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【月の輪】


 天守の屋根に敷き詰められた無数の瓦。

 その表面に施された金箔が、冬の夜空にぼんやりと浮かぶ月の光を反射し、否応なしにその輝きを増す大阪城。

 五十層六階建ての一室で、緋色の胴丸に五尺の薙刀で武装したまま、城内見廻り交替の時を今か今かと待ちわびていた淀の方付きの侍女お香は、背後の金襖を開け音も立てずに入り込んできた影に向けて、薙刀の切っ先を突きつけた。

「おう、おう」

 驚いたのか、おどけているのか。
 はっきりしない声を上げた影は、部屋に設置された燭台に灯りの下にその身を曝け出した。

 剃っているのか生まれついてのものなのか、毛根の気配すらも見えぬ見事な禿頭。

 恐ろしく狭い額とは対照的な、夜空の満月にも似た二つの巨大な目玉。

 襤褸ぼろ同然の裳付衣もづけころもに、珍しい四角のかねを頸からぶら下げている。

 貧相な体格に槍も刀も持たず、明日にも戦場に変わろうとしている大阪城の緊迫した空気にはどうにもそぐわない、言ってしまえば珍竹林みょうちくりんな身なりをした、奇妙な小坊主にしか見えない。
 むしろ人と呼ぶよりも、直立した巨大なヤモリとした方が、表現としては似合っているのかもしれない。

「いや、驚かせてしまったかな? 確かに女子の居る部屋に、おとないも無しに無断で入ったのはこちらの不手際ではあるが、それでいきなり斬り捨てられたのではたまったものではない。勘弁してくれ」

 小坊主は手のひらで自分の禿げ頭をぺちんと叩いてから、すまなそうに頭を下げた。風采の上がらぬ容貌が、哀れさを含んだ愛嬌を生み出して、お香の発した殺気を霧散させた。

「何者か」

 淀の方に付き従い大阪城に入城してから十年以上の月日が経っているが、お香はこのような珍妙な身なりの小坊主を一度たりとも目にしたことが無い。

「拙僧か。拙僧は慧山坊けいざんぼうと申す、しがない坊主じゃ」

「坊主が、何故ここに居るのか」

 大阪城に坊主がいないわけではないが、この坊主がいる理由がお香にはわからない。

「居ておかしいのか。ここ大阪城は、滅ぼされたとはいえ、元は石山本願寺。蓮如が盛んに信仰を広めんとした拠点の一つであるならば、後学と見聞を目的として城に非ず、かの地を坊主が拝見に訪れることに、なんらやましいところも不明な点もあるまいて、なあ?」

 薙刀の白刃を前にしながらも、慧山坊は巨大な眼を閉じ、神妙な面持ちで鉦を叩いた。持ち主によく似た貧相な音色が途絶えると、開眼した坊主は相好を崩した。

「そもそも、城や戦場に坊主がいることは不思議でもなんでもないわい。かつて寺社が信仰を武器に権勢を誇り、他の宗派との争いを繰り返していた頃には、どの寺も自衛を建前に堂衆どうしゅうが武装しておったものだし、海の向こうの明とかいう国では軍師となった坊主もおったそうじゃからのう。あれは……はて、道衍どうえんじゃったか、それとも姚なんとかという名前だったかのう」

 つまり自分は大阪城防衛の戦力になる、とでも言いたいのだろうか。

 お香には、とてもそうは思えなかった。淀の方に付き従う侍女の中でも小柄な方に入る自分よりもさらに小柄で、薙刀すらまともに持ち上げられそうにない目の前の坊主に、一体どれほどの力があるというのか。仏に祈れば徳川に天罰が下されるとでもいうのだろうか。

「いや、拙僧は人を害さぬ」

 お香の心理を読み取ったかのように、慧山坊はきっぱりと言った。

「元大阪本願寺の見物を許された見返りとして、貴殿らの話し相手を命じられたのじゃ。再び東西の趨勢を決めんとする戦に向けて、城のものは総じて殺気立っておるが、もし徳川が長期戦を想定しているのであれば、余計な気疲れは避けねばならぬ。そこで、修行として諸国を行脚した拙僧が相談を受けたり世間話の相手となったりすることで、最前線以外の兵たちの緊張を解き解す手助けをするよう申し付けられたのじゃ」

「どなたの命令か」

文英ぶんえい殿」

 即答である。

 文英といえば元南禅寺の長老であり、京都方広寺大仏殿の梵鐘の銘文を選定した張本人でもあり、その梵鐘に「国家安康」と「君臣豊楽」の字が刻まれていたことに徳川が難癖をつけてきた事件が、この戦の発端でもあった。

 その文英自身は、この事件で南禅寺を追放という憂き目に遭い、今はこの大阪城に匿われている。彼の姿は幾度か見かけたことがあるものの、侍女の身分であるお香にとっては口を利いたことすら無い人物である。

「文英殿が直々に話を聞いておったのでは手が回らぬということで、そこら辺をほっつき歩いていた拙僧に命が下されたのだ。何か不満はあるかな?」

「不満は無いが、話すことも無い。男は好かぬ」

 特別な意味を込めたわけではない。

 だが、男である慧山坊は、お香の真意を汲み取ったかのように、巨大な両眼を閉じて何度も深く頷いた。

「そうかそうか、男は好かぬか。しかし、好かぬのは男だけかな?」

「爺が嫌いだ」

 老いて残すものなど何も無いだろうに、死ぬ間際まで放逸と権力に取り縋ろうとする浅ましさが、お香は嫌いだった。

「そうではあるまい。老人で男。本当に嫌いなのは誰かな?」

「家康だ」

 敵味方に分かれる前から嫌いだった。

 太閤殿の前では借りてきた猫のようにおとなしかったのに、秘かに他の大名に対して根回しを続け、太閤没後に彼らを煽りつつ自分は総大将の座に居座る狡猾さ。さらに梵鐘の一件で見せた姑息さと執拗さ。そのいずれもが、男ならこうあるべきと教えられてきた理想の男性像とはかけ離れた精神の醜悪さと、その家康が天下を我が手中に収めようとしている現実とが、お香にとっては生理的不快感に近い感情を生じさせるものだった。

「家康だけかな? 他には?」

「片桐且元かつもと

 その梵鐘事件で豊臣側から交渉役として派遣されたにもかかわらず、むしろ帰還後に秀頼公の参勤か大阪城退去、あるいは淀の方の人質という愚案を提案した挙句、大阪城内に居場所が無くなり家康方へと逃げ去った、無能極まる裏切り者である。

「そうじゃろう、そうじゃろう。無能と姑息と不忠は、世間の嫌われ者が持つべき証しのようなものものだからのう」

 心底から同意するように頷いた慧山坊が、ふっと窓の外を仰ぎ見た。夜空には、相変わらずぼんやりとした満月が浮かんでいる。

 しかし、お香の眼には異様なものが映り込んでいた。

 浮かぶ満月の隣にも、浮かぶ満月。

 さながら水面に映ったかのようにそっくりな双子の満月は徐々に大きくなり、大阪城の天守に押し迫る。

 薙刀を構え直そうとしたお香の視界が、月色に埋め尽くされた。

 

「さて、儂の声が聞こえるかな……聞こえるなら黙ってそこへ座れ」

 慧山坊に促されるまま、薙刀を放り投げ床にぺたりと座り込むお香。

 その両眼は薄黄色に濁っている。

「よいか。明日にでもお前の大嫌いな家康率いる徳川勢が、この城を攻め落としにやって来るであろう。難攻不落と謳われた大阪城だが、徳川は大砲という巨大な弾を撃ち込む恐ろしい兵器を使ってくる。そこでお前は――大砲の威力と恐ろしさを淀の方に知ってもらったうえで、こう進言するのだ――家康は兵を出し合い消耗したうえでの勝利よりも、本心では大恩あり孫娘の嫁ぎ先でもある豊臣家との和議を望んでいると聞いております。こちらから和議を講ずれば、愛しい孫娘が大砲の巻き添えになることを恐れ、向こうも応じるのではございませぬでしょうか、とな。たとえお前が言い出さずとも周りの侍女連中が和議を薦めるだろうから、なんとしても、それこそ命を捨ててでも淀の方を和議へと傾かせるのだ」

