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写真の撮影態度について

さて、世の中はゴールデンウィークの挟間の数日だが、それより僕が気になるのは天候だ。
単純に、「曇り」「薄曇り」「小雨」あたりの天気ならば、最高に良い。

それぞれの人によって写真作品へのアプローチは異なるというのは、ある程度写真を観たり、撮ったりしながらそれを重ねて数年もあれば「撮影への態度」にある程度の柱ができてくるのだろうと、他の方の作品を見ても自分の撮影への態度を見ても大抵合点がいくものになる。

僕の撮影での態度は次の数点だ。
そしてその前提は都市のランドスケープ撮影を前提としている。


1.天候は曇り・薄曇り・小雨(冒頭に書いた通り)
2.固定焦点距離のコンデジ一台(21mmくらい)
3.マインドセットをどこまで「人類」から「動物的」にできるか?
4.東京という世界に通用する名前を持つ都市を対象とする(東京23区)
5.徒歩が大前提(スタート地点までは公共交通機関を使う)


大まかに言えば、この程度だ。
「1」の意味を考えるのは撮影開始から(6~7年前に開始のPJ)、1年半程度で気付いたのだけれど、このポイント!という場面をデジタルカメラで撮影するには、晴れの日の明暗のコントラストはハイライトとシャドウを潰してしまうので、フラットに、またはニュートラルに土地に対する事ができないのだ。だから晴れでの撮影はNGとなる。もちろん、これは僕のスタンスなので全く別の視点のPJをしている方には適用されない事だろう。(この後の記述も同じ事だろうと思う)

「2」はもっと分かりやすいと云える。ズームレンズを使用すると、被写体となる景観への距離感と実距離によって見える土地の高低差や視覚がかなりバラつきを持ったものになる。被写体に近づけば、その背景に見えていた「何か」は視野角の関係で視界から埋没するし、そこでズームレンズで遠くから捉えると明らかに「別の空気感」のひとコマになってしまう。それは単写真を前提にしていれば気にしないものだけれど、組み写真やそもそも、それ以外のモチーフとして使用を考えた時に僕には受け入れがたい、違和感となる。21mmという画角はこのPJを7年やっている間に明確に収れんされてきたものだ。ですから作家としての撮影をすればするほど、ズームレンズとは縁が遠くなる。クライアントワークの際にそれが登場するので所有して使用する事もあるが、それはあくまでクライアントワークの時だ。


「3」は、重要な僕の姿勢だ。一応表面的に書かないと本質的なものは伝わらない事をある程度理解しているので、その前提で書いてみる。
例えば、どこそこの駅前から歩きだす。その前に自分が人間である事をどこまで拒否できるか?というマインドセット(例えば自己暗示に近い:僕はこの街の野良犬だ、とか、ひとによってはただ歩く探査機だなどと云う方もいる)をする。なぜか?その人の本然的に反応する場面を「視覚」だけでとらえるのだけでなく、「徒歩」+「無自覚」の要素にしていっても、そこに立ち止まった。。。という場面で撮影をする。あとは撮った事自体も忘れてさっさとまた歩き始める。
つまり、僕のスタイルでは「人間的な情緒や意図的な被写体選択は作品を阻害する」という認識なのだ。結果、撮影後の作品に「ストーリー性」も不要だ。というかあっては困るのだ。それが僕の日常の撮影スタイルだ。(しつこいようだけれど、クライアントワークで撮影するときにはストーリー性は必須だ)
撮影は、どこまでも「無意識」にしないと「本来の喜多研一のルーツに迫る場面を多く取りこぼす」という言ったらよいかもしれない。

「4」については、撮影された写真が語っているから割愛する。
「5」については、「3」に付随する要件なので、発明された自動車や人工的な態度に引き寄せを起こすものから、距離を置くという姿勢でもある。

大雑把に、このように僕の撮影態度は決まってきている。このスタイルになるまで、2年程度はかかったと思う。
そういう意味で、僕の参考になったのは「ベッヒャー」の「給水塔」と云えるがそれもあくまで「結果表現として」近いかもしれないというだけで、彼らは構図については徹底的に狙ったものだからそこは僕と異なる。構図にすら人為的な要素が多すぎると本然的に作者が持っている反応の仕方を阻害すると感じている。
「ストーリ性が不要」という事と、「曇り」での撮影の2点はある程度似ているかもしれない。カラーにこだわるのは単純にモノクロの表現を前提にした事がまだないという事。またこのPJには「カラーであり且つ、可視光線であるどの色もすべて直接撮りきる事のできるイメージセンサーが必要だからだ」それがあるのは「フィルム」か「SIGMA社のFoveon」かの二択だ。
「dp0 Quattro」というコンデジはそれをまかなうのにちょうど良いのだ。使いにくいという評が多いが、僕の場合は「必須」の要件が「Foveonイメージセンサー」であるなら、他は自分がその機材に合わせるだけだ。

今回は、自らの撮影に対する態度を整理してみたのだけれど、撮影に対する態度なので「後処理」のアプローチは一様ではなくなると考えている。なので仕上げ処理から、今後の展示方針やモチーフとしての写真の扱いについて、今までの定形的な方式を含んでも、それだけで展示を実施する可能性は低いのが現在考えているところでもある。

予算や会場の問題より、プランニングの部分について今まで通りにする予定がない。という事でもある。道半ばの話でもある。実際に目指している事案は書くのは時期尚早だと思う。また、新しい発想を実現するには、今までの価値観からある程度外れていくのは致し方ないことだろうと、この辺りは覚悟を決めてしまったからね。

冒頭の写真は「4m×2m」の写真プリント、実際はB0サイズのプリントを繋ぎ合わせて、繋ぎ目がほとんど分からないように設営したもの。

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