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ツルじゃないよな恐竜だよな、これは洗脳されていたのか

 最近できた店で美味しいプリンをいただきました。
とろける系のプリンで、美味しいのは美味しいのだけど、なんかプリンのクセに瓶に入ってて、ぜんぜんぷりんぷりんしてなくて、妻は「これめっちゃ美味しい!」て感動してたけど、私からしたら「柔らかくて甘味の強いクリームチーズやな」くらいの感じで、子供の頃に鍋で作ったハウスのプリンが一番うまいと思うのでした。

その、瓶入りとろける系プリンの蓋に被せてあった小さな紙で長女がツルを折ったのを見てふと考えたのです。

 「これってツルじゃないよなぁ、ずっとこれがツルって思ってたけど全然ツルの形してないよなぁ」
「この形に近いと言えば、そう、恐竜だ、なんちゃらドンっていう飛ぶ恐竜」

一度そう考えたらもう、そうとしか見えない、この形を見てツルと思うことが意味不明に思えてきました。

いったい世の中の人は皆これがツルに見えているのでしょうか?

私のなかでいったいいつからこれがツルだったのか、思い起こせば実物の鶴よりも先にこの折り鶴がツルだったのです。 

まだ物心つく前に折り鶴がツルとして普通に教えられていました。

幼い頃、なんの疑いもなく思い込まされていた事がこの歳になって突如として違うものに思えてくるとは、洗脳から覚めるというのはこういうことなのでしょうか。

まだこの先こうして気づくことがいろいろ出てくるのでしょうか?

真実を真実として捉えることができるようになるのでしょうか?

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