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交流サイト(SNS)は人がもともと持っている偏見や思想を先鋭化させることはできる。

(軍事研究家・小泉悠氏)

ようやく、重い腰を上げて語ってくれましたね。

しかし、この言説自体ももう数段「ヒト」という「生命体群」の習性や特徴・性癖をつまびらかに解明して、その基盤を入れ込まなきゃならないのではないか?と感じています。

専門家という分野の壁が低くなってほかの専門分野と連動しつつあるから、このインタビューのようになってきたのだろうと思われるけれど、その潮流を加速したいものですね。専門家が専門分野だけで完結できるというのは「幻想」ですから。小泉氏もそのようなポイントで他の分野の研究を織り交ぜているようにも見えます。

だから、「リベラルアーツ」と云ったり「社会学」と云ったり「一般教養の再評価」のような、本来当然に存在していた「普遍的な価値基盤」を再認識する動きが活発化しているかもしれない。

僕の場合も、もれなく再確認としての「それらの再評価」と、一歩踏み込んだ「生命論としてのヒト」のような基盤を確認したいように考え始めています。今のところ、その有力な学者は「福岡伸一」氏の論になってきつつある。

そしていつも繰り返して書いているけれど、「価値観の更新」は「世界に展開」しなければ「存在していないように扱われる」のだから、声が大きいだけの勢力に駆逐されたり、例として国際的にみて「明らかに予算が数倍に至った東京オリンピック 2020」のような悪性にまみれた「ヒト」の習性に囚われて本来の物事の価値を大きく棄損するように、わざわざヒトの悪性に加担するような事態はさすがに止めてしまう動きに期待するところでもある。

もう、直近のイベントであったような愚行を繰り返すのは止めたいうちの「ひとり」として。※東京都知事選2024

冒頭に引用した「小泉氏」の発言の中でそれ以外の言葉は実はあまり響いてこなかった。※特に一番肝になる国に対する提言あたり・・・ですが、正直本当に小泉氏が云ったのか?とも思えるほどだね。
SNSの問題点のポイントは共感できる。以前僕はこのような「note」を残している。

SNSはほどほどに・・・・と言っても、「ヒト」にはそれができない。だから困っているのだ。

最後に、小泉氏がこの上段の引用記事で書いているのが印象的な一節。

【社会の中で対話ができなくなってしまう。認知領域戦の一番のキモは、話を通じなくさせることだと思う」】


この前、東京の選挙戦で見たままですね。