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信号の呪い

私はおそらく周りの人よりも赤信号に引っかかる率が高い。車を運転しているとき、結構な確率で先頭で赤信号に引っかかる。ひどい時には目的に辿り着くまでの道の途中にあるほとんどの信号で赤信号に引っかかる。これは自分が運転をしているときに限った話ではなく、私が車に乗ってさえいれば、その車が赤信号に引っかかる率が高まります。

最近はこの現象もある程度落ち着いてきて、そこまで頻発はしなくなってきている。ただ、20代前半から中盤にかけてはかなりひどかった。友人と一緒にドライブをしたりどこか遊びに行くことになった時、「お前が乗っていると信号に引っかかって到着に時間がかかる」と、一緒に車に乗ることを嫌がられたことさえあった。そのくらい、信号にかかりまくっていた。

「たまたま運が悪かった」「気にしているからそう思うだけで実際は他の人とも大差ない」と言われればそうかもしれない。けど、実は信号に多く引っかかることには心当たりがある。

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私は大学生の頃、実家から大学まで車で通っていた。実家は大通り沿いに面しており、家の目の前にはちょうど信号があった。大学に向かう時、実家の車庫から車を出すのだが、反対側の車線を走る必要があった。しかし、目の前の道は大通りなのでそこそこ交通量は多く、反対車線に移ろうとするとタイミングがなかなかない。そこで、目の前の信号のボタンを押し、通行中の車を一旦止めてから、車を家から出していた。つまり、車に乗る時、自分の都合でいつも関係のない車を赤信号で止めていた。

だから何だ、信号に引っかかることとは関係ない。と言われれば、確かに関係ないようにも思う。でも、多分このことが関係していると勝手に思っている。

仏教の用語で因果応報という言葉がある。自分が誰かに対して行った行為は回り回って自分に返ってくる。みたいな意味で認識しているけれど、世の中にはそういう原理が働いていると思う。現代の科学では説明できないのかもしれないけれど、世の中には説明が難しい原理もあると思っていて、その一つが因果応報という原理。

自分がスムーズに車を走らせるために、自分の都合によって多くの車を信号で止めてきた。それが回り回って自分に返ってきたことで、普段車に乗っているときにやたらと信号に引っかかることになってしまったのだと思う。

ただ、信号のボタンを押して家から車を出していたのは、大学に通っていた時期だけだ。その後は実家を出て一人暮らしになり、信号を使って車を出すということはなくなった。その後実家に戻ることもあるが、今は別の駐車場を使っているので、実家にいる時にも信号を使って他の車を止めて発信することはなくなった。

大学時代に他の車を止めてきたツケは、きっと20代の中盤あたりで大方払い終えたのかもしれない。だからきっと、最近は信号にやたらと引っかかる、ということが少なくなってきたのかもしれない。今でも、信号によくかかる日があると、あの時のツケがまだ残っているのだろうか、とふと考えたりする。

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実際のところ、ただの被害妄想なのかもしれない。

でも、自分の行いがいつか自分に返ってくる、と考えて日々を生きることは結構大事なんじゃないかと思う。

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