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耕すというカルチャー

事あるごとに書いてますが、中尾佐助の『栽培植物と農耕の起源』という本があるんですが、これ本当にすばらしくて。前付から力説している”カルチャー・cultureという言葉の語源はもともと土を耕すことにあるということ。文化っていうとすぐ芸術・美術・文学を頭に思い浮かべる人が多い。農作物・農業は”文化圏”なんだ、と。本をめくってすぐにガツンときました。人が生きていく上でまず食べることが一番で、そのため植物の改良を重ねてたくさんの作物が栽培できるようになった。今もそれが続いている文化。古本屋でたまたま手に取った当時、写真家だった私はショックが大きかったです。そこから急速に植物に興味を持ち、ヘタですが実際に畑で栽培しています。(家庭菜園ちょー初心者)

スイカの苗を植えたはずがユウガオが咲いている!!なぜだ!?だいぶ混乱。ユウガオからはカンピョウができるが遠慮したい、スイカが欲しい
この苗は初めて試す接木苗。調べたところ接木の台木がユウガオだったようで、ひとつの苗からユウガオとスイカが成長していた。てっきり接木とは同じもの同士を合わせているとばかり思っていた


先日『百姓の百の声』という映画を観てきました。ありがちな農業の「問題」や「技術」がテーマではなく、または苦労話でちょっと胸が苦しくなるような内容ではなく、監督が農家をたずね歩き、現場の声を集め編集されたドキュメンタリー映画。農文協の「現代農業」がバックアップとのことで、楽しみにしていました。
この映画を上映してくれた宮崎キネマ館、ありがとう!


お茶畑管理のバイトをしている時、事務所においてある農文協の「現代農業」を毎日ちょっとずつ読んでいました。技術の専門的はことは少しすっ飛ばして、紙面に出てくる農家の言葉を追いかけていました。みなさんとても個性的で、当然かもしれないがそれぞれ自分の技術を持っており、何より自然と向き合う「観察眼」と「知恵」がすばらしく。
映像の力は強いですね、雑誌で読んでいた時は想像しにくかった現場のことに輪郭ができ、そこにいる農家がしゃべりだすことでグッと引き寄せされました。横田農場のお父さんの子育ての言葉には涙したし、種子法についてはいろんな意見があるけどシャインマスカットを栽培している深谷さんの前向きな姿勢に感動(映画HPにあります)
虫の清友さん、がんばってください!
みんなさん独自の方法で農と向き合っている。


話は冒頭に少しもどり、私が写真家だったと言ってもどんな写真を撮っていたのか?仕事をしていたのか?これは非常に説明しにくく、写真界は本当に枝分かれが多く、今はSNSもあるため写真というメディアは多様すぎて簡単に語れません。つまりアプローチがそれぞれで技法や使うカメラも多種(今ではデジタルが主流ですが、まだまだフィルムで表現する人もいる。機材では大判カメラの4×5・8×10があり、他6×6・一眼レフ・コンデジ・スマホ)そのため農業にも様々な農業があり、技術&道具&機械の使い方も人によって違うということはすぐに理解ができました。
それについてはここに書いてます。

映画『百姓の百の言葉』に出てくる農家は成功している全国の農家の一部。薬剤に頼らず土と作物に向き合うことはとても大変で一握りの人たちしかできないことだと思います。同じ方法でやろうと思ってもまず、畑の条件がちがう。
多発しだした線状降水帯なんか根性なしの私なら対応しかねますと泣きたくなる。故に◯◯農法というのはあってもそれに縛られることなく自分の農法を生み出す方がいいんじゃないかと思いますが、まさにカルチャー(勝手なこと言ってますが)
この映画は若い人に見てもらい、農に興味を持ってもらいたいと思うで一方で(私は挫折したので)いざ現場に入ってみると思い描いていた状況と違ったり、また土地になじめなかったりといろんな理由で離農してしまう人は多いと聞く。

映画の中で新規就農のきゅうり農家夫婦が言っていた「きゅうりで儲けて飛行機で家族旅行をしたい」と言っていたのはものすごく現実的でした。
作家の梨木香歩さんが映画の推薦の言葉として書かれていた一部を引用させてもらいます。これだと思ったので。(不都合があればご指摘ください)

(一つ一つの目的のなかにