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【藩論】江戸・明治の弊害と現代日本の構造的閉鎖性を幕末に既に見抜かれていた事案について※2024年3月28日改訂

【藩論】(日本立憲政治思想の原点)の一部を分かりやすい明治の文体で書いたもの『ジャパン・クロニクル』明治四三年七月一五日と一六日(いずれも五頁に掲載)の二日にわたる連載)

「日本における立憲政治思想の原点 元鹿児島県知事、貴族院議員 千頭清臣」)と題されている史料より
千頭清臣氏については、こちら https://ja.wikipedia.org/wiki/千頭清臣

【一部抜粋】(門閥主義や世襲制についての記述)

一般的に、多くの封建藩主は婦人の閑居に産まれ育てられたものであり、彼らは、あたかも宝石や真珠の優美な装飾品のようにやさしく大事にされてきた。したがって、彼らは成人したときですら、なお、未熟な精神構造をなしており、また彼らは政務の詳細も覚えようとせず、国家の現状に接してその責任感を持とうともしない。彼らは労せずして、祖先の遺産を継承し、絢爛豪華な衣裳に身を包み、冬の寒い木枯しに身をさらすこともなければ、人々の飢えや寒さを知るわけでもない。彼らの左右には美しい衣装で身を包んだ正妻や側妾の美貌、彼らの耳にひびく音楽、さらには酒宴等は彼らの心に不満足な欲望を何一つ残さない。衰退の徴候が問違いなく始動している今日においてすら、彼らはなお残された快楽の追求に余念がない。抜け目なく彼らは永遠の若さを神々に祈り、不滅の恩恵を仙女に求める。この同じ範疇に、命を受けた家臣であっても名門の家柄に産まれた人々はこのたぐいに属する。藩主のみならず、そのような家臣もまた右に述べたとおりである。したがって、藩庁は無能な役人たちによって占められ、彼らの腐敗ぶりは、その無能さを阻止しようとするあらゆる試みをも制して横行する。事態がこのような状況にいたっては、国家の繁栄や富強の促進計画に彼らをしていかに関心をもたせ、またその計画をいかに遂行さすことができようか。

どこかの政治家たちとそっくりではないか?幕末・明治より悪化しているのではないか?

「国」という「仕組み」は「誰のためにどのような意義や実体」を持つべきか?政治屋が一番、理解しなくてはならないはずだ。いや「政治家」だね。
ただ「政治家」は、ほとんど見当たらない。パリピはいるけれど。


自らのステージに置き換えてみる。
【写真業界】というものが存在しているとすれば・・・・


写真業界というものがあるとすれば「根本的なこと」

日本には、写真についての「アートマーケット」が、中国、韓国、アメリカ、欧州、どこに比べても「ほぼ皆無」だ。(小規模なスタンドアロンに近いクラスが数カ所?ある程度)
日本で、写真家と云うときにそれは「フォトグラファーでもアーティストでも、芸術家でもない」、概ね「商業写真家」の事をさす。この辺りが日本の写真文化の衰退の本丸だと僕は考えている。(JPSなどは最早商業写真家の為の旧い組織だ)

なぜ?このように「写真業界」を引き合いにだしたか?

上述の【藩論】というものは、江戸・明治以来の社会構造が「半端に終わったうえ、封建制度と何が大きく変わったのか?」という、問いを残している。主権在民はどこにいったのか?個人主義はどこにいったのか?衆愚政治はなぜ常態化するのか?広く深く考察する事をなぜ止めるのか?または本来考えるという言葉をどう捉えているのか?
「ほぼ、間違いなく言えることは、江戸・明治以来核心的な部分に全くメスが入っていない社会を維持し続ける事に執着し続けたのが、現代日本だ」

そして、対象となる日本の「業界」は、ほぼすべての分野に拡がった。
写真界というものがあるとすれば、森山さん・中平さん以降、あゆみが止まっているのだ。もっと言えば「商業写真業界」だけが、写真の世界だという一般的な刷り込みが、写真でも世界にチャレンジする事を自ら阻害している。もう少しはっきり言おう。亡くなられた小澤征爾氏がどのような経緯を経て海外に出て行ったか?また、日本のオーケストラはなぜ彼を潰しにかかっていたのか?

現状に満足するのが早すぎるのだ。なぜ、この島国の中で閉じこもっているのだ?外の世界を見たくないのか?それは誰かがやってくれるからそこに群がっていればよいのか?「推し活」で満足か?自分の人生は誰のものだ?

考える事を止めた国

それは写真界にとって「ゆたかな環境ではない」と僕は考えている。
この島国だけが、表現の豊かさに対して「見て見ぬ振り」でやったきたのではないだろうか?
デジタルカメラが全盛になり始めた頃から「カメラメーカー主導」の写真文化利用が続き、カメラ雑誌は「新作デジタルカメラのスペックシート化」した。
その作例写真を採用する事で「このカメラでキレイな写真が撮れます」という、「写真」が「デジタルカメラメーカー」に従属する時代が加速してしまったからこそ、根本的に「写真」は衰退し続けているのではないか?と疑問を持って、この10年程度を見ながら感じている。あとはスマートフォンの存在を無視し過ぎていないか?生成AIも無視していないか?

転換点にある今「昔はこうだった」だけでは、誰も写真家にならないだろう。「昔はこうだった」という写真史や今までの経緯を踏まえて、次に一歩どうするか?なのではないのか?

いつでもそうだが、近視眼的な対応をし続けてきた日本経済界のツケというのは、どの業界にも見られるが、ここでは特に顕著だという事実は確認している。

最後に、今、常用漢字で「国」という漢字を書くと玉を守るように囲んでいるのがよく分かる。玉とは「能力と関係ない門閥的な権力者や既存の権威」の事だ。日本人はそういう権威を崇拝し、守ることには何の抵抗もない。

「クニ」Nationとは本来何を意味するのか?

しかし、この島国にも別の「国」の概念があった事を明示しておく。
国構えに「民」と示していた人物がいたのだ。「立正安国論」で有名な「日蓮」だ。現代日本において、その勢力はほぼ壊滅的に衆愚化したが、どこかに生き残りはいないものか?

いや、残念ながらいない。それが実際だ。

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