 こくりと頷いたお香の身体からは、慧山坊が部屋に入り込んできたときには充満していた殺気どころか、人として本来持ちうるべき気力すら感じ取れない。言わば生き人形の如く、己の意思も見出せぬまま坊主の言葉に反応して首を縦に振るばかりである。

「よし。では襖を閉める音を聞いたら正気に戻れ」

 そう言い残して金襖を開け、部屋を出てから音を立てるように襖を閉め、見廻りの兵に見つからないよう体勢を低くし影に隠れてから、慧山坊は安堵の息を吐いた。

 これで、淀の方の侍女ほぼ全員に【月の輪】を施したことになる。

 慧山坊の正体――勘平が本名である――は、大阪城攻めを控えた徳川秀忠に雇われた、間者である。

 配下の伊賀衆は不始末の最中で、今一つ信用できずにいた秀忠は、自分を売り込みに来た勘平に、豊臣側が和議を講じるように工作する――という任務を命じた。
 城攻めを行うには兵糧が足りなくなるという懸念が理由の半分。残り半分は、愛娘千姫の身を案じてのことであり、家康にすら打ち明けていない密命であるという。伊賀衆を信用できないというのは、父への発覚を恐れる不安が含まれてもいるのだろう。

 勘平は勘平で、後世まで語り継がれるであろうこの歴史的一戦に、一石を投じてみたいという功名心から引き受けることにした。

 本当ならば淀の方に直接【月の輪】を施してやろうと計画していたのだが、城内で過ごす時間の殆どを秀頼夫婦と共有するか、そうでなければ常に武装した誰かしらが護衛として付き従っている淀の方には近づくことすら敵わず、仕方なく侍女たちに【月の輪】を施すことに方針を変えた。

 勘平が長年の修行の末に偶然も加わって会得した催眠術【月の輪】は、施した相手に長時間かつ複雑な命令を、無意識のうちに行わせる術である。

 しかし施すまでに若干の時間と対象の精神的緩和を必要とするうえ、下せる命令は一人につき一つが限界であり、しかも満月の晩にしか施すことが出来ないという欠点を持っているため、使いどころが非常に難しい。

(それにしても、あいつらの顔といったら)

 敵陣の真っただ中だという窮地であることも忘れ、身を屈めたままの勘平は、つい吹き出しそうになった。

 淀の方に仕える侍女たちは、いずれも戦場にふさわしく武装した勇壮な出で立ちではあったが、その容貌はお世辞にも美人と表現できるような女性はおらず、揃いも揃って不器量揃いである。

 先ほどのお香もまた然りで、吊り上がった目尻と低い鼻、喋っている時に見せる乱杭歯らんぐいばは、それまで男としての器量を認められたことが無い勘平でさえ、男女の縁を持つことを遠慮したくなるほどである。

噂では、これが女好きだった太閤秀吉に対する悋気に満ち溢れた淀の方の意によるもので、わざと太閤や秀頼の「お気に召しそうにない」容貌の女ばかりを選び抜いた結果だというのだから、大阪城内における淀の方の権勢は相当なものだと伺い知れる。

(残るは、大蔵卿局おおくらきょうのつぼねのみ)

 淀の方の乳母であり、片桐且元の派遣後に家康との面会を申し出て認められるほどの女傑である。淀の方ほどではないものの、こちらはこちらで警護が厳しい。

(それとも見切りをつけて早々に城を抜け出すか。しかし抜け出すのは忍び込むより難しいのが城の常識。難攻不落の大阪城、果たして儂如きが生きて抜け出せるものかどうか)

 翌日。

 うなじと脇腹に槍傷を受けた慧山坊こと勘平の死体が、大阪城の堀に投げ込まれた。

 

 

 豊臣滅んで月日は流れ、寛永九年。

「納得できぬ」

 他の地方に比べれば発展著しい長崎の、まだ檜の香りが残る居酒屋の前に据えられた床几しょうぎに腰掛けながら、関矢朝之介昌光せきやあさのすけまさみつは己の拳を盆に叩き付けた。日没後に使う油の量を鑑み、早朝から客を呼び酒を売りつけている店ではあるのだが、朝之介のように怒気に満ち溢れた飲み客が長々と居座っていたのでは、商売あがったりの大迷惑である。

 それでも、日が傾くまで朝之介に苦言を呈するものはおろか、声を掛ける者すら一人として存在しなかったのは、相手がそれなりに名を知られた旗本の次男坊であり、何より腰に差した大小が怖いからである。

 居酒屋とはいえ、店内を占拠しているのは人ではなく売り物を保管した酒甕ばかりで、飲み客は狭い店内か表に据えた床几に座り、盆には酒と肴を乗せるのが当時の常識だった。酔いに任せて暴れるという行為は、この場合、店の人間や他の飲み客に限らず、通りを歩いているだけの無関係な人々まで巻き添いにしかねない。

「こちら、宜しゅうございますかな」

 飲みに飲み続けて陽も高くなった頃合いに、すっかり充血した朝之介の視界に、通い徳利を抱えた珍妙な中間が、すっと入り込んできた。

 子供のように小柄だが声はしゃがれており、申し訳程度の丁髷とは不釣り合いな両眼。

 のっぺりとした顔の下部で裂けたかのような口の中から、小さな舌がちろちろと出入りしている。

 平身低頭の姿勢のままじっと動かず、上目遣いでこちらをじっと伺うその姿は、人というより朝之介が子供の頃によく捕まえて遊んだヤモリそっくりである。

「なんだ、お前は」

「え、あたくしは吹上内膳ふきがみないぜん様にお仕えしております、勘助と申します。こちらに関矢監物けんもつ様の次子、朝之介さまがよくいらっしゃるということで、ぜひとも一度お目に掛かりたく思い、馳せ参じた次第でございます」

 ヤモリ男はそう自己紹介すると、抱きかかえていた通い徳利を朝之介の前に恭しく差し出した。

「お近づきのしるしに、まずは御一献」

「む」

 朝から酒浸りになる程の酒好きであるし、旗本といえど好き放題に酒が飲めるような余裕のある生活を送っているわけでもない。

 断る理由はどこにも無い。

「まあ、よかろう」

「へぇ、ありがとうございます」

 卑屈なまでに深々と頭を下げてから、勘助は床几に腰掛けた。

「吹上内膳殿といえば、父も祖父もその任に就いておられたという旗本先手役。たかが中間とはいえど家中の者なら無下にはできぬ。しかし、何故拙者如きに?」

 いやあ、と愛想笑いを浮かべながら、勘助は広い月代を撫で上げる。

「ご謙遜を。武芸十八班に通じ、豪胆さと槍の腕前にかけては長崎、いや日本に並ぶ者なしとまで謳われた関矢朝之介様ではございませんか。聞けばこの度も、長崎奉行の悪行に真っ向から楯突いたと世間じゃ評判になっておりますのに」

「それは世間が間違っておるのだ。楯突いたわけでもないし、奉行とは会ったことも無い。拙者は、拙者の父に意見しただけに過ぎぬ」

「ですが、村正」

「それだ」

 関矢監物には息子が二人いる。彼としては、礼儀をわきまえ分別がある長子に家督を譲り、豪胆な次子には家宝である村正の脇差を相続させようと思案していたのだが、その決断を下す前に、長崎奉行の竹中重義から唐突な申し出があった。

「某が長崎奉行に着任してから三年、未だ思うように成果を上げられず、大御所様のご期待に応えているとは言い難い情勢にある。某が思うに、その一因は己が立ち振舞いにまだ威厳が足りず、下々から大御所様のご信任を得ていると思われておらぬからではないだろうか」

 ここまでは、まあ良い。

「なんでも関矢家には、大御所様の曽祖父である松平清康きよやす様より下賜された、村正の脇差があると伺った。それほど由緒ある脇差を帯刀していることが世間に広まれば、某がいかに大御所様の信任を得ているかが長崎中に知れ渡り、下々の者も喜んで政に従うのではなかろうか。監物殿、長崎の為、幕府の為にも、しばし村正の脇差を某に拝借願いたい」

