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私の廃業記録

雇用を守ることは経営者の大事な役目ではありますが、それは事業を成長させ、健全な経営があってのことです。経営者本人の努力はもちろん必要ですが、社内外の環境の変化やその他条件によって自力での事業継続が難しい場合もあるでしょう。昨今、M&A(企業・事業の売却)が盛んになっていますが、必ずしも売却できる事業ばかりではありません。その中で事業廃止という選択もあるはずです。経営者にとって事業をストップさせ、従業員を解雇することは苦渋の決断ですが、それは否定されるものではなく、今ある資産と社員の未来を守る大切な選択肢の一つだと思います。

名古屋で67年続いた工具メーカーが主幹事業である工具事業を廃止し、2021年12月31日付けで(経理一人を除く)全社員を解雇しました。
この決断と事業廃止の準備期間を含めた4ヵ月は、おそらく一生に一度の経験で、それを終え今感じていることが風化しないうちに書き留めておきたいと思います。また、事業の継続でも売却でもなく、この「廃止」の経緯が他の経営者の方への参考になれば幸いです。

事業廃止の決断

弊社は創業67年、従業員13名、工業用工具を作ってきた名古屋の製造業です。土地柄、自動車部品関連の会社に製品を多く納入していました。2019年に三代目となる私に事業継承をしています。
業績は社内外の要因により売上は徐々に下がりつつあり、経費削減などで収支を出しているの状態でした。ただ、経営上の数字、バランスシートは決して悪くなく、私が継承してから銀行の融資についていた個人保証と担保は全て外すことができていました。

中小企業によくあることかもしれませんが、売上・利益以上に会社の存続自体を脅かすいくつかのリスクを抱えていることがあります。(詳細な説明は割愛しますが、)例えば一つの顧客に多くの利益が偏っていたり、一人の社員が多くの利益を生み出していたり、機械や工場の老朽化などです。そして、そのリスクが表面化した場合、会社は大きく傾き、存続が危ぶまれます。私としてはそれを回避するためにあらゆる試みをしてきましたが、実を結ばずこれ以上打つ手がない状態でした。

新たな事業の可能性を追い会社を存続させるべきか、一旦事業も社員も区切るべきか。そのことを悩み、多くの知人、友人に相談しました。返ってきたほとんどの回答は「まだ決断の時期ではない」「耐えるべきだ」「新しい事業にチャレンジしてみろ」というものでした。確かに、決算書を見ればそのように思えます。そして、どの経営書、経営者の書籍を読んでも、会社が潰れそうになっても耐えて、大きく成長したことが書かれています。

しかし、会社が潰れそうになったときにはもう遅く、もし事業廃止の決断をするのであれば会社が傾く前にすべきだというのが私の考えです。経営者として一番避けねばならないのは倒産で、その時の社員や顧客、関係各社、家族への負担は計り知れません。

過去の決算書ではなく、リスクが表面化した場合の数字を計算してみると、事業廃止は現実的でした。また、直感的に事業を廃止し、社員を解雇すべきではないかと考えている自分がいました。それは、これまで会社が抱えるリスクと真剣に向き合い、それを回避するための考え得る全ての試みをして、その結果を直に受け取ってきたのが他の誰でもない自分だけだったからです。

私は心が乱れたり、判断がどうしてもできないときによく訪れる場所があります。福井県にある永平寺です。名古屋から片道3時間。永平寺の参拝を通して、心を落ち着かせて、私は事業廃止を決断しました。

準備期間

事業廃止において、どのようなスケジュールでいくか?退職金や必要なお金はどれくらいかかるか?最悪のケースはどういうもので、それに対してどのような対応策をたてるか?これを経験をした知人がいなかったので、自分で考え、動き、準備していくしかありませんでした。その過程で、弁護士、税理士、社労士、元銀行員の友人・・・これまでの人脈やそこからの紹介、頼れる人には躊躇なく相談しに行きました。

その一方で、この準備期間が精神的に最も辛い時期の一つでした。社員と自分の未来への不安は常にあり、さらに、会社にいれば、一生懸命働き、いつも私の指示を優先してくれる社員を目の前に、彼らの解雇を準備することは言葉では表せない苦しさがありました。社員の夢をよく見たのもこの時期です。

そんな時に支えになってくれたものが二つあります。
一つは、家族の存在です。この決断を最初に話したのは妻でしたが、未来に対する不安を一言も口にせず賛同し、私の迷いや悩みの聞き役になってくれました。また、前社長である父、母、祖母も全面的に協力してくれました。一番近くにいる人が最大の理解者であることがどれほどありがたいことか。今回の件は、家族なしではあり得なかったと思います。
もう一つは、毎朝のランニングです。6年前から天候や体調に関わらず毎朝ランニングをすることを日課にしてます。前日までのいいことも、悪いことも、朝は頭の中がクールダウンされた状態になり、体を動かすことで前向きになれるこの時間が今回私を助けてくれました。迷いや混乱があるときはとにかく早く寝て、朝を迎えるようにしています。


事業廃止を社員に通知する直前に行った新潟出張の朝、信濃川を走りながらこんなことを思いました。

「今回の件で、私の財産がなくなっても、ストレスでおかしくなっても、その結果命を落としても、最後まで残ってくれる社員が損することなく、何かを渡せるのであればそれでいいじゃないか」

そう思うと少し心は軽くなりました。

事業廃止通知

準備期間中、お客さんからの見積り依頼を全て保留にしていたため、外部からも不信感をもたれ始めました。私としてもできる準備をして、いろいろなケースとその対応策も考え抜き、いよいよ事業廃止を公にする日が来ました。

