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日本の写真文化の立ち位置と、今後の私の取り組みの方針

年が明けましたが、ただ、自然を計算できないことを思い知らされる年初となりました。被災された方々への心よりお見舞い申し上げます。
また、この島はそういう地域なのだと再確認し、人間の及ばざる力学で世の中は動いているのだと痛切に感じます。

ところでこの数年の間に聞いたのですが(都合、二人から一度ずつ、別の時に、別の場所で)、日本の写真の動向についての調査をアメリカは実施しているようだという事。それはアメリカの主軸文化産業である写真が、世界のどこにどの程度効果をもたらしているか検証する必要があるという事だというわけだ。ヨーロッパはアメリカが建国当初の時期には絵画分野・造形分野が主軸だっただろうけれど、新しい国だったアメリカは、新しい技術だった「写真」に、その文化的な軸足を置いたため、という論だ。もう少し言えば、新しい国だったアメリカには欧州に対しての文化的な対抗軸がなけれっば、対等に扱われることがないのだと理解していたのだろうと推測する。

ですから、海外のマーケットが日本の写真を大量に購入する(した)というのは、採用した自国文化の機軸である「写真文化」の影響度の測定でもあったという事のようだ。
その文脈で仮説的に見るならば、日本独自の写真表現というのも、そこに回収されていっているのだろうと、割と理解ができる。

日本は国土的にも文化的にも良い意味でパッケージ化されているので、その中でどのような写真文化が生まれたり変化していったのか?というのは、新興国だったアメリカの文化機軸の構築に必要な検証項目だったのだろうと推測できる。その辺りの日本の写真の独自性というのが、コンポラであったり、森山さんのあたりだったり、中平卓馬だったりという事ではないか。

まず、このような話は、美大の学生が最初に学ぶような地点であろうから、その文脈のテーブルにアプローチし、そして東アジア的な見地(文化・思想・宗教性)から、如何に作品をまとめていくか?という取り組みの最初の年にするという意思を開示しておくのが私の今年の最初の一歩という事です。

正月終わり頃に50歳になりますが、その世代に育ったものが持つ特有のハングリーさで、世界を追走し追い越していき、新しい価値の提示をしていくのが東アジア圏の写真を含めたアートする人間の、ある種の仕事であろうと考えています。
今までの私の取り組みは「モチーフ」の収集・管理・試験段階で、あくまで「写真文化」のカテゴリでの、一部の取り組みだったと整理ができました。


この数年の世界をインフォメーションレベルで見ていても、明らかなのは「現行の世界規範/文化・宗教的」をリードしている、欧米中心の手法ではすで閉塞的な状況は打開できない事は明らかなのですから。
そこについて、写真をするもの、表現をするものが、日本の従来の路線の延長線上であっても、それが既定路線の行き止まりが確認されている状況ならば、そこに何年も鎮座していては、化石になるのを座して待つような事だと昨年までで、よく理解できたというべきなのかもしれません。

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