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あつこ、推し活やめるってよ

離れて住む友人からの久しぶりにもらったメッセージでインスタで見る私は楽しそうだとあった。確かに、突然歌ったり踊ったりしゃべったり、どこかへプラッと行ってみたり客観的に見てみるとそんな風に見える。よく言われることなので「うん、楽しい」と答えるようにしている。インフルエンサーでも地方の有名人でも何か影響力を持った人間でもない、何もんでもない私が突然そんなことをやってアップすることで「バカか」と思われている節は重々承知しているが、おそらくミュートの方もいると思うので気にはしていない。

私のSNSの使い方は誰かのためになる情報発信でもなく自分の遊び場であり、ある日のある瞬間の「楽しい」が切り取られアップしていることで毎日楽しく生きているように見えるのかもしれない。それは悪いことでもなくアンニュイな感じと思われるよりいい。

飽きるのが怖い。
何かに飽きた時の自分のスケスケ&スカスカ感が怖い。だからいろんなことを経験し、40代後半の私のヘタな歌・踊り・日々に、「あっちゃんなにやってんの?」って誰かが鼻でふっと笑ってくれるだけでもいい、少し心の風通しがよくなれば丸儲け。気をつけないといけないのは、SNSにシェアネタとして楽しむ&遊ぶということはナシ。わざわざ言葉にはしないけど、自分がなにが好きかっていうことはちゃんと軸として持っていたい。

持っていたい・・・(以下、他の人にとっては大したことではないかもしれないが私にとっては重要。ここからが本題)

先週のこと。
突然、重大な決断をした。ラブストーリーではないのが残念。


この記事の中で「推し&推し活」にかわる自分の言葉を探していると書いた。探すというより、上から降りてくるのを待っていた。何ヶ月降りてくる様子はなかったが、バイト先で作業中にその瞬間はやってきた。
「open communicationなんちゃら(作業の過程)やったのに電圧が上がらない…」とcmosセンサーにぶつくさ。その時だ。あ、きた。かわりなんてなかった。
それは”推し活”をやめる、ということだった。
ということは・・・

藤井風さんの推し活やめるってよ。
!!!!!
新しい推しができたわけではなく、おそらくもう推し活ということはしない。

すんなり受け入れる自分と、え?え?何言ってんの?で、仕事中静かに混乱。帰りの車の中ではどんな感情だかわからない涙も。しかし私は考え抜いた結論より、ふっとした閃きで動いた方がまちがいがないのでやめることにする。
折しもその日は推しの誕生日。

次の日からなぜその決断になったのか分析が始まった。
風さんを知ったのはデビュー前の彼のyoutubeチャンネル。(このエピソードは何度も書いてるが)うわ、この人天才!ねえねえ、知ってる?こんな人がいるの!って当時自分のSNSにシェアしたが誰一人もいいね!してくれなかった。
自分の目に狂いはないという自信はありずっと応援し続けた。あっというまに風のように、というより音の速さ光の速さで誰もが知っているトップスターへ。
推す必要がなくなっていたのだ。

もちろん曲は好きだからこれからも聴き続けるし、遠くから応援するし、またライブに行きたいが推す必要がないからシンプルに”好き”というところにおさまった。のだと思う。

子供がセミの抜け殻や海辺で拾ってきた貝殻を大事に持ち帰り自分の宝物としてそれをみんなに見てもらいたくて、ほらっ!って大人に見せる瞬間。そんな見つけたときめきのような瞬間が一番大切で自分には必要なのだ、きっと。継続して同じ気持ちは保つことができないので何事も瞬間。

”推し”&”推し活”という言葉の自分の中の違和感に素直になろう。どれだけ市民権を得ている流行りの言葉でも。というところに落ち着いた。

すでに有名な人、その分野では知られている人、すごい人、おもしろい人、と言われている方々は”推す”必要はないんだけどやっぱりヤヴァ!って気持ちが大きくなるとシェアしたくなる。理由はわからないが、残念ながら相手に嫌われることもあるので推すのはある瞬間だけでいいかな。私の場合。

それでも改めて”推し”って便利だなあと思う反面、どこかにも書きましたが私は自分のとなりにいる人、目の前にいる人、つまりすぐ近くの人・ものを推していきたいと半ば勝手に使命感のようなものを思い出した。推す、というより、背中をチョンって”押す・push”だけ。自慢できるほど友人がいない私の場合、たまに出会えた人が笑顔になってくれたらいい。会えた時のその時間は大切で、瞬間のエネルギーはMAXなのでそれが私のインスタ見れる楽しそうな投稿なのかも。

表現がまちがっているかもしれませんが、”推し”と”ファン”の間にある見えないけど確実にある上下関係のような差がなんとなく引っかかっていた。敬う、憧れる、という線とはあきらかに違う差。おそらくこんなことを考えるのは私だけかもしれないが、よく悪くも媚びたくない。


ま、何かとごちゃごちゃ言ってるが、私、藤井風さんになりたかったんだと思うの。最後まで読んでもらったのにこのオチでごめんなさい。

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