これからの時代のテクノロジーについて

最近テクノロジーに関するいくつかの本を読んで、テクノロジーの在り方についていろいろと考えるようになった。読んできた本を紹介するとともに、内容を振り返って1つの記事としてまとめようと思います。

コンヴィヴィアル・テクノロジー

最近読んだ本で特に印象に残っているのが「コンヴィヴィアル・テクノロジー」という本。

「コンヴィヴィアル」という言葉は聞き慣れない人が多いでしょう。
元々はラテン語の「convivere」に由来しているそうで、「con」が「共に」、「vivere」が「生きる」で、「共に生きる」という意味になります。
日本語だと「自立共生」などと訳されることが多いのだそう。
イヴァン・イリイチという思想家の著書「コンヴィヴィアリティのための道具」で提唱した「コンヴィヴィアリティ」という概念がキーワードとなっています。

日本語で「自立共生」と訳されるこの「コンヴィヴィアル」という言葉ですが、実際にはその言葉の意味だけでないニュアンスが含まれています。
他者と共に楽しく、かつ有意義な時間を過ごした時に、「今日はとてもコンヴィヴィアルだった」のように表現をするそうで、「他人と喜びを分かち合う」のようなニュアンスも含まれている言葉なのだそう。

この「コンヴィヴィアル」という言葉をキーワードにし、これからの時代のテクノロジーのあり方について探究しているのこの本の内容です。
まず、この本の中では現代は過剰なテクノロジーの時代だと言います。
過剰なテクノロジーとは例えば以下のような特徴を持つテクノロジーです。

  • 人間を生物学的に退化させてしまうもの

  • 人間をその道具に依存させてしまうもの

  • 人間をコントロールしようとするもの

  • 二極化した社会構造を生み出すもの

具体的なツールやサービスの名前は出しませんが、冷静に考えると、多くのテクノロジーが結果として上記のどれかに当てはまるものになっているのではないでしょうか。この本では、今の時代に必要なのはこのような過剰なテクノロジーではなく、人間と共に生きる「ちょうどいい」テクノロジーが必要なのではないかと主張します。

本の中では、ちょうどいい道具として「自転車」を例に挙げています。
自転車は人間を支配しようとはしないが、かといって自転車に乗る場合、人間が自転車を完全に支配しているわけでもない。人間がペダルを漕いで力を加え、さらにバランスを取ることで初めてうまく使うことができる。
このように、人間の能動性が必要でありつつも、道具から影響を受ける部分(受動的)もあり、その絶妙なバランスを保っている道具のことを「ちょうどいい道具」と呼んでいます。(ちなみに、この文脈での道具とは物理的なモノに限らず、教育、技術、制度、社会システムなどを含めた包括的な概念として使用しています。)
このように、人々が主体性を失わずに共に生きていくテクノロジーのあり方を探究していくのが本書の内容です。

私はこの本を読んだ時、なんて素敵な考え方なんだろうと思いました。
私は10年以上IT業界で働いていますが、働けば働くほど、テクノロジーの発展は社会の格差を加速されるものだと思わされます。テクノロジーの発展は基本的に不可逆なものですが、その中で格差を広げない「ちょうどいい」テクノロジーのあり方を探究するという発想自体がとても素敵であり、自分自身のエンジニアとしての在り方を含め、色々と考えるきっかけになりました。

魔法の世紀とデジタルネイチャー

「魔法の世紀」と「デジタルネイチャー」はどちらも落合陽一さんの著書になります。

どちらも最初に読んだのは3年以上前で、その時は難しくて理解できない部分が多かった記憶があります。特に「デジタルネイチャー」の方は難解で、理解できない箇所の方が圧倒的に多かった印象です。
それから数年の時間が経ち、落合さんの動画をたくさん見たり、先の「コンヴィヴィアル・テクノロジー」を読んだ後に改めて読んでみると、初めて読んだ時よりもかなり理解できる、かつ腑に落ちる部分が増えました。

「魔法の世紀」は、発達した科学技術が魔法と区別がつかなくなるような時代感について書かれた本ですが、魔法を使うような感覚でテクノロジーが使われている世界観というのは、コンヴィヴィアル・テクノロジーの世界観に近いように感じます。
人間が魔法を使うようにテクノロジーを使うという感覚は、テクノロジーによって人間が支配されているわけではなく、人間の能動的に動く前提に立っています。
また、テクノロジーを使っているという感覚もなく、誰もが魔法を使うように簡単に使えるテクノロジーは、必ずしも格差を広げることにはならないでしょう。むしろ、格差を縮める可能性を含んでいるかもしれません。

「デジタルネイチャー」は、自然と人工物の境目がなくなる世界観について書かれたものですが、これもテクノロジーが人間や自然を支配するのではなく、人工物と自然が共存する世界観という意味で、コンヴィヴィアル・テクノロジーの目指す世界観に近い感覚のように思います。

