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埴 沙萠(はに しゃぼう)さん No.2

憧れの ハニー号←写真あります(勝手に命名  で
駅にお迎えきてくださった時は本当にうれしかったです。
私はこっそり勝手に 埴 沙萠さんのことをハニーとよんでいます。

・ご家族と日本中を巡ったハニー号
それに乗せてもらた、私も何かの一員になれた!勝手な高揚感があった。
車の中も使いやすいように、様々なパーツがご自身でカスタマイズされていた。さすがである。

彼は自分のことを「私」「僕」とは言わずに、 埴 沙萠と言っていました。メールでも 埴 沙萠はね、 埴 沙萠としては・・・・など。
実際にお会いした時も、 埴 沙萠とご自身のことを言っていた。やはり変わった方である。でもこれってすばらしいセルフプロデュース能力。
(さすが水瓶座)
私もいま、この文章を打つにあたってそうしてますが、
 埴 沙萠という名前を単語登録されていたでしょうね!じゃないとスラスラ変換されませんから・・・笑

・光
 埴 沙萠さんは「逆光の 埴 沙萠」と言われていたそうです。そう、確かに常に逆光の中にいらっしゃいました。(撮っていらっしゃいました)
撮影技術のご指導は常に光がどう当たるかでどうなるか、というほとんど光の話題が多かったです。まあ、写真が光がないと撮れないので何よりも重要課題ではありますが、植物の場合、特にマクロ撮影などをするとわかるのですが、光の動きは早いことがわかります。ぐずぐずしていると、違う光になっておりまったく顔がちがうんです。
植物撮影が静物撮影なんてとんでもない話。


・牧野富太郎
 埴青年は、晩年の牧野富太郎氏に(日本の植物分類学の父と呼ばれている)会いに行っています。牧野さんはサボテンとよんでいるが、サボテンではなく「シャボテン」であるはずだ。というような内容の手紙を送り、
お会いできることになったそうです。しかし、その時娘さんの対応がとてもすばらしかったり、、、などでサボテンかシャボテンか、ってことはふっとんだそうです。
なんどもその話をしてくれました。

 埴さんが病気で入院されている時に、東京の大泉学園駅近くにある
牧野富太郎記念館で写真展をやられる計画が進んでいました。遠方での展示の準備なので、私ができることがあればお手伝いする旨を伝えたところ、
なんと!  自分が牧野氏と出会った正確な年を知りたいとおっしゃるのです笑
さあ大変!
 埴さんもいろんな記憶があいまいなことが多かったので笑、どうやって調べたら・・・仕方がない!牧野富太郎記念館に出向き丸投げしてみたところ、思いがけず牧野氏のご親戚?という方とつながり不思議な経験をさせていただきました。
ありがとう、ハニー

今も私は植物を撮っていますが、ここ1、2年ではっきりわかったことがあります。それは私は光を撮ってるってこと。
今のところ植物ってこの地球上のなかでとても光と相性がよくて、と思っていて、植物に対してもうなんて美しいんだろう、なんてすばらしんだっていつも口説いています。すべて美しくあれ、と願い。
↑こんなこと言って、ハニー叱れるかな。

そんなことに気づかせてくれたというか、自分がここに至ったハニーに心からいつも感謝しています。撮影をするたびに彼が浮かんできます。

あ、こんな写真じゃ怒られるなって。笑

・海
亡くなられてからしばらくして、ハニーのお墓参りに行きたいと思いご家族に連絡いたしました。

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遺骨はキレイサッパリ海へまき、実家にも仏壇はありません。
「形が残ると、皆がその場所、モノに執着するだろ」と生前に父が申しておりましたのを実行しました。

そのようなことで、お墓は身近な「海」です。つながっています。

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(↑ ご家族より掲載許可はいただきました)

彼らしいというか、、、、
私が今住んでるまちの港に行かれたことがあるとおっしゃっていたので、
今度、手を合わせに行こうと思ってます。

いただいたサポートはこれからも来双船がよい出会いができるよう、心から感謝しながら使わせていただきます!