 無茶苦茶である。

 父から手渡された手紙の文面を思い出し、腹立ち紛れに朝之介は盃を呷った。

「拝借願いたい、とはよく言ったものだ。あの奉行が一度手中に収めたものを返すはずがないということは、これまでの世間の評判で知れ渡っておるだろう」

「左様にございますな」

 愛想よく相槌を打ちながら、勘助は空になった盃に己の通い徳利からの酒を注ぐ。

「拙者は、ただ家宝の村正を横取りされるのが悔しいからという理由だけで父に意見したのではない。あれは関矢家の刀なのだ。拝領されてからというもの、祖父は関ケ原でも大阪城攻めでも常に肌身離さずあれを腰に携え続け、討ち取った将兵らの首を搔き落とした逸品、本物の武士の魂なのだ。それをさしたる抵抗もせず、むざむざと他人の手に渡ることを承知の上で貸与するなど、かえって大御所様に申し訳が立たぬ愚行ではないか」

 一気に捲し立ててから呷った盃に、勘助がまた代わりを並々と注ぎ込む。

「そもそも、奉行とは我ら旗本が就くべき重要な職であるというのに、あの竹中重義たけなかしげよしがしゃしゃり出てきたこと自体が間違いなのだ。いかに老中の御指名を受けたからとはいえ、関ケ原の折に賊軍から幕軍へと鞍替えするような小賢しい大名風情が就任したからこそ、長崎奉行という役職が軽く見られて相手にされなくなったのだ。装飾の問題ではないということぐらいは自身でも自覚しておるだろうに、そこで人の物を拝借して解決しようなどと浅薄な知恵を披露するから、余計に人心が離れる」

「仰る通りでございますな。我らの主人も、そこが竹中殿の悪いところだと憂いておいででございます」

 頷きながら、今度は自分の盃に酒を注ぐ勘助。

「わかるか。本来ならば主人と武士の関係、上の者と下の者との関係は、忠ではなく信により成り立つものでなければならぬ。お互いを信じ、相手に危害を及ぼさぬことを約束せずとも自ずから遵守する。その心掛けを忘れて信用を損なう行為を繰り返しているから、奉行は嫌われておるのだ」

 空になった盃に、また酒が注がれた。

「信用を失った輩の命令には、断固として拒否の意を示し反省を促すのが武士の気骨だ。そこに身分や階級の上下が関係することは無い。ましてや相手は老中に取り入って就任しただけの木っ端大名。貸与を断られた腹いせに何かしでかそうものなら、その時こそ」

「村正が惜しいのでございますな」

 上背の無い勘助の両眼が、ぎょろりと朝之介の顔を見上げていた。

「馬鹿な」

 吐き捨てるように否定したものの、こちらの心の中を覗き込んだとしか思えない勘助の言葉に、関矢朝之介は不意討ちの一太刀を浴びせられたかのような衝撃を受けた。

「いや、惜しいのかもしれぬが、問題はそこではないのだ」

 何故、中間如きに取り繕わなければならぬのか。

 その中間の視線に耐え兼ね、朝之介は酒が注がれた己の盃へと視線を移す。

 盃には、奇妙なものが映っていた。

 月。

 まだ日も高いというのに、見事な満月だ。

 関矢朝之介が訝しんでいる間に、盃の中の満月は次第にむくむくと膨れ上がり、遂には盃そのものが月に飲み込まれてしまった。

 朝之介が反射的に差料を抜こうとしたところで満月は忽然と消えてしまったが、その陰に隠れていた勘助の姿までもが、煙のように消え失せていた。

「勘助」

 中間の名を呼んだ朝之介の視界が満月と同じ色に覆い尽くされ、走り来る足音と共に自宅で父に仕えているはずの中間、清吉の声が聞こえた。

「一大事でございます。お父上が、お奉行の使いの者に斬りかかりましてございます!」

 

 気がつけば、関矢朝之介は捕方の手により壁際まで追い詰められていた。

 やはり村正の脇差を貸与するに忍びなし、と決断を下した父が、長崎奉行竹中重義の使いの者との口論の末に逆上し、彼を刺殺したのだという。

 縛を受け家名を汚すことを恐れた父は、その場で自刎。

 兄は切腹。関矢家は改易の沙汰が下される予定になっている。

 役人と捕方の手から逃げ回りながら既に五人を斬り、血と脂で使いものにならなくなった愛刀は投げ捨てたが、それでも押し寄せる捕縛の人波は途絶えそうにない。

 侮られているとはいえ長崎奉行の権勢、いわば長崎そのものを相手にしたのでは、いかに武芸十八般といえども打つ手なしということなのか。

 身を護る武器は、もはや腰の脇差しか残されていない。

 いよいよというところまで追い詰められたら、この脇差で父の後を追おう。

 脇差から始まり脇差で決着する騒動の決着に、関矢朝之介は自嘲めいた笑みを浮かべた。

 

 
 居酒屋の前の通りは、蜂の巣を突いたかのような騒ぎになっていた。

 床几に腰掛けて酒を飲んでいた旗本の次男坊が、突如として抜刀し通行人に斬りかかったのだから無理もない。

 酒に酔っていたのが幸いしたのか、旗本は誰か一人に狙いを定めることなく滅多矢鱈に長刀を振り回し、それを天高く放り投げると今度は脇差を抜いて自分の首筋に押し当て、そのまま近くにそびえ立っていた大木に突進、その衝撃で自らの首を撥ね落としてしまった。

 役人、捕方、野次馬たちが挙って旗本の死体に群がり騒然とする中で、一人現場から離れる小男の姿があった。

「けっ」

 通い徳利を抱えた勘助である。

 

 

 鳴張勘助なばりかんすけは、大坂冬の陣が始まる直前に大阪城に侵入し、開戦に備えていた淀の方の侍女たちに催眠術【月の輪】を施した後に討ち取られた慧山坊こと、勘平の一粒種である。

 父、勘平は慧山坊という法名を使っていたが、勿論潜入の為の騙りであり、本物の坊主ではない。時折神仏に造詣が深いような素振りを見せることがあったが、その殆どは頼まれた仕事を果たす為に依頼主から聞き齧った程度の知識でしかないと、当の勘平自身が息子に語っていた。

 その勘平が大阪城に潜入する際、自宅代わりに使っていた山小屋に残る勘助に告げていた予言がある。

「今宵、儂は大阪城に潜入する。歴史に残るであろう大戦の結末を左右する、大仕事を果たすのだ」

「恐らく、生きて還ることは叶わぬであろう。有り金は、其処そこかまどの下に埋めたかめに入っているから、遠慮なく使え。金が尽きたら己で稼げ」

「儂の仕事が成し遂げられたのであれば、徳川と豊臣は必ず講和するが、その期間もしばらくの間に過ぎぬ。時が経てば再び戦になるであろうが、その頃にはもう徳川が天下を収めているだろう。これからは、その天下でどうすれば稼ぎ暮らしていけるのかを考えよ」

 何をするつもりなのかと問うた息子に、勘平は己が秘術【月の輪】を用いて豊臣側を講和に向かわせるように工作するのだ、と打ち明けた。

 それがどうして徳川の勝利に結びつくのか、幼い勘助には理解できなかったが、ともあれ親父の遺言通りに事が運び、天下は晴れて徳川のものとなった。読み違いがあったとすれば、大阪城の堀を埋める際に、徳川が約束されていた領域を無視して本丸以外を悉く破壊、埋め尽くしてしまったことで、大阪城の陥落が早まったことぐらいだろう。

 埋め立てられた堀の底に父の骨が沈んでいることを、勘助は知らない。

 父が戻らなかったことでその死を察した勘助は、早々に竈の下から金品を掘り出して、小屋から立ち去った。

 遺産は懐の小金と、父から授けられた催眠術【月の輪】。

 小屋を出た理由は、諸国を行脚して【月の輪】に磨きをかける為である。かつては父も同じように諸国を旅した末に【月の輪】を編み出したという。

 父から授けられた【月の輪】には、幾つかの欠点があった。

 まず、満月を切欠としなければ術が施せないので、当然ながら満月の晩にしか使えない。例え月齢が満月であろうと、雲や雨の晩では同様に使いものにならない。

 次に、満月の晩であろうと相手が精神的な隙を見せない限り、いくら術を施しても効果が無い。気持ちが昂っている時などは隙だらけで付け入る余裕はあるのだが、逆に警戒されたり疑念を持たれたりすると、途端に効き目が無くなる。