そもそも、私がなぜ「コンヴィヴィアル・テクノロジー」という本を手に取ったかというと、コロナ禍に落合陽一さんが「コンヴィヴィアル」という言葉を頻繁に使っていたことが記憶にあり、印象に残っているキーワードとして本のタイトルが目に入ってきたからです。
コロナ禍で日本全体が落ち込みムードだった際に、落合さんはイヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティ」をキーワードに「祝祭性」「喜びを分かち合う」といった言葉と共に色んなメディアで発信されていた記憶です。

それぞれの著者の思考は深いところで繋がっているのだろうと感じました。やはり「コンヴィヴィアル」が現代において重要なキーワードの1つなのでしょう。

温かいテクノロジー

もう一つ、最近読んで印象に残っている本があります。
それが「温かいテクノロジー」という本。

この本の著者が目指している世界観も、先に紹介した3冊の世界観にかなり近しいものでした。

この本は「LOVOT」というロボットの開発者による著書です。
LOVOTの詳細については公式サイトを参照ください。

LOVOTがこれまでのロボットと違うところは、人間の手助けをせず、むしろ人間に甘え、人間に必要されるために生まれたロボットだということです。
一般的にこれまでロボットと言えば、人間の作業を手助けしたり、何かを効率化するためのものが大半でした。しかし、LOVOTは人間の作業を手助けしたり、何かをサポートするような機能は今の所ついていません。
役割としてはペットに近く、可愛がって同じ時間を過ごすことで、人間にとって癒しの時間となり、メンタルに良い影響を与えるようなテクノロジーです。

LOVOTは決して人間を支配することはないし、LOVOTが浸透することで人間を生物学的に退化させたり、格差を広げるようなこともないでしょう。LOVOTは人間と共に生きるテクノロジーだと言えます。これはまさに、「コンヴィヴィアル・テクノロジー」を体現しているテクノロジーと言えるのではないでしょうか。

また、本書の中で著者は「テクノロジーは自分の能力を拡張してくれるもの」だと主張されています。また、「これから先の時代は生物と無生物の境目すら無くなっていくだろう」と言及されています。この考えは「魔法の世紀」や「デジタルネイチャー」の考え方に通ずるところがあります。
LOVOTは、ここまでに紹介してきた書籍の思想の最もわかりやすい具体例であるように思います。

経営リーダーのための社会システム論

この本はいわゆる「社会学」の本であり、テクノロジーの本ではありませんが、先に紹介した本とつながるところがあったので、紹介したいと思います。

社会学については全く知識がなく、これまであまり興味も持っていなかったのですが、あるきっかけがあって社会学を勉強してみたいと思う時期がありました。社会学の知識はありませんが、宮台真司さんが社会学者として有名なことは知っていて、何度か動画を見て興味があったので、社会学の入りとして宮台先生の本を選びました。
タイトルに「経営リーダーのための」と書かれており、難解そうなイメージもありましたが、対話形式のため話の展開が理解しやすく、社会学初心者の私にも分かりやすい内容でした。この本で社会学がどういう学問なのかをなんとなく知ることができました。

今現在、ほとんどの国は資本主義社会の中で動いています。
資本主義社会の中で、1人1人が物事の効率化を図り、自分の利益を最大化しようと考えて行動すると、たとえ集団の中に明確な悪者がいなかったとしても、時間が経つにつれて貧困層が生まれ、それから徐々に格差が広がっていく社会構造になっているのだそうです。
その結果、人々は人間にとって大事な感性(損得を考えない人との繋がりなど)を失っていきます。(本書ではそれを感情の劣化と呼んでいます)
社会の中で感情の劣化が加速すると、結果として孤独な人が増えます。
そうなると、孤独死の人が増えたり、自殺する人が増えたり、無差別に人を傷つける人が増えるといった様々な社会課題が生まれる。
そのような社会課題に対してどうアプローチするかを探究する学問が社会なのだそうです。
本書ではいくつかの具体的な社会課題を取り上げ、講義参加者との対話形式で課題を深掘りしながら、課題へのアプローチを探究してく内容になっています。

感情の劣化を促してしまうシステム世界に対するアプローチとして、本の中では2つのアプローチを紹介しています。
1つがヨーロッパ的アプローチで、もう1つがアメリカ的アプローチです。
ヨーロッパ的アプローチでは、お互いの人間関係を信頼し、「人間であること」に期待を寄せて社会の仕組みを構成しようとするアプローチで、人間が社会の主体であろうとする考え方です。
一方のアメリカ的アプローチでは、システム世界を徹底し、大雑把に言えば動物でも成り立つ社会の仕組みを構成していこうとするアプローチです。
一方は人間を信じ、システムに抗うアプローチ。かたやもう一方は人を信じず、テクノロジーや制度によってシステム化を徹底するというアプローチ。
両者は全く反対の考え方ですが、社会学において明確な正解はなく、どちらの主張も納得できる部分はありつつも、どちらも深い問題が残ることも事実です。

