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ゾンビ映画のゾンビをゾンビとしてだけ見てもしょーがない。という話

配信に来ていた韓国映画『新感染半島 ファイナル・ステージ』(2020)、ようやく見まして最初の感想はだいたいみなさんと同じでしたけど、待て待て、これは1作目と比べても仕方がないやつ。
そもそもゾンビ映画がなにかしらのメタファーとして機能するもの。というのは映画観賞の基本だと思うのですが、やっぱり映画を見ているときは忘れてしまいますよね。ゾンビに飛び掛かられたらもうおしまいだ、自分もゾンビになっちゃう!
そうではなく、このご時勢下に見るんだから、表面的にゾンビに見えているのは全員コロナ感染者だと思うとまたひとあじ違ってくるよ。という提案がしたい。制作者の意図がそこにあったかどうかは、別に気にしなくていいと思うの。だってそういう見方をしないと何も面白くない……は言い過ぎだとしても、そらまあマッドマックスを引き合いに出すしかなくなるものね。

ということでゾンビに見えている大量の感染者は、パンデミックから4年、なんら有効な手を打てなかった場合、われわれの社会にも訪れる姿です。
と申しますか、ワクチンが出来るまでの辛抱、って思っているうちに4年が経過する未来、ふつうに在り得ると思うんだよな。
あとね、だいたいのゾンビ映画は自助、共助、公助の順番にしか救いは訪れない。が私の仮説で、そして今作にもそれは適用可能で、つまり現実社会とのリンクはそういう形でも感じ取ることは可能です。国民のみなさんには、まずは自助をお願いしたい。そう言われ、言われ慣れると、ひとは公助が存在するなどということを忘れてしまうのです。
もうひとつ、ネタバレになってしまうかどうか微妙な線上の話ですけど、登場人物のひとり-物心ついたらコロナの時代だった世代-が、コロナの無い世界がすばらしいと聞いてはいるし、たぶんそうなんだろうと思うけど、いままで自分が過ごしてきたwithコロナの生活も、そんなに悪いものだとは思ってません。みたいなことを言うシーンがあって……これぐらいは書いてもいいよね?
そのセリフを聞いたとき、あ。
って連想したのは、子育て世代のひとからまわってきていた以下のツイートでした。

コロナ(またはゾンビ)ありきの世界しか知らない世代の認識をカワイソウって思うのはたぶん思い上がりで-という方角に自分は考えが向くタイプなんですが-とかく親世代は子世代に「ちがうちがう」ってなりがちだけど、まず否定から入るべきではない。そういう教訓ではないでしょうか(=たぶん違う)。
ええ、以上をもちましてめでたくゾンビ映画の感想からずいぶん遠いところまで辿り着きましたので、本日はこれにて。

a movie image from IMDb

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