一番はじめに伝えるべきはやはり社員です。

我々は専門工具を作っている関係上、明日から受注・納入をストップすることは許されません。他社への工具切り替えは少なくとも数ヶ月は要し、その間は供給責任が発生します。そして、その責任は製造業である以上、社員がいなければ果たすことができません。今回の決断の最大のポイントは、社員が私を受け入れてくれるかどうかでした。

社員への事業廃止通知、これはつまり解雇通知を意味します。勤続年数が15年、20年が多い社員は、弊社にとって単に労働力を提供して、その対価として給料を支払うという関係だけではありません。人生の多くの時間を一緒に過ごした家族に近い存在でもあります。

いつ、どこで、どうやって、どういう言葉で、誰から伝えるべきか?考えたらきりがありません。

会社には主要メンバーが4人います。まず、会社とは少し離れた会議室を借りて、夕方から夜にかけてその4人に一人ずつ退職金の提示も含めて事業廃止の話をしました。その4人の誰もが寝耳に水で、ただただ驚き、頭は真っ白という状態でした。

このとき私は「こんなことは人生に一回だけにさせてほしい」と強く思ったことは覚えているのですが、それ以外はあまり記憶にありません。極限の状態で記憶が飛んでしまったのです。

主要メンバーの4人に最初に話をしたのは彼らに少しでも心の準備をしてもらいたかったからです。もし私の決断を受け入れてもらえなかった場合、会社は機能不全に陥ります。ただ、その一方でタイミングを置かず全社員に同じことを伝える必要がありました。主要メンバーの4人からこの話が他の社員やお客さんに伝わるのは好ましくありません。私の決断は、間違いのないように、私がしっかりと自分の言葉で伝える必要があります。

次の日の朝礼時に全社員を集めて事業廃止を通知をし、その後個々に退職金の提示もしました。

9月28日のことです。

この日は誰も仕事が手につかなかったはずです。

あたりまえです。

しかし、その日の退勤時には社員同士談笑して、いつも通りわたしのもとに「おつかれさまでした。お先に失礼します。」と言ってくれるのでした。

正直、このときほど社員に対してありがたいと思ったことはありません。

本当に、強く、そして優しい社員に私は恵まれていたのです。

その後、顧客、銀行、仕入先の順に通知をしていきました。

印象的だったことは、取引量に関わらず、中小企業(従業員50人より少ないくらい)の経営者はすぐに私の決断を理解をしてくれました。それは恐らく、経営者自身が事業廃止というボタンをいつももっているからだと思います。

取引契約について

取引における契約書について少し書きたいと思います。企業間の取引は契約書があるのが普通ですが、弊社のように社歴が長く昔からの取引先は契約書がないことも多々あり、その場合はその都度の注文書が法的な効力をもつことになります。
今回、いろいろ調べてわかったことは、自動車部品、航空機などを作っている大手上場企業との取引ですら契約書上で解除の事前通知期間が定められていないのです。つまり、法的にはいつ受注をストップしても問題ないことになります(信義則といって、常識的な期間というのは必要ではありますが)。

大手メーカーが突然下請け部品メーカーに来月からの発注をとめ、町工場の経営者は途方に暮れるというシーンをテレビでたまに見かけますが、そんなことができるのはこの契約書のためでしょうか。今回の弊社の事業廃止はこの逆のパターンといっても過言ではありません。もちろん、弊社としては悪意はなく、お客さんのために最大限できることはするつもりでしたが、一方で自動車業界で納期督促時によく言われる「ラインが止まる」、つまりサプライチェーンを守るためには、まず企業間の売買契約書をしっかり見直す必要があると思います。健全な取引のためにも。

お金の重要性

私としては考え得る全ての準備をしてのぞんだ事業廃止でしたが、予想外の出来事も起こりました。その一つがお金の支払いに関わることです。

人の噂というのは怖いもので、外部への通知から一週間がたったころからこんな噂が業界内では流れていたようです。

「数十億の負債をかかえて倒産したんだって」

一体、どこからそんな金額がでてきたかわかりませし、今回は倒産ではなく計画的な事業廃止であり全くの事実無根です。

しかし、そのせいもあって、仕入先からは既に振り出している手形の支払いを迫られました。そんなに信用できないなら手形を割り引いて現金化することを勧めましたが、それも相手としては納得できないようでした。

また、銀行とはこんなことがありました。会社としては先の支払いのもあり、定期預金を解約する必要があったのですが、それがストップされたのです。もちろん担保にも入っていない定期預金です。一番うちの資産状況を知っていて、融資の返済能力が十分にあることがわかっているのが銀行です。最終的には、各方面に数ヶ月先の会社の資金繰り表や生命保険の証書などを見せて納得してもらいましたが、一度信用が揺らぐとお金の話に直結することを肌で感じ、お金は全てではないものの、必ずないといけないものだと改めて痛感しました。

でも、お金以上の何か

解雇通知から3ヶ月間、誰も辞めることなく、一部の社員は受注にこたえるため残業もしてくれました。

社員を支えているのは何だったのでしょうか?

9月末の事業廃止通知の段階で個々に退職金の話をし、12月末には全員にそれよりも増額した金額を提示することができましたが、そこではなく、、本当のところは私にはわかりませんが、社員を支えてきたのは、何か他のもの、もしかしたらそれは会社が67年間積み上げてきた社員同士の、また経営者と従業員との信頼だったのかもしれません。

そして、最終日、私が社員の前で最後の挨拶をした後、一人一人が晴れやかな顔をして「お世話になりました」と言いに来てくれました。

この時、私は全てが報われた思いでした。

よい社員がいた、よい会社でした。

その会社が必要に迫られてではなく、自分の意思で事業を終えることができ、これでよかったと思います。

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