、やはり論語を一度は学びたいと思っていたところ、同じ人間塾のメンバーが論語の読書会をしていると聞いた。

読書会へ行ってみると、面白い!!

論語を読まれた方はおわかりだと思うが、核心のみ書いてあるので、現代訳だけ読むと何故そんなことを言ったのかがわかりにくい章句が多いし、入り込めない。そこに挫折してしまっていた。読書会では、孔子が目指していた人物や弟子の性格、時代背景、そのころ重視されていた科目などを一緒に教えてもらえる。そうするとその頃の情景が浮かび、なぜそういう章句になっているかが少しだけわかる。孔子は三聖人と言われるくらいなので、堅物で真面目一徹の人だと思っていたが、人間味があり感性豊かな方だったことがわかり、親しみがわいてきた。また、主催の方が40冊以上の論語関係の本を読まれていて、その中から色々な方の解説をピックアップして説明してくれるので、とても理解が深まるし、先生によって解釈が異なるのも面白い。

2000年以上前に書かれたものとは思えないくらい、現代に通じることが多い。人としての真理みたいなものは永遠に変わらないのだろう。これだけ長い間読み続けられていたものだけに、学ぶところはとても多いと感じる。

もし、論語に少しでも興味を持ってもらえたなら、初めの1冊として『一億三千万人のための『論語』教室』高橋源一郎 をお勧めする。まだ読んでいる途中だが、高橋さんが孔子が言わんとすることを現代風にアレンジしてあるので、とても読みやすい。背景を理解していなくても、十分味わえる内容だ。

今回は、私が初めて読書会へ行った時に学んだ章句のひとつを紹介する。

『子曰わく、疏食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肘を曲げて之を枕とす。樂しみも亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し』
先師が言われた。「粗末な食物を食べ、冷水を飲み、肘を曲げて枕として寝るような貧乏生活の中にも楽しみはあるものだ。不義を行って財産や地位を得ても、自分においては浮雲のようなものだ(仮名論語)

良く誤解されているらしいが、孔子は富自体を否定しているわけではない。「義」のない富を否定しているだけだ。貧乏な生活をしていても、心の楽しみは失わない。逆に経済的に豊かでもそれが義を伴っておらず、心に楽しみもないのであればなんの意味があるというのか。

バンクシー展を見てから、消費について考えることがあり、豊かとは何なのか自問自答を続けている。少なくとも本当の豊かさとは富やモノに依存したものではないのだろう。

富や地位、名誉に依存しない楽しみを持っているか。森信三先生の言葉で「一切の悩みは比較から生ず」というものがある。比較するからこそ、富や地位、名誉にこだわるのだ。世間の価値観に沿って、自分の生活がどうであるか判断するのだ。比較ではなく、自分は本当はどうしたいのか。本当の楽しみとは何なのか。これからの時代、益々問われてくることだと思う。

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