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写真家?だった僕が次にすべき価値観の更新について(構成途上の進捗)

これから先の事

昨年末あたりから、写真にいかに関わるか?
という考え方や態度、現代の世界情勢についてを交えて次のステージに向けた「価値観の再構成」をしている最中なのが「2024年」を中心とした、未来への僕の姿勢。

それは、その骨子が決まってこないと何も決まらないという事を自覚はしている。

そして、その骨子についてはまだ僕のなかでその要素が点在している、たとえるなら夜空に星座が見えるが「星座」は人間の意図した配置で、価値を定義しているが、実際の個々の恒星の動作は人間のコントロール下にはない。ということに近いかもしれない。

オリオン座のベテルギウスと、リゲルと三兄弟(アルニタク・アルニラム・ミンタカ)にしてもいい韻を踏んだ例示になるようにも思う。
つまり、地球から見える恒星は、今の科学で考察される範囲では「光年という単位で、まったく別の距離に存在している」という状況だろう。それは我々の解釈で一「面上」で一体化したものとして認識されているに過ぎない。
僕は写真を扱い、次の何かの価値観を更新に携わる際にも同じように「脳内」に距離感が異なる事案や要素が点在して、結合・接続していないという状況が今日現在のあたり。

半年やそこらで、できたらいいんだけれど天才でもないからね。(笑)

そんな経緯の中で、まったく形も姿も見えていないわけでもなく、最初のとりかかりとしてようやく「着手できた」つまり「最初の点」を描写できた。というあたりの事をこの辺りで確定しておきたい。その後は流動的なのは変わりがない。

「写真」※デジタルイメージファイル
この扱いについては、それ自体が目的化してきたのが昨年までだったけれど、「モチーフ」として活用することを一応の決定とした。

「写真家」※解釈の曖昧さが多い単語
写真家という立場に元来僕はあまり執着がない。それよりかは「写真をするひと」という位置づけで写真を扱ってきた。つまり写真が有効な手段であることは理解してきたつもりだし、それが強みとなり社会の構造の解析に有効な役割を持っている事を理解している事は変わらない。それはフィールドワークとしてかなり効果的で手放せないという意味でもある。
これと、現状の目指す「価値体系の更新」に伴い僕は写真家ではなくなった。「カメラマン」として何かに参画することがあるけれど、その本質的な意味は変わらない。

では「何に価値を置くのか?」
おそらく「活動家」「思想家」的な意味合いの行動に変化するのが最も素直な言い回しになると思う。

・地球環境の悪化(半ば科学的で半ば未定稿の現象)
・民主主義の寿命
(都知事選は決め手となった)と限界
・人類至上主義の限界(動物へ対する態度、植物のとらえ方;「種」の人工的改変や、サーカスに見られる前時代的習慣の継続;動物園もしかり)
・経済効率の悪用(AIの最適な利用が見込まれない;参照としてのブレードランナー2049※初期のブレードランナーはあまりに娯楽によりすぎである)
・政治の機能不全(組織化・衆愚化)と経済性の結託的な融合による階層化の拡大、不健全なメディアとその黒子の存在。元首相の事件に見られる「パンドラの箱」たる隠ぺいされた事実について

背景には、少なくとも数秒で出てきた要素だけでネガティブ要因がこれだけある。何れも「緊急性」を要する項目ばかり。
そこから枝分かれしていく項目はさらに多すぎるくらいだ。

そのような時代性を勘案して自らの使える無形の資源を再確認する作業を継続中でもある。
そして、来年か再来年か「予定は未定」でもあるけれど、ある種の異分野との接触や情報収集を試みながら、現代社会への有効性のある働きをしたいと考えている。

「なるようになる」と考えられるタイプでもないので、中身のある自分なりの価値基準の更新をして、実行していきたい。

※ついては、写真家登録サイトの多くからその「写真家」たる看板的な「単語」を消し込んでいるところ。実績や履歴についてはこの今日の時点に至るものなので、残してもいいと考えている。

2024.07.11 喜多研一

【追記:憲法違反の疑いのある政府のマイナンバーカード施策について:政治の機能不全に関する一要素:人権侵害の例示】

2024.07.12 追加「弁護士JP」より
【憲法の面からの違憲性を見逃せない】