 また相手に下す命令が複雑であればあるほど、あるいは限定的なものであればあるほど、その内容に関する説明が長くなるので、必然的に術を施し終えるまでの時間が長くなってしまう。

 それ以外にも、効果は一人につき命令一つ限り、一度に複数の対象を相手に施すことは出来ない、命令を遂行しようとする者の瞳は月面の如く濁る、効果があるのは人間のみで心に隙が生じにくい動物には効かない、と使い道が難しいところがある。

 それでも一旦施してしまえば命令の遂行は絶対であり、人倫に外れた行為や先の関矢朝之介のように自らの首を撥ねることすら、一切の躊躇いもなく行われる。

 勘助は、まず堺から一度北上して直江津を目指し、そこから南へと下った。目的地の選択にはこれという理由は無いが、旅を続けながら様々な土地を見て、様々な人と触れ合いながら【月の輪】を施し易そうな人間とそうではない人間との区別を覚え、さらに相手の心に隙を生み出すための話術も鍛え上げた。こういう細やかな技術は、やはり繰り返し人と接することでしか得られるものではない。

 何よりも大きな成果は、父には達成不可能だった、満月の無い状況下での【月の輪】を完成させたことである。

 勘助は、父親譲りの巨大な両眼を満月と誤認させることで相手の心に隙を生じさせ、そこを突いて昼間でも【月の輪】を施すことが出来るようになった。

 関矢朝之介が盃の中に見出したのは本物の満月ではなく、勘助の目玉だったのである。

 ところが勘助が【月の輪】の修行を続けている間に、歴史は激動の時代から平穏の時代へとすっかり移り変わってしまった。徳川が豊臣家を滅ぼし設立した江戸幕府の権力は、国内のほぼ全域にまで及び、今や幕府に逆らうだけの力を持った者は指折り数える程度、それすらも幕府に対して恭順の意を示している。

 これでは、せっかく改善した【月の輪】使い道が無い。好き勝手に私利私欲を貪ることは出来るだろうが、父のように歴史を動かすような戦の中に身を投じ活躍することなど、夢のまた夢である。

 父、勘平は未完成の【月の輪】で歴史に一石を投じたというのに、改良に改良を加えた【月の輪】の使い手である自分が真価を発揮できぬ原因が、その父の人目に触れることが無い闇の功績というのでは、笑い話にもならない。

 母を知らぬ勘助が、唯一の肉親である父を尊敬してやまないのは事実だが、この点だけは最後の最後に余計なことをしてくれた、と苦々しく思っているのもまた事実である。

 思案しながらも西進して京都に到着した勘助は、新たな決意を胸に西へと踏み出した。

 徳川幕府が天下を収め平穏な時代に変えたというのなら、その徳川幕府が転覆すれば、また勘助のような「はぐれ素っ波」が活躍できるであろう争乱の時代に戻るはずである。

 ならば徳川に刃向かうだけの力を残した勢力を煽り立て、対抗勢力を作り上げてしまえばよい。それだけの力を残し貯えているのは、東ではなく西だ。

 島津に鍋島、毛利に長曾我部。

 主が討たれても気骨ある藩士が土地に残り、徳川への復讐の時を伺いながら腕を磨いているのだ。これに加担して力を付けさせれば、やがては大きな勢力に変わることだろう。

 しかし大勢力を作り上げたとしても、それを決して一藩の独裁体制に転じさせてはならない。もし勘助の野望が叶い江戸幕府が崩壊したとしても、例えばその後に薩摩藩などが新たな幕府を打ち立て全国を支配するようであれば、せっかくの苦労も元の木阿弥である。

 あくまでも、小競り合いを続ける程度の拮抗でなければならぬ。その状態でこそ、勘助のような人間たちが活躍できるのだ。

 それには九州の連合体か、可能であれば京都以西全体の連合体であることが望ましい。その中でお互いに勢力争いを繰り返しつつ徐々に江戸幕府を圧迫し、最後は争乱の時代へと舞い戻る。

 それがいつ達成されるのか、道のりは長く遠いのだろうが、少なくとも明確な目的の為に【月の輪】を使うことこそが、父が己に伝えた「時代に合った稼ぎ方」であろうと、勘助は自分自身に言い聞かせていた。

 

 

「勘助はおるか?」

「こちらに」

 長崎奉行、竹中采女うねめ正重義の呼びかけに応じて、鳴張勘助は武家屋敷の床下からするりと這い出た。

「おう、そこにいたのか。どこまでもヤモリに似た男よのう」

 星明りの下で愉快そうに笑う重義を仰ぎ見ながらも、勘助の胸中は不快感に満ち溢れていた。ヤモリに似ていると言われ笑われるのには慣れているが、重義自身もあまり人のことを笑えるような容貌ではないからだ。

 若いが肥り獅子で顔全体がてらてらと脂ぎっており、そこに申し訳程度の短い顎髭を生やしているのが、よく言えば威厳と重みを作ろうと苦心している印象を、悪く言えば我欲と執着心が強そうな印象を人に与える男だが、その内面は悪い方の印象ですら手緩く感じてしまう。

 竹中采女正重義は、豊後府内藩の初代藩主である竹中重利の長子として世に生を受け、大坂夏の陣が起こった元和元年に父の後を継いで藩主の座に就いた。

 彼も藩内の重臣たちも、これで我が身と豊後府内藩は安泰だと胸を撫で下ろしたのだが、事件は彼らが予期せぬところで起こった。

 老中、土井大炊頭利勝の推挙により、重義が長崎奉行に抜擢されたのである。

 重義本人をはじめ、家中の人間でこの「栄転」を喜ぶ者は誰一人としていなかった。長崎奉行という職は確かに江戸幕府にとって重職ではあるが、これまで長崎奉行に就任したのは所有五百石にも満たない旗本ばかりであり、二万石の主である重義からすれば、明らかに意にそぐわない格下の職である。

 土井大炊頭の思惑はまるで理解できなかったが、老中の推挙を断るだけの権勢を豊後府内藩は持ち合わせていない。

 泣く泣く就かされた長崎奉行の座は、重義にとって不満だらけのものだった。

 重要な地域の管轄を任されている遠国奉行。その首座でもある長崎奉行は、創設初期においては首座でありながら扱いが悪かった。他の遠国奉行の位が諸太夫格であるのに対し、長崎奉行は唯一格下の布衣であり、しかも議席である芙蓉の間での席順も末席と、これもまた他に比べて一段低く見られている。

 二万石の藩主として安泰な生活を約束されていたはずの重義が、思考の読めない老中の計らいにより数百国の旗本と同じ扱いを受け、さらに江戸城内でも他藩の藩主や奉行から格下として見られ、蔑まれながら生きていかなければならなくなったのである。

 歪みに歪み切り、開き直った重義が不正を働くようになるのに、そう時間はかからなかったと、重義本人は述懐していた。

「勘助、例の件は解決したぞ。これで村正の脇差は我が物だ」

 関矢家の村正である。

 関矢監物から色よい返事は貰えぬと判断した重義は、最大の障害である関矢家次子、朝之介の排除を勘助に命じた。勘助がどういう手を使ったのか重義は知らないが、数日経って関矢朝之介が狂奔、酒に酔い往来で刀を抜いて通行人に斬りかかった挙句、脇差を己が首に当てて自刎した。

 息子の凶行に驚いた父監物は、松平清成公より拝領したという村正の脇差を重義に献上するという条件で、事件の揉み消しを依頼して来たそうである。

「まあ、事件の方はどうとでも揉み消せる。それにしても、相変わらず見事な腕前であるな、勘助。交渉相手が応じぬ時は、やはり貴様を使うに限る」

「お奉行のご期待に副う働きが出来て、勘助も感激の至りでございます。勘助の術、何も知らぬのであれば、絶対に自殺ないし狂奔にしか思われませぬ」

「そうだな。実際、今まで一度たりともしくじったことが無いのだからな」

「使い甲斐がございます」

 勘助の言葉に、重義は満足そうに頷く。

 竹中采女正重義が長崎奉行に着任し、鳴張勘助が彼の手下となってからは、手に入らなかった金銀財宝は存在しなかった。

 まずは重義が、長崎奉行の権力により持ち主を脅し、それに応じない場合は詐術や謀で揺さぶり、それでも屈しなければ関矢朝之介のように勘助が闇に葬り、あるいは弱みを作り上げて重義の付け入る隙をこしらえた。