ではこの本の結論としてはどのような立場を取るのか。
この本では、2つのアプローチを対立したものを見なすのではなく、システムやテクノロジーをうまく活用しながらも、人々が人間的である社会を目指すという2つのアプローチを包含する形の方向性が示されていました。

人々が人間的であることを補助するテクノロジーというのは、「コンヴィヴィアル・テクノロジー」「魔法の世紀」「温かいテクノロジー」が目指しているテクノロジーの世界観と一致するのではないでしょうか。

実際、先に紹介したLOVOTは社会課題の解決に貢献しています。
詳細は「温かいテクノロジー」で述べられていますが、例えば、介護現場に導入することで入居者の精神的ストレスを解消したり、小学校に導入することで子どもたちの心のケアや、いじめの減少など効果が得られているそうです。
また、LOVOTは孤独を解消する役割も持っています。家庭の事情から動物のペットが飼いづらいという人でも、電気さえあれば動き続けられるLOVOTであれば家に招くハードルも下がります。
人間をコントロールしたり、退化させることもなく、格差を広げることもなく、ただ一緒に過ごすことで社会の課題を解決していくようなテクノロジー。それが今必要とされているテクノロジーなのでしょう。

社会学とテクノロジーは異なる分野のようでいて、実は密接に関係している分野だということが分かり、とても勉強になりました。

Coders(コーダーズ) 凄腕ソフトウェア開発者が新しい世界をビルドする

この本を読んだのは3年以上前ですが、今までに紹介した本と通ずるところがあると感じたので、紹介しておこうと思います。

昔読んだ時に別記事に感想を書いていたので、細かい紹介や感想はそちらに任せます。

ざっくり紹介すると、世界中の凄腕プログラマー(コーダー)へのインタビューを元に、プログラマー(コーダー)と呼ばれる人の考え方、価値観などをまとめた書籍になります。

私がこの本の中で特に印象に残っているのは、米国での人種差別問題です。
度々ニュースなどでも話題になりますが、IT業界でも人種差別は深刻なようで、プログラマー全体で白人男性の割合が多く、立場としても優位な立場にいることが多いらしい。
その結果、どんな問題が起きるのかというと、格差がより広がる形となります。

元々強い立場(白人男性)の集団が作ったシステム、テクノロジーというのは、その人たち(元々強い立場の人たち)にとって有利になるようなものになる場合がほとんどで、弱い立場の人たちを助けるものにはならないのだそうです。
FacebookやX(旧Twitter)のような世界的に影響力の大きいテクノロジーというのは、元々差別を受けたことのな人たちが作っている場合が多く、そのようなシステムによって、日頃から差別を受けていて弱い立場にある人にどのような影響を受けるのかは想像できないのだそうです。
その結果、元々強い立場にいる人はより優位な立場になり、弱い立場の人はより不利な状況になり、格差が広がってしまうのだとか。

そう考えると、強い立場にいる人たちの集団が作り出したものは、「コンヴィヴィアル・テクノロジー」で言うところの「過剰なテクノロジー」に該当するものになってしまう可能性が非常に高いと言えます。
人々と共に生き、社会課題を解決するような「コンヴィヴィアル」なテクノロジーを生み出すには、開発するチーム自体に本当の意味での「多様性(ダイバーシティ)」を持っていることがとても重要なのだろうと思われます。

Webアプリケーションアクセシビリティ

この本はソフトウェア開発者向けの技術本ですが、これまでの話と関係するなと思ったので紹介します。

Webアクセシビリティとはどういう意味なのか。
似たような言葉でユーザービリティという言葉があります。
ユーザビリティは、特定のユーザーにとってどれだけ使いやすいかを示す言葉で、ソフトウェアの開発者がよく使用する言葉です。
一方でアクセシビリティは、誰もが利用できるかどうか示す言葉です。

世の中には障害を持っている方がたくさんいます。
例えば、視覚障害を持っている人。一口に視覚障害といってもいろんな種類があり、完全に目の前が見えない人もいれば、見えるとしてもぼやけていたり、特定の色だけ認識することが難しい、などがあります。
また、身体に障害があって、体の一部が不自由な方もいます。
例えば手をうまく動かすことができな人の場合、PC操作においてマウスを使って小さなところにカーソルと当てたり、ダブルクリックをすることが困難な場合もあります。
あるいは、脳に障害があって、物事を認知する能力が低かったり、記憶力が低い場合なども考えられます。

