2023 11月下旬
最近のみちくん
最近のみちくんは常に3人一緒じゃなきゃ嫌みたいで、送迎の時はもちろん、寝る時は「とーちゃんも!」と言って手を引っ張って寝室へと連行してくる。みちくんを挟んで川の字で寝ていると、「みんなぎゅー!」と言って両サイドにいる我々をそれぞれの腕でガシっとホールドして抱きしめてくる。抱きしめながら「がしゃがしゃがしゃがしゃ」と言って、手をバタつかせる。それを見てアキナは毎回「なんじゃそりゃ」とツッコミ、みちくんが爆笑する。これが一連のお約束で、寝る前、多い時はこれを10回くらい繰り返す。儀式だ。
そして絵本を読む。『◯◯777シリーズ』の乗り物編、虫編、オールジャンル編の3冊をその日の気分で選んで読む。最近は虫編がお気に入りで、カブトムシの図を見ながら「卵からー、赤ちゃんが出てきてー、サナギになってー、羽化してー、大人になる!」というのを繰り返す。みちくんは「大人になる」を「おとなる!」と言う。寝るのは大体10時半頃だ。
かわいいだろう?笑
こども園に迎えに行くのが17時で、17時以降はこんな感じにずっとみちくんと寝る時間まで過ごす。だから日誌も書けないし、本も読めない。仕事的なことももちろんできない。できる人は寝かしつけてから起き出して何かをやるんだろうけど、もういいやと思った。「とーちゃんも!」と、全員一緒じゃないと嫌だと言う時期があと何ヶ月続くだろうかと少し先の未来から今を振り返った時、この時間を一番大事にしたほうが良いと思えた。
秋田料理と冬
11月17~19日まで、秋田に暮らす料理人、さおりんが汽水空港で毎日スペシャル機内食をふるまってくれた。毎日食べても体調が悪くならない外食が一番嬉しい。体調が悪くならないばかりか、元気になるような美味しいごはんだった。この3日間の晩ごはんは毎食さおりん機内食にした。秋田には「三五八(さごはち)」という米麹の調味料がある。カリカリに油で揚げて、野菜や豆腐に振りかけるだけで米が何杯でもいけるような美味しい調味料。
いでっぷの家ではきりたんぽ鍋が振る舞われて、その会にも参加した。身体が芯まで暖まるような郷土料理。秋田の冬は洗濯機が凍ったり、お風呂が凍ったりするような厳しさがあるとのことで、「そんなに寒くてどうやって人間は暮らしてるんだ?特に昔の古民家とか辛すぎるじゃん!」と聞くと、さおりんは「秋田の家はむっちゃ暖かかったんだよ。土間にも居間にもストーブ焚いて、常にお湯を沸かして、沸いたそばから湯たんぽつくって布団の中とかあらゆる場所を暖めてたから。」と言っていた。広い古民家の窓ガラスの内側が湯気で曇り、中にいる人たちはきりたんぽ鍋でぬくもり、寝る時も暖かな布団に潜り込む。そんな幸福の風景を話しを聞きながら頭に思い浮かべた。冬の時期になると流れるシチューのCMみたいな暖かさを日本の古民家に感じたのは初めてだったかもしれない。冬には冬の幸福があったんだろう。
でもそれも、「家族」の人数が多いからこそつくれる状況かもしれない。一人、二人でそれを毎日やるのはしんどい。
鳥取へ移り住んだ時、最初は五右衛門風呂の古民家に一人で暮らしていた。楽しめたのは三日間くらいで、次第に毎日風呂を焚くのが億劫になった。やがて冬がやってきて、毎日雨ばかりで温泉に行くのも自転車ではきつく、車もなく、家の中は寒く、金もなく、仕事もなく、友人も少なく、すぐに荒廃した暮らしになった。毎日「きちんと」した暮らしができない自分を責めてもいた。でも今なら分かる。古民家は一人で暮らすように設計されていないし、昔の人は大人数で暮らしていた。一人暮らしなら一人暮らしのやり方があったはずだ。そんなような暗黒な思い出がある為、ずっと古民家に対して「寒い、暗い、孤独」というイメージを抱いていた。さおりんの話しを聞いて、そのイメージがひっくり返った。というより、家の中は体内のようなもので、体内の菌が活発に働くことで肉体が暖まるように、家も内部に住まう人が活発に働かなければ生き生きとしないのだと思った。
今年は我が家もとうとう薪ストーブを導入する。お客さんの少ない冬の時期は営業日数を減らし、家で火を焚きながら室内でやれることをやる予定だ。書けていない文章の仕事、zineにしてみたい出来事、つくってみたい手作業のもの、チャイの練習、野草の勉強、裏山の整備、ターミナル2の開拓…。などなどをやる。年中晴れていたり、雪が降らなかったり、人口が一定数保たれているエリアでは年間通じて営業スタイルを変えなくてもいいのかもしれないが、ここでは同じようにしても無理がある。ということに店を8年やってようやく納得した。特に2月は雪かきをしても一人もお客さんがこないことや、暖房費が売上を上回るような日も多い。店にいながらやれることにも限りがあるし、だったら思い切って、2月は完全予約制にしてみようということで、次の2月からそうすることにした。先日、SNSでそのように報告したら、毎年恐怖と憂鬱でしかなかった本格的な冬の到来が少し楽しみになった。
僕は12年鳥取で暮らして、12回冬季鬱を経験している。人よりも心と身体が太陽を欲するように出来ているようで、分厚い雲に覆われた空の下ではたちまち元気を失う。外仕事をしようにも毎日雨で、身体の動きが制限されてしまう。そして元気ゲージが一定を下回ると、「今までおれが選んだ道、歩んだ道のり、人との接し方、全部間違えていた。」と考え始める。そして「来~世があ~る~さ~(明日があるさのメロディ)」と、崖から飛び降りようとし始める。本当に辛い。さらに辛いのは、このしんどさを共感する人がほとんど鳥取にいないことだ。僕と同じようにこの環境が苦手な人は、早々に県外へ移り住んでいるし、そもそも山陰に住むことを選んでいない。平気な人は、冬の山陰に全然太陽が出てないことにも気付いていない。「冬でも朝日浴びて散歩したらいい」とか言われるが、朝日出てないし、毎日雨で散歩できない。
と、山陰の冬の悪口なら幾らでも出てくるからそろそろやめよう。
こんなふうにして、毎年死にかけていて、本当に辛いから、最優先は心と身体の元気に定めることにした。心と身体が元気になるような楽しいこと、回復すること、暖まること、そうした物事を本気で探すことにした。多分、秋田ぐらい冬が厳しければ、冬の文化が鳥取にも育まれていた。暗く長い冬のフィンランドは暖かく過ごすためにサウナが広まり、室内で心地よく過ごすために家具のデザインが発達した。鳥取の冬は長すぎず、そして逃げようと思えば山を越えてすぐに晴れの国岡山まで行ける。仕事も、外仕事をしている人は県外へ出稼ぎをしてきた。だからあんまり冬を乗り切る知恵や工夫が必要とされてこなかった。僕は自営業で、店がある。そんなに長く留守にすることができない。だから、この立場を活かして『山陰の冬を最高の気持ちで過ごす方法』を研究、実践してzineにしようと思う。
で、最近、生活圏すべての野草を調べ始めた。まずはヨモギを摘んで、乾燥させてお茶にしたり、お風呂にいれたりしている。温かいし、メンタルにも良さそう。昨日は数珠玉という、まさに大昔数珠にしていた実のなる野草を摘んで、みちくんと数珠玉でマラカスをつくった。みちくんは大喜び。気に入っている。
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