 巷では「長崎奉行に就任すれば蔵が立つ」とまで言われるほどの収入は、この時期には既に確立されていた。ただしその大部分は幕府から頂戴する扶持米によるものではなく、長崎奉行の特権により関税免除で購入できる、舶来品を転売することで得る収益や、商人からの献金、貿易対象であるオランダ人商人からの挨拶品として贈られる珍宝秘宝という「真っ当ではないもの」の割合が、非常に大きい。これらは明らかに不正な収益ではあるのだが、当時は「毛唐」と恐れられ差別された外国人を相手に対応、対処しなければならない立場にある長崎奉行たちにとっては当然の見返りとして受け入れる風潮があった。

 それだけの莫大な収入があるにも関わらず、長崎奉行としては六代目にあたる竹中重義が内に抱え込んでいる{貪婪《どんらん》の獣は、喰うに飽くを知らぬ饕餮とうてつが如き渇望の唸り声を上げ続けていた。

 しかし、その重義の欲望に新たな餌を投げ込む勘助の目論見は、出世や報酬とは別のところにある。

 長崎奉行の手下として悪行を重ねることは、勘助にとって世間が長崎奉行に対しての恨みと憎しみを募らせる為の手段に過ぎず、その悪評が長崎から九州一帯に広まることで幕府、さらには老中の土井勝利への信頼が揺らぐことを目的としている。

 全く同じ理由で、勘助は重義が断行しているキリシタンの弾圧や拷問にも賛成し、後押しすらしていた。キリシタンに対する拷問が苛烈になったのは重義が長崎奉行に就任してからと歴史に残されているが、そこには勘助の入れ知恵が含まれているのかもしれない。

 キリシタンがどれだけ弾圧されようが、あるいは拷問の果てに死体の山を築こうが、勘助自身には些末な問題でしかない。むしろキリシタンが苦しめば苦しむほど、殺されれば殺されるほど、その怒りと憎しみが力となって幕府に向かうことを考えれば、後押しこそすれ止める理由はどこにも無い。

 関矢家が村正の脇差を秘蔵していると重義に密告したのも勘助である。

 重義は元から村正を帯刀するつもりはなく、単なる投機目的の為の蓄財として押収したつもりなのだろうが、勘助の真の狙いはその村正をすり替えるところにあった。

 徳川の祖先から拝領した、徳川に仇なす村正である。討幕の機を伺う勢力への手土産としては十分すぎる価値があるだろう。

「ところで勘助、あの女のことなのだが」

 倒幕に向けて掻き集めた足掛かりを胸中で数え上げていた鳴張勘助は、長崎奉行の呼びかけで我に返り顔を上げた。

「あの女?」

 重義に「女」と言われ、勘助は薄い眉をぴくりと震わせた。

 勘助も、女は嫌いではない。【月の輪】で従順にした女たちに破廉恥な格好をさせたうえで好き勝手に弄ぶのは、修行時代のこのうえない愉しみであった。

 しかし重義が言う「女」は、外見も性格も勘助の好みとは大幅にかけ離れており、勘助からすれば「女」とは呼べず、故に重義が執心する理由がまるで理解できない。

「わからぬか。平野屋の妾、おぬいのことだ。このまま軟禁を続けていたのでは、こちらにどのような噂が立つかわからぬ。そこでだな」

 

 

 新月に、眩い星が散りばめられた夏の夜。

 長崎奉行所がある本博多町をふらふらと覚束ない足取りで彷徨う女の姿と、それを見守るように一定の距離を置きながら追う二つの影が、星明りに照らし出された。

「勘助さん、本当にお縫は俺たちに気がつかないんだろうね?」

「心配するな。気づくはずは無いし、何かの手違いで気づいたとしてもお縫には何も出来ぬ。そういう術だ」

 後から及び腰で付き従う惣八そうはちに目もくれず、勘助はお縫の影だけを追っていた。

 お縫に施した【月の輪】の命令は、それまで軟禁されていた竹中重義の屋敷から抜け出し、主人である平野屋三郎右衛門ひらのやさぶろうえもんの元へと逃げ戻ること。

 奇妙な命令ではあるが、これは重義が企てた謀計へと繋がる過程の一つに過ぎない。

 堺の商人である平野屋三郎右衛門が、花の蜜を求める蜜蜂のごとく長崎に店を建てたのは、ふた月ほど前の話である。

 当時の勘助はその動きを特に気にはしていなかったのだが、より多くの利益を求める平野屋は、根回しの一環として長崎奉行である竹中重義を自宅に招待し、宴席を設けた。

 その時に酌をしたのが妾のお縫であり、重義はひと目で我が物にせんという情欲の炎を胸中に滾らせたそうである。

 長崎奉行に就いてからというもの、欲しいと思った金銀財宝は軒並み手中に収めてきた重義にとって、初めて目にした「生きた宝」である。時間が経てば経つほど暗い情愛の炎はますます燃え上がり、遂には例え一時であろうとお縫をこの手に抱かぬ限りは死んでも死に切れぬ、とまで思い詰めるようになった。

 一旦そうなってしまっては、他人の妾だろうが相手が堺の大店だろうが奪い取ることに躊躇わないのが、竹中重義という男である。重義は平野屋にお縫を差し出すよう命じた。

 長崎に来てまだ日も浅く、長崎奉行竹中重義の狡猾さ、執念深さを知らない平野屋は、当然ながら仰天しつつも命令を拒否した。人の妾を欲しがり奉行の権力を盾に脅し取ろうなどと人倫にもとる行為を、あるいは冗談と思ったのかもしれない。しかし二度、三度と同じ命令が繰り返し届けられるに連れ、重義が本気であると察した平野屋は、お縫を差し出すどころか逆に長崎奉行所との接触を減らし始めた。

 お縫が手に入らなければ元も子もない。正面からの力押しでは逆効果になると判断した重義は、謀を使うことにした。

「平野弥三郎右衛門の妾お縫殿を差し出せというのは、言葉のあやである。実はこの度、紀伊よりさる高名なお方が長崎を訪れる予定になっているのだが、その歓待にお縫殿を借りたいのだ。貴殿が某を歓待した際、お縫殿に酌をさせたであろう。あれを素直に喜んだ某の意を汲んでもらいたい。もちろん歓待が済めば、お縫殿はお返しいたす。これからの商いで必要とする便宜もはかってやろう」

 平野屋は、この手紙にころりと騙された。

 投機目的で欲しがった村正の脇差を、己の威厳向上を図るためと偽った関矢家の時と同じ手であるが、お縫を手放したくないのは平野屋右衛門だけであり、その平野屋自身も後々の商いと数日お縫を貸し出すことへの忍従を天秤に掛けた結果、不承不承ではあるがお縫を貸し出すことに同意した。

 手紙の内容が嘘なのだから、お縫が返されなかったのも当然と言えよう。

 怒った平野屋は、重義による同様の手口で被害を受けた人間を探し出しては協力するよう説得し、奉行所に対抗せんと活動していると聞く。

 また詐略によってお縫を手中に収めたものの、相手は財物ではなく人間である。逃げ出さないように面倒を見ながら軟禁し続けているが、この状態が続いたままでは次第に妙な噂が立ち、幕府の監察官である大目付の耳に入るやもしれぬと危惧した重義は、次の手を打つことにした。

「しかし、私にはどうにも理解できぬ。これが本当にお奉行の為になるんでしょうかねぇ。勘助さんには、その辺りの事情が飲み込めているんですかい?」

「直に聞かされているからな」

 明らかに自分より年上の惣八から下手に出られて、勘助は背中がむず痒くなった。

 長崎奉行の補佐と長崎の管理を担う町年寄。その親戚である惣八は、竹中重義の手下とも呼べる存在だった。重義が長崎奉行としての権力を発揮すると面倒が起こる場合、あるいは町人による介入があった方が円滑に事が運ぶであろう場合によく使われる男であり、下世話でお調子者な面があるものの長崎の地理や人脈に詳しく、また機転も利く。