例え障害がない人であっても、状況によっては一時的に障害を持っているのと同じ境遇になる場合もあります。
例えば、事故による怪我によって一時的に体の一部が不自由になる場合があります。
日中に太陽の下でスマホ画面を見た場合、光の影響で画面が極端に見えづらい状況になることがあります。
極度の寝不足や飲酒をしてアルコールが入っている状態の時は、認知力や記憶力が平常時よりも落ちている可能性が高いです。

このように、障害を持っている人や、一時的に身体や脳の機能が低下している状態であっても問題なくWebサービスを使うことができるかどうかの指標が、Webアクセシビリティです。

私はかれこれ10年以上ソフトウェアのエンジニアとして働いていて、その中でWebアプリケーションの作成経験もあります。しかし、恥ずかしながらこの本を読むまでアクセシビリティについて意識して開発をしたことはありませんでした。
書籍や雑誌などで技術の動向についてキャッチアップすることは大事だなと思いつつ、アクセシビリティのような視点は当事者意識をどこまで持てるかが大事なのだろうと感じました。
自分自身に障害がある、あるいは身近に障害を持つ人がいる場合であれば、意識的に情報を収集しようとしなくても、どうすれば障害を持つ人にも使いやすいものになるかを考える機会があることでしょう。
しかし、自分自身に障害がなく、かつ身近にも障害を持つ人がいない場合は健常者である人にとっての使いやすさしか意識できない人が多いのでしょう。

ソフトウェアを作る際に、自分と同じ条件・立場の人が使うことを前提に開発をしてしまうのは、先のコーダーズで述べた、「強い立場の集団が作ったものは強い立場の人にとって有利なものにしかならず、結果として格差や分断が広がることにしかならない」という主張と同じ結果になることでしょう。
結局、誰にとっても使いやすいものを作ろうと思うと、それを作る集団やチームが多様性を持っており、かつ、適切に権限が付与されている状態(立場の強い人だけが意思決定権を持つのではなく、どんな立場の人でも意思決定ができる状態)でなければいけないのだと思います。

***

まとめ

ここで全体のまとめに入ります。

  • 資本主義社会では、明確な悪者がいなくても、個々人が自分の利益を最大化するための行動をとることで格差が広がっていき、様々な社会課題が生まれるような構造になっている。そのような社会課題に対してどうアプローチするのかを考えるのが社会学という分野。

  • 社会課題へのアプローチとして、人間の主体性を信じるアプローチと、システム化を徹底してシステム社会にしていくアプローチの2つがあるが、それらを相反するものと捉えるのではなく、システムやテクノロジーをうまく活用しながら人々が主体性を持って生きていける社会を作ることが大事である。

  • 人々が主体性を失わず、かつ、格差を広げないためのテクノロジーを生み出すため考え方としてキーワードとなりそうなのは「コンヴィヴィアル・テクノロージー」や「デジタルネイチャー」などの概念である。

  • コンヴィヴィアル・テクノロジーは、過剰なテクノロジー(人間を生物的に退化させたり、人間を支配させたり、格差を広げてしまうようなテクノロジー)にならないような「ちょうど良いテクノロジー」のことで、人間の能動性があることを前提として、人間の能力を拡張したり、人間と共に生きることを目指したテクノロジーである。例えば、自転車などが該当する。

  • デジタルネイチャーは、自然と人工物、生物と無生物といった境界・区別がないような世界観を指す概念である。

  • コンヴィヴィアル・テクノロジーやデジタルネイチャーの概念を実現する具体例の1つとしてLOVOTがある。

  • LOVOTは何かを効率化したり、人間の作業を手伝うことはせず、むしろ人間を必要とするロボットであり、ペットのように一緒に過ごすことを目的としてロボット。LOVOTは人間を退化させたり、支配することもなく、格差を広げたりもせず、ただ人々と共に生きるテクノロジーであり、学校や介護現場に導入することで、一緒に過ごす人のメンタルに良い影響を与えることが実証された。

  • 今後、様々な社会課題を解決していくためには、LOVOTのような、「コンヴィヴィアル・テクノロジー」「デジタルネイチャー」の思想を満たすようなテクノロジーを作っていくとが重要ではないか。

  • しかし、強い立場にいる人の集団が作るシステムやテクノロジーは、元々強い立場の人に有利に働くものが多く、格差が生まれたり、新たな社会問題を生む可能性すらある。

  • 誰もが使いやすく、人々と共に生きるようなテクノロジーを作るには、多様性を持ったチーム(国籍、性別、年齢、障害の有無、価値観などがバラバラな人が集まり、かつ対応に意見を言える関係性が成り立っている状態)が増えていくことがとても重要であると思われる。

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