独裁者の統治する海辺の町にて(25)
士郎が論文で否定していた「原始共産制」は、簡単に言えば生産従事者の生産従事者による生産従事者のための無階級社会ということになるが、そこには常に指導組織として「党」が君臨するわけだから、党がそれを理想とすることはもちろん自己撞着になる。まあそんなことは普通の知能があれば誰でも分かることだが、党の理念となっているからには何人も批判できない。ばかげたことだって分かっていながら従わなければならないことほどムカつくことはない。だがだ。そんなバカなことがあるか、なんて恐ろしくて誰も言えない。そして、何度も唱えられ、学校でも教え込まれたりするうちに、あたかも存在しうるものとして頭にすり込まれるってことになる。そうなるとと陰口も絶滅しちまうのさ。嗤えるだろう。話が少し脱線しかけているようだ、話を戻そう。
士郎の論文は、文献や資料から「原始共産制」はかすかにごくわずかな期間において、しかも目的を共にする仲間レベルに存在の痕跡がある程度で、とうていそれは社会という範囲では世界中見渡しても存在しないということを論証していた。そして、その在りもしないものを在るように思い込ませるのが独裁政権の手口であると結論づけていた。要は、独裁する側にとって「原始共産制」でなくったってかまやしない。人民を統一するためのドグマになれば、それは「祖国」だろうが「民族」だろうが、「おとぎ話」だろうが、なんだってかまわないってわけさ。大事なのはそれが禁忌となり、犯したやつは集団から排除される。排除はこの党組織の場合は抹殺と同義である。士郎はそれをやらかしたってわけだ。もっとも、党の連中にとってはこの町のどこからでも見える教会は極めて不都合な存在だったから、士郎はそれがなくても粛正される運命にあったのだが・・・それにしても早すぎた。
8月1日は朝から暑く、おまけに雨を溜め込んだ雲が低く垂れ込めていた。その日、町立の体育館で行われた月例の党大会に士郎は呼び出された。参加した党員は百人程であったが、そいつらが椅子に座ると、狭い館内は暑さと湿気でむせかえるようになった。右手に居並んだ来賓の町長や議員連中はエアコンを設置してなかったことを悔やんでいるにちがいない、額や首筋の汗を世話係が持ってきた安っぽいタオルで拭っていた。壇上の右奥には平良主席と九鬼書記長が並んで座っていた。彼らが順番に簡単な訓示を交えた挨拶をし、その後、どうでもいい形式的な活動報告と月当番幹事の活動目標が読み上げられると党員が一斉に立ち上がり、毎度おなじみの反吐が出るような拍手。いつもはこれでおわりだが、今回は士郎の糾弾が待っていた。
来賓が係に促され退場した後、空いた来賓席には主席と書記長が鎮座ましました。書記長の九鬼は精悍で汗一つ掻いていないようだった。それに比して平良主席はでっぷりと太っていて夏用の人民服の胸のあたりまで汗がにじんでいた。この脂肪の塊にナイフを刺し込んでも心臓に達しそうもない。首を狙うか・・・おれはそんなまんざら嘘ではない妄想で気を紛らわした。
さて次は簡易法廷の設置だ。おれは椅子を運びながら、前の入り口に突っ立っている士郎をチラリと見たが、やつはおれの方には一瞥もくれず、ただ天井の、いやそれをつき抜けて天の一点を見つめているようだった。それは静かに運命を待つ殉教者のようにおれには見えた。体育館のパイプ椅子は被告席として中央に一脚を残し、他のすべて撤去された。そしてその椅子の前の方にそれと対峙するように司会台が移動された。審問官用になるわけだが、なんの皮肉か、それは登坂父子が使っていた教会の木製の説教台に似ていた。午前10時、士郎に対する審問がこのようにして始まった。
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