「それにしても、ふらふらと危なっかしいな。あれで本当に平野屋まで無事にたどり着けるんでしょうかね?」

「それは問題ない。足元が覚束ないのはあの女生来の性質であって、たとえ足を切り落とされようが、お縫は這ってでも平野屋を目指すよ……しかし、あんな女の一体どこが良いのか、正直俺にはさっぱり見当がつかん」

「へぇ。私にはよい女に見えますけどねぇ」

「お前も、竹中様や平野屋側につくのか」

「いいじゃないですか、お縫。か弱く儚げ、風が吹いただけでも倒れそうで、他人の手を借りなければ到底この世を生きてはいけない。仮に生きていけたとしても日々の食事すらままならない。頼れる男無しではどうにもならないという仕草が、かえって男を惹きつけているんですよ」

 四十手前の皺顔に下卑た笑みを浮かべつつ、したり顔でわかったようなわからないようなことを言う惣八。

「それじゃあ勘助さんはどういう女が好みなんです?」

「ああいう痩せた女よりは、肥っている女の方が良い」

 自分が【月の輪】を施した女が、命令通りに動いているのを遠くから監視しているだけという、どうにもつまらない仕事である。くだらない話でもしていなければ気が滅入る。

「特に、尻だな。尻のでかい女。うん、女は尻が良くなければならん。それに気性も明るく、さっぱりしていた方が良いな。その方が相手にして気疲れしない」

「それじゃあ田舎の飯盛女だ」

「そういう気立ての良い女しか抱いてこなかったから、そう思うのかもしれないな。だが、お縫のような女はこちらから御免被るわい」

 惣八は呆れた声を上げたが、負けじと言い返した勘助は至って大真面目である。

 遠くで勘助に詰られたと知るはずもなく、とぼとぼと歩き続けていたお縫が、ようやく平野屋の看板が見えるところまで辿り着いた。これで平野屋の敷地内に入ってしまえば、お縫は重義の元から無断で逃げ出し、平野屋に匿われたことになる。

「歓待も済んで平野屋に返そうとは思ってはいたのだが、長崎奉行としての職務に忙殺され、つい今まで返しそびれていただけのところを、無断で逃げ出すとは不届き千万である。また主人の平野屋が、妾に重義の元へと戻るよう説得せず、逆にお縫を匿ったということは、この重義が借りたものを返そうとしない不義理な人間であると思い込んでいるからであろう。天下の老中、土井勝利様より信任を受け長崎奉行となったこの竹中采女正重義に対する重大な侮辱である」

 言い掛かりも、ここまで徹底すれば見事なものである。

 重義は、この言い掛かりで一切の責任を平野屋に押し付け、弱みを握ってしまおうという腹積もりなのだろう。

 ふらふらとした足取りで、お縫が平野屋の裏手に回った。

「しかし、どうしてあの妾は自分から逃げ出さなかったんでしょうね。竹中様から聞いた話じゃ、いつでも逃げ出せるように軟禁場所から人払いまでしたそうじゃないですか」

「気が弱すぎて逃げ出す決心がつかなかったうえに、逃げ出したところでどうせすぐ捕まって連れ戻されるだろうと諦めていたらしい。どう足掻いても逃げ出せないのだから、平野屋と竹中様との約束を信じて大人しくしている他に打つ手が無い、と思い込んでいたようだな」

 いつもの人間の代理という体で食事を運び【月の輪】を施した勘助が、その際に聞き出した情報である。お縫は病的に思えるほど気の弱い女だが、その程度には賢明な判断が出来る女でもあるらしい。

 そのお縫は【月の輪】に操られるまま、平野屋の屋敷の裏木戸をくぐり中に入った。

 これで、逃亡中の妾を自宅の敷地内に居れた平野屋は、一切の言い訳が通らなくなったことになる。

「しかしお縫が勘助さんの術とやらに掛かっているのなら、私たちがわざわざ見張る必要も無かったのではないですかね」

「いや、万が一ということもある」

 万が一は起こり得る。

 鳴張勘助は、過去に一度だけ【月の輪】に失敗した。

 京から西へ向かう折り、路銀稼ぎにさる藩の若君を暗殺してもらいたいという仕事を引き受けたことがある。

 その時に【月の輪】を施したのは、伊崎流弓術の皆伝を授かったという藩士で、確か高森茂親たかもりしげちかという名前だった。遠駆けか鷹狩りに出た若君を弓で射殺する計画であり、それは勘助の【月の輪】によって刺客と化した高森が若君の御付の侍たちによって斬殺されることで完遂される手筈だった。

 しかし現実は若君が生存、狙いを外し若君暗殺に失敗した高森はその場から逃走し、伊崎流の道場に隠れていたところを彼の師に発見され、その場で斬り捨てられたという。

 我が【月の輪】がしくじるはずがない、暗殺計画は成功したとばかり思い込んでいた勘助は、依頼主に詰られ前金を返さねばならない破目になったが、彼は金銭の問題より【月の輪】が失敗したことに衝撃を覚えた。

 高森茂親に何が起こったのか、未だにその原因はつかめないままであるが、その日から【月の輪】を施した相手が命令を遂行するまでは必ずどこかに隠れて監視する、という習慣がついた。

「やれやれ。これで竹中様のご希望通りに事が進んだわけですが、これから一体どうなるんでしょうね、勘助さん」

「さあな」

 この謀略が明るみに出れば長崎奉行所、ひいては九州での幕府の威厳は地に堕ちるだろうし、出なければ出ないで重義の勘助に対する信頼が増々厚くなり、倒幕という勘助の真の計画が進め易くなるだろう。

 どちらに転んだとしても、勘助自身は損をしない。

 

 

 長崎奉行、竹中重義が築き上げた栄耀栄華の崩壊は、勘助の目算よりも早くに訪れた。

 貸した妾の逃亡は妾への教育が不徹底であった証左。さらにその妾をすぐ重義の元へと返そうとはせず、敷地内に入らせてしまったうえに自分の屋敷に留まらせていたのは、重義を信用せぬ仁義にもとる行為であると難癖をつけられた平野屋三郎右衛門は、奉行所からの追求と脅迫の日々に耐え切れず、遂にはお縫を連れて堺へと逃げ帰った。

 ところが長崎貿易での利益を待ち焦がれていた平野屋右衛門の親類一同は、妾を惜しんで長崎奉行と対立する破目に陥った平野屋の態度を挙って詰り否定した挙句、後難の憂いを恐れてか、はたまた己らが長崎に店を構えた時の布石として便宜を図る為であろうか、脅迫同然の説教によって平野屋から奪い取ったお縫を重義の許へと送り届けてしまった。

 この話を聞いた時には、【月の輪】で他人を意のままに操る勘助ですら、親類であるはずの平野屋右衛門を相手にそこまでやるのかと呆気に取られたものだったが、我が身をもって人の欲望の凄まじさを世間に知らしめている重義からすれば、こうなることは当然の帰趨だったのかもしれない。

 かくして重義は公然と佳人お縫を我がものにしたのだが、こうなると今度は平野屋の方が納まらない。

 規模や程度の差こそあれ、堺では公家や武家より商人の力の方が強いという現実を知らなかった重義は、己を喰らわんとする蝦蟇の接近に気付かないまま蝶を狙う蟷螂のようなものだったのだろう。

 長崎から逃げ出したことで全てを失ったかのように思われた平野屋右衛門であったが、愛妾を権力ずくで奪い取られた怒りと悔しさを糧として商いに励み、瞬く間に長崎出向前以上の力を持つ大店として復活した。幕府の要人に付け届を贈る回数も次第に増え、金策への色よい返事と引き換えに繋がりの糸も増える。復讐の矛先は西の長崎だが、平野屋右衛門が向かったのは逆方向の東だった。

