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母がガンになりまして。

昨年、母が肺がんと診断された。
現在、手術は成功して、抗がん剤治療をしている。

この字面だけだと、なんだかドラマのような話だなぁと個人的にもお思うけれど、これは私の現実である。

始まりは平和

私の母は、糖尿病、高血圧などの持病持ち。さらに、心臓付近の欠陥が悪く数年前にステントを入れる手術もしていて、飲まねばならない薬の種類も多い。新たな病気が見つかるのが嫌だからという理由で、病院に行かない病院嫌いでもある。
そんな母を理解してくれる若先生(近所のクリニックにいるかかりつけ医)が、年に一度だけだからと定期検診を受けるように勧めてくれ、それを渋々といった様子で受けていた。

昨年の夏ごろ、まだコロナ禍が今より猛威を奮っていたとき、「今年はコロナだし、健康診断どうしようかな」と溢していた母。若先生は、今回も7こういう時だからしっかりやっておきましょう」と諭してくれたようで、去年の秋に健康診断を受けた。

これが、始まりである。

私が仕事から帰ると、父が駆け寄って来て「ママ、ガンかもしれないって!」と大慌て。目の前に本人も居たしまだ疑いだったこともあって、父のいつものような大袈裟なやつね。ぐらいにしか考えておらず、聞く耳半分で楽観視していた。
母自身も「自覚症状全く無いんだよ、紹介状のために理由考えるの大変だった」と大事にしてないというのも相まって、宝くじが少額当たったぐらいの気持ちで「やったじゃん」などと軽口を叩き、父にちょっと怒られたりしていて。
以前、心臓付近の血管にステントいれた時は翌日には退院していたし、今回もまあそんな感じなんじゃないかと思っていたのだ。

でも、普通に考えたら、めちゃくちゃおかしい。
そもそも若先生が、“血液検査の結果、数値が変で、もしかしたらガンかもしれないから大きい病院、しかも呼吸器に行け”と、無理矢理に理由をつけたことが変である。私も若先生にお世話になっているけれど、当然、理由を無理につけるなんてことは一切しない。それだけ、緊急性が高かったと、この時に気づけば、もう少しほかの対処もあったかも知れない。実際は一緒なのかもしれないけれど。

検査、検査、検査、ガンほぼ確

母が若先生の診断書を持って大病院に行くと、呼吸器の先生も「またまた〜」みたいな雰囲気だったそう。でも若先生が言ってるから一応検査しよう、と一度目の検査を受けた。すると、電話がかかって来て、直ぐにいろいろな検査を始めたいと、週に1度、多い時は2度、病院に通うようになった。

私の知らぬ間に検査は続き、ほぼ1ヶ月半。いよいよ治療方針が決めようという日、さすがに私も話を聞こうと有給を取った。
診察室に両親と入ると、「心臓のステント用に飲んでる薬、やめても良いか検査しないとね」
と言われ、また検査へ。この時やったのが、治療前にがんの有無や広がり、他の臓器への転移がないかを調べたり、治療中の効果を判定したりするPET検査。さらに、薬を一途やめるために、心臓周辺の血管が耐えられるかどうかの検査もした。

後日、また有給を取って、診察室に伺うと、ほぼ確定だろうとお達しがあった。医者との話をつづけると、「細胞をとる検査していないから、確定はしないけど、ほぼガンで間違いないと思う」ということらしい。
さらに、PET検査の結果、その右下肺の近く、リンパの近くに転移しているときた。これが私を動揺させた。

なんであんたが貧血なんだ!

涙が出そうだった。今は笑ってないといけない、平然を装わなければ。そう思いつつ話を聞いていると、本当なら細胞組織をとって検査がいるが、もうこのタイミングでは手術した方がいいと。母は手術を即決した。泣きながら。
一緒にいた父が、唐突に「貧血になったみたいなので、退席したい」と言い出した。

お前がかよ!

きっと母もそう思っただろうけど、私の気が抜けた。きっと朝早く、何も食べずに家を出て、心身の疲労と重なってなんだろうと推測。先生からも、お母さんにおんぶにだっこだったのかな?とか言われてるし・・・やめてくれ!

とりあえず休憩という名のお昼を挟んで、病院に戻ると、結構な量の同意書にサインさせられた。一緒に説明を受けたとか、これから手術する癌について説明を受けて理解したとか。これからの話もあったので、何十枚も説明書を読み込んで、サイン、サイン、サイン。あと、コロナの話も説明を受けて。それから、肺のトレーニングについて説明を受けた。息で位置が上がる子どこものおもちゃみたいなものを見せられた。肺を柔らかくしておかないと、切断した後が大変だからと、毎日やるように説明を受ける。病院のコンビニでそれらをかっ買ってこの日は終了。先は長そうだ。

娘として、大人として

最後は少し端折りましたけど、まあこの日で思いっきり心が折れました。なんだか、疲れてしまった。
手術への不安、闘病生活への不安、母の方が強いだろうけど、私は母が目の前からいなくなる可能性に震えてしまった。他の家族のこともあって、もう辛さしかなかった。

結果的に手術は成功したし、今も安定して定期的に入退院している。けれど、私の心は折れたままだ。いい歳なのに、前を向くことの辛さを思い出してしまった。

そんな私は、これから会社を辞めようと、今月決心。これから上司に話をつける予定だ。
そんな私の日常を定期的に綴ろうと思います。

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