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優しさパラダイス

先日standfmでバリアフリーって絶対に必要なのだろうか?って疑問があると話した。それからもたまに考えている。ただその時私が思っていた「バリアフリー」とは父親のことがあったので高齢者にとってのバリアフリーしか考えていなかった。

よく視野を広げると妊婦の方やベビーカーを押している方、年齢問わずなんらかの障害がある人たちはたくさんいるわけで必須なのだが、そうなるとこれまでの住宅事情の根本的なところから考え直さないといけないんじゃない?さらにはインフラ問題もあり・・・と収拾がつかないので、今思っていることを二つのエピソードと合わせて書いてみる。

たぶん、基本的なことかもしれないが。



このエピソードは以前にも書いたかもしれないが、再度。
おそらく初めて車椅子を押したのは7年前。杖がないと歩行困難な二回り年上の友人が高知に帰省するというので、彼女が住んでいる東京・上北沢から羽田空港まで付き添った。マンションから電車に乗り込むまでエレベーターがあったのは助かったけど、改札までの導線と乗り換えがなぜこんなに複雑で遠過ぎるのだろう、体が弱っている人には東京の電車って厳しすぎね、と2人でブツブツ言いながら。


「Y子さんやっぱタクシーで行こう」
「大丈夫よ、ここまで来たら窓からの景色を楽しみながら行くわ」
「恥ずかしいかもしれないけど、空港に着いたらすぐに空港で車椅子を借りよう!私が押すから。あ、でも押したことないから下手だろうけど」
「そうね、空港なら広いから車椅子の方が動きやすいわね。あっちゃん、お昼おごるわ。ビールでも飲んで行ってよ」

普通に歩いていたらほとんど気にならない床のつなぎ目で車椅子に振動がきたり、車椅子を押すスピードに注意しながら移動しないと友人が前のめりになり落ちそうで焦った。シートベルト着用願いますとも言えない。ない、車椅子には。
スピード出しすぎ注意。
視界も違うため、友人も初めての車椅子体験だったので常に小さなアクションにも声かけ。
「押します」「止まります」
さらには
「あ、すてきな人!かわいい!おいしそう!」と私が反応する度に
車椅子をクルッと回転
「あら~、いいじゃない。楽しいわね、車椅子も。あっちゃん、だんだんうまくなってきたわ。」

これはプロの話。
ANA窓口で手荷物検査の介助相談をしたところ快く対応してくれて、1人だけ搭乗口まで付き添える(!)とのことで搭乗ギリギリまでお見送り。
車椅子の友人をそのまま機内に係りの方が案内してくださった。
到着後も迎えに来たご家族のところまで付き添ってくれたとのこと。
おもてなし、というはこういうことか。



昨年末、愛媛から鹿児島の道中で別府温泉に立ち寄った。いわゆる観光地の方は海外からの観光客でにぎわっていたので、地元の方にオススメの湯を教えてもらおうと住宅がある方へ移動した。
街はなだらかな登り降りがあり、細い路地裏にも温泉が点在している。
車椅子の中年女性と入浴セットを持った高齢なおばちゃんが道端で話をしている現場を発見
中「この間○○をもらったからこれ(お返し)。うまくできたようなできなかったような」
高「まあ、いいのに。でもおいしそう!」
中「その後足は大丈夫?」
高「最近は日に2回○○温泉に行ってるから調子がいいの」
と聞こえてきた

なに!?
会話が落ち着いたところで
「あの~、すみませ~ん。中略 2人のオススメ湯を教えてもらえませんか?」と声をかけてみた。

中「あ!それなら○○さん今からなんとか温泉行くでしょ?連れて行ってあげたら?」
高「そうねー。でもあそこは地元の私でも足元がちょっと危ないって思うところだから、今行ってきた○○温泉は?」
と道順を教えてもらった。

高齢のおばちゃんは「あんたタオル持ってる?」って未使用品を渡そうとしてくれた。
その日たまたまかもしれないが、街中で高齢者が高齢者を優しく気づかう場面をいくつか見かけ、普通に手を差し伸べて声かけをしていた。
「あんたはまだまだ若いから!」
「ほれ、ここにつかまって」
「楽しみながらね」
「あの湯がいい、この湯がいい」
ここは優しさパラダイスか?

この大荷物の一番下からタオルを取り出してくれた


街は舗装されているけど、アクセシビリティとかバリアフリーというのはあまり感じられない。
それでも私が出くわした高齢者はキラキラしていて驚いた。
これはなんだろう?孤立せずに笑顔で会話をしているだけ。
人の声かけというバリアフリー。

コインロッカー使用料100円が入浴料
お賽銭箱に入浴料100円を入れる




もしかしたら、きっとどれだけ完璧なバリアフリーで家や街を施してあっても、人の声かけがプラスαとしてないとそれらは完全に機能しないのではないだろうか。素人意見ね!

特に日本の大都市インフラ。
道幅が狭い雑踏で余裕なく歩いていると、いろいろ察しても声をかける時間もなければ、気持ちの余裕もなかったりする。
声かけておせっかいと思われても、と躊躇しがち。
でもこれからはおせっかいでいこう!

北欧のバリアフリーが進んでいる、というのはよく聞くこと。もちろん設備インフラ等進んでいるかもしれないけど国民性もあるのかも。北欧に行ったことがないので想像ですが、”声かけ”が伴っているのではないかと。
簡単なコミュニケーションがそこで行われている。
もう一度言うけど、行ったことがないから想像だけどあながちズレてはいないと思う。
(私の姪っ子が先天盲目で知的の盲重複障害もあるため、国外の福祉について何冊か本を読んだことがあった)


脱線するが、家のバリアフリーをどうしようか模索していたらどうしても”家を守る”という方向性になり防災につながる。来るべきの時の補強や動線や備蓄は倉庫なのか家の中なのか、とか。

ネットをひらけばSNS上では何かがギスギスしており、国はまったく頼りにできない。やっていることは政治ではなくておっさんズの茶番。
ならば、まずは一人一人が目の前に・隣にいる人に干渉するのではなく、共感までいかなくても、相手のことを少し想像してさらりと手を差し伸べるおせっかいの輪があっていいのではないだろうか。



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