「恐れながら長崎奉行、竹中采女正重義様のご乱行、我々下々の者の目にすら余るものがございます」

 恐らくは大目付か、その関係者辺りに訴え出たのだろうと世間では言われている。

 元から不正や横暴の噂が絶えなかったところに、――賄いにより――幕府重臣の覚えもめでたい平野屋からの訴えである。推挙した老中が反対したのか賛成したのかまでは知らないが、重義に対する徹底的な素行調査と身辺調査が行われることとなった。

 まあ罷免と処罰は免れないだろう、と勘助は諦観している。

 早々に荷物をまとめて長崎から逃げ出さなければ、重義の蛮行に加担していた自分も、いつ巻き添えで罪に問われるものか知れたものではない。

 調査の末に切腹と御家断絶とが待ち受けているであろう元長崎奉行、竹中重義という「後ろ盾」と「駒」を同時に失うのはいかにも痛手だが、これも計画の一部である。救いの手を差し伸べるつもりは毛頭ない。

 変わり身の早さは長崎の役人風情も似たようなもので、それまで重義の御機嫌を伺いながら手足として働き不正のお零れにありついていた連中も、今ではむしろ悪奉行によって振り回され泣いていた被害者を装い、重義糾弾の手助けをしているという有り様である。

 惣八は、既に口封じの必要から重義の配下に始末されている。

 勘助にとって惜しかったのは、人脈よりもむしろ重義が収集し秘蔵していた二十四振の村正だ。重義からすれば投機目的の名剣に過ぎなかったのだろうが、勘助からすれば倒幕の意志を募らせる勢力におもねる為の、大事な手蔓になるはずだったのだから。

 とはいえ、村正を捜し取り戻すだけの余裕は無い。

 何故なら、勘助もまた追われる身である。

 ただし、追手は公儀の人間ではなかった。

 長崎奉行所を出たところで名乗りを上げ襲い掛かってきた復讐者の名は、伊崎十郎太いさきじゅうろうた

 歳はまだ若く二十にも満たないだろうが、ヤモリを巨大化させたような風貌の勘助に嫉妬と羨望の感情を抱かせる程の凛々しさの中に刻み込まれた苦悩と絶望、そして憤怒の感情は、彼が決して年相応の穏やかな人生を歩んできたわけではない、という経歴を如実に表していた。

 当然と言えば当然だが、鳴張勘助は侍ではない。

 侍ではないのだから、名乗りを上げられたところで仇討ちを真正面から受け止めるつもりは無いし、それに対抗できるだけの剣の技量も無い。さりとて倒幕の夢を捨てて討たれるつもりも無いのだから、この場は逃げるしかない。

 長崎奉行所の東に流れる中島川。現在でこそ十を超える石橋が並ぶように架けられているが、当時は石橋を架けようという発想すら思い浮かばなかったのか、まだ木造の橋が架けられていたのだが、この中島川を渡ってしまえば追手の追跡から無事に逃げ切ってみせるだけの自信が、勘助には備わっていた。

 しかし伊崎十郎太も逃走経路を読み切っているのか、逃げる勘助の後を追い、時には先回りして勘助の前に立ち塞がり、容易には中島川に近づかせない。

 伊崎十郎太の格好はといえば、月代を伸ばした頭に勝色の小袖で裾まくり。大小の代わりに一尺の青竹を左右に二本ずつ手挟み、さらに背中に五本背負うという大道芸人さながらのもの。これが追いかけてきたところで、すれ違う通行人から見れば喧嘩か揉め事かと笑うのが精々で、とても命のやり取りをしているとは思わないだろう。

 だが勘助は、青竹の中身がいかに恐ろしい兵器であるかを、最初の襲撃で身をもって把握している。

「おう、勘助ではないか」

 横合いから声をかけられ、追われている身にもかかわらず勘助は足を止めた。

 声の主に対する期待感が彼の足を止めたと言っても過言ではない。

 馬部信久ばばのぶひさ相楽有三さがらゆうぞう

 どちらも、長崎ではその名を知られたタイ捨流の達人である。

 かつては共に竹中重義の子飼いとして暗躍し、勘助は諜報や洗脳を行い二人は荒事を行うという形での役割分担から、何度も顔を合わせた仲である。

 その重義に詮議の目が向けられた今、二人は他の役人と同様に手のひらを返すべきか、それとも土壇場で重義が復権することに期待すべきかと、迷いに迷っているはずである。

「どうかしたのか、そんなに慌てて」

「馬部様、相楽様、お助けくだされ。怪しい者に追われておりまする」

「ほう、怪しい者とな?」

「あれか」

 転がるようにして馬部と相楽の前に跪いた勘助が訴えている間に、どうやら二人はそれぞれの視界に伊崎十郎太を捉えたらしい。

「そうか。どれ、儂が追っ払ってやる」

 それまで酒を飲んでいたのか、勘助の身体を蹴たぐるように足で払い除けた馬部が、ふらついた足取りで十郎太の眼前に立ちはだかろうとする。

「お気を付けくだされ。彼奴、怪しげな武器を使いまする」

「ふん」

 勘助の忠告を鼻でせせら笑い、馬部は伊崎十郎太を脅そうとせんがために愛刀の柄に手を掛ける。

 その動作が命取りになった。

 馬部を敵と見なしたらしい伊崎十郎太が、駆けながら右手に握っていた青竹の筒を頭上に振り上げ気合と共に振り下ろすと、節が抜かれていた竹筒の先端から飛び出した一条の閃光が馬部の胸を刺し貫いた。

 駆け迫る大道芸人が何をしたのか、そして自分が何をされたのかすら把握できなかったのか、狐につままれたかのような表情を浮かべた馬部の身体が、そのままどっとうつ伏せに倒れる。

「おのれ!」

 急に倒れた馬部の巨躯と猛り狂い抜刀した相楽の姿に、高みの見物を決め込もうとしていた長崎の町人たちは悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ失せ、あるいは家屋の中に隠れた。

「ちぇぇぇぇっ!」

 眼前にあらば斬れぬもの無し、と巷で謳われた相楽必殺の袈裟斬りを、しかし鵝毛がもうの如く軽やかに回避した十郎太は、とっくに投げ捨てていた竹筒の代わりを握り、今度は左から右へと振り薙いだ。

 心身の鍛錬のみならず実践的な剣法として広く知られ、飛び道具への対処も修練に収めているタイ捨流。

 その使い手である相楽有三は、竹筒の先端から飛び出し襲い掛かる凶器を、十郎太に劣らぬ身軽さでかわすことには成功したが、そこに付け入る隙が生じた。

 既に二本目はかわされると予測していたのか、三本目の竹筒から中身を取り出した十郎太の接近には対処し切れず、矢のような細長い物体の鋭く尖った穂先を直接喉笛に叩き込まれ、声にならぬ苦悶の声を上げながら絶命する相楽。

 しかし相楽を仕留めた十郎太が四本目の竹筒を手にした時、勘助の姿は既に喧噪の修羅場から消え失せていた。

 

 長崎から逃げるつもりならば、絶対に中島川を渡らなければならない。

 ようやく探し出した仇の鳴張勘助を追い、伊崎十郎太は中島川へとひたすらに駆けた。

 長崎奉行所に勘助らしき人間が出入りしているとの情報を得た時から、逃がさぬよう手を打ってある。中島川に掛けられた橋のたもとで通行人を監視している番人には、勘助が悪奉行竹中重義の悪事に加担していると諭したうえで金を渡し、橋を渡り終えた勘助を足止めするよう言い含めておいた。これなら勘助がいくら悪足掻きしようと、中島川を越えた時点で身動きが取れなくなるのは確実である。

 しかし、中島川に辿り着いた十郎太を待ち受けていたのは、ぼんやりと宙を見上げながら橋のたもとに佇む橋番の姿だけであった。

「おい、鳴張勘助はどうした」

 問い詰めてもこちらを見ようともしない橋番の胸倉をつかんだ十郎太は、愕然とした。

 橋番の瞳が、ぼんやりと濁っている。

 この男は、十郎太に金を渡される以前から、勘助に【月の輪】を施されていたのだ。

 

 

 父、伊崎丈斎じょうさいが自ら割腹して果てたのは、高弟の高森茂親が、さる藩の若君を射殺しようと企てていたことが露見し、そのような男に弓術を教えていたことへの自責と悔悟の念からというのが、表向きの理由である。

 しかし実際は、若君に向かって弓弦を引いた瞬間に轟いた雷鳴――即ち偶然――によって高森に掛けられた【月の輪】が解け、辛うじて矢は外れたものの刺客の汚名を受けながら逃亡した高森が、父の介錯を受ける前に全てを打ち明け、父は彼の無罪を訴えんが為に割腹したのである。

 母はとうの昔に世を去っており、伊崎家は改易を受け伊崎流弓術も廃れてしまった今、父の遺書にしたためられていた事の真相を知っているのは、黒幕と勘助を除くと、もはや世に伊崎十郎太ただ一人だけになってしまった。

 自らの手で謀反者を討ち取り、さらに自裁までしたとはいえ、文字通り若君に弓引いた者の関係者を藩が領内に留まらせておくはずもなく、罪人同然の扱いで国を追われた十郎太は、若い身の上で街道を流離いながら事件の実行犯、鳴張勘助を追っていた。

 道中で潜り抜けた修羅場の数は両手の指を合わせたところで足りず、皮肉にも伊崎流弓術の跡取りとして相手の放つ矢や斬撃をかわす修行を続けていた成果も相まって、十郎太の腕前は彼も知らぬうちに練達の域にまで達していた。

 弓はもちろん得意中の得意であり、お陰で道中の食事に困ることはほとんど無かったが、流石に町中で堂々と弓を引くわけにはいかない。代わりに携帯していたのが、投擲にも使える格闘武器の打根うちねである。長さは五寸で太さが五分、先端の穂先は矢と言うより槍に近く、逆に石突に当たる箇所には矢のような羽が付いている。紐を付けて回収が容易になるよう拵えている流派もあると聞いてはいるが、伊崎流には存在しない。

 往来や宿場では、この打根を懐に忍ばせるか、あるいは青竹の中に隠して持ち歩くのが習慣となっていた。青竹を打ち鳴らす大道芸人の変装とは、実に相性が良い。

 鳴張勘助の情報を得たのは、堺だった。

 夜道で暴漢に襲われていた大店の主人、平野屋三郎右衛門を救い客人としてもてなされた折りに聞いた話では、彼の妾が勘助らしき男に怪しげな術を掛けられたと語っていたのだという。平野屋自身も、その妾が正気に戻る前は何故か瞳の色が濁っていたと打ち明けてくれた。

 平野屋はその愛妾を長崎奉行、竹中采女正重義に奪い取られており、今は力を付けながら復讐の機会を伺っているのだという。

 長崎奉行への復讐を誓った平野屋右衛門と、その奉行の陰で暗躍する鳴張勘助を仇と付け狙う伊崎十郎太が手を組まない理由が無い。お互いざっくばらんに事情を打ち明けてから意気投合し、堺の平野屋三郎右衛門という大きな後ろ盾を得た十郎太は、時には平野屋の金を使い、主に自らの足で勘助に関する情報と竹中重義の悪行に関する情報を収集し、後者は平野屋に報告した。

 鳴張勘助の【月の輪】に関する詳細と、事件の現場周辺には必ずその様子を遠くから眺める勘助の姿があったという情報は、この期間に得た。

 その成果が平野屋の訴えとして結実し、重義に対する幕府の取り調べという形で大団円を迎えたわけだが、十郎太の方はあと一歩というところで勘助を取り逃がしてしまった。

 中島川を渡らせまいと勘助を追い詰めはしたものの、彼の助太刀として割って入ってきた浪人二人が腕達者だったことは、本当に不運だったと思わざるを得ない。

 しかし一人目が抜刀する前に伊崎流打根術「稲妻」で仕留めることが出来たのは、不幸中の幸いだった。二人目の袈裟斬りは辛うじてかわせたから良かったものの、あれだけ鋭い斬撃を二人掛かりで打ち込まれたのでは、こちらの返り討ちは免れなかっただろう。

 しかし結果として鳴張勘助を取り逃がし、そのまま逃亡を許してしまったのだから、この勝利はほぼ無価値に等しい。

 愛妾お縫を取り戻した平野屋とは対照的に、これまでと変わらぬ失意の二年半を過ごしていた十郎太を再び長崎の地に呼び寄せたのは、勘助もまた長崎に舞い戻ったという目撃情報である。

 中島川はよく氾濫し、木造の橋はその度に壊れては押し流されていた。

 大勢の長崎住民が中島川を渡れず非常に難儀している光景に心を痛めた興福寺の住職、黙子如定もくすにょじょうが生国である大陸からわざわざ石工を呼び寄せて建設させた、当時としては非常に珍しい石橋である。

 その袂で啖呵売りをしている男の風貌が、鳴張勘助そっくりだったという。

 ヤモリそっくりの頭部を持った小男は、そうそういない。

 十郎太は、別れを惜しむ平野屋を堺に残し即座に長崎へと向かった。

 長崎についてすぐ、十郎太は変装した。青竹打ちの大道芸人は勘助に見られているので、二度と使えない。月代を剃り鉢巻きを締め半纏に股引、本来なら大工道具が入っている道具箱を担いだ大工の身なりで、勘助の旧友を装い情報を集めたところ、確かに元長崎奉行、竹中重義の下で長崎をうろつき回っていた勘助である。その目立つ風貌を記憶に留めていた住人も少なくなかったらしい。

 ただし彼自身は己の素性に触れられることを極端に嫌がっており、啖呵売りも食い扶持の為に仕方なく行っている様子だったとも聞く。

 その啖呵売りは子、巳、申の日に石橋の袂で商いをしているらしい。

 最も近い巳の日が訪れ、十郎太は石橋へと向かった。

 中島川の両岸に、上向きに緩い曲線を描いて聳える石橋は、若くして復讐心に凝り固まった伊崎十郎太にすら新鮮な感動を与えたが、肝心の勘助らしき啖呵売りの姿はどこにも見当たらない。

 待てば、いずれは来るだろう。

 そう判断した十郎太は、道具箱を担いだまま石橋の欄干に腰を落ち着けた。

 いつ勘助がやって来ようと逃さず確実に仕留める用意は整っている。道具箱には錐に似せた打根が九本入っているし、のみに似せた打根を懐に忍ばせてもいるのだ。

 生来の天稟と修行の末に得た平衡感覚で、重いはずの道具箱を担いだままでも平然と足をぶらぶらさせていた十郎太の眼前を、編笠を目深に被った浪人らしき武士が通り過ぎようとしていた。

 勘助でないことだけは明らかである。

 それだけで十郎太の興味は失せたが、武士は十郎太の視界から外れる直前で足を止めた。

「伊崎、十郎太」

 見知らぬ男に我が名を呼ばれ、反射的に身を竦めた十郎太の左肩から右脇腹にかけて斜めに閃光が疾り、次の瞬間にはそこから夥しい量の鮮血が溢れ出る。

 名状し難い激痛に叫び声を上げようとした十郎太の表情が凍りついた。

 平然と人を斬り血振りする浪人の、深編笠の下から辛うじて見える両眼は、瞳がぼやけたように濁っている。

 不覚だった。十郎太が勘助の情報を得ていたのではなく、十郎太を始末したいと考え罠を張った鳴張勘助が、わざと十郎太の元へ届くように情報を流していたのだ。

 そして、鳴張勘助そっくりの啖呵売りについて調べ回っている大工の正体が、十郎太の変装であると見抜き、石橋で自分を待ち受けるように舞台を用意してから、【月の輪】を施した武士を刺客として送り込んだのだろう。

 平衡感覚を失った十郎太の身体はぐらりと後方に傾き、仰向けのまま吸い込まれるように中島川の温い水面へと落下する。

 もはや仇は討てないのか。

 鳴張勘助を倒せぬまま終わってしまうのか。

 ――否。

 いた。

 余力を振り絞って身を翻し着地すれば、命脈だけは保てたかもしれない。

 だがそれすらも放棄し、懐から取り出すや渾身の力を込めて投げつけた十郎太の鑿は、石橋の裏に貼り付いたまま【月の輪】の効果を監視していた鳴張勘助の項を刺し貫いた。
                                                                                                                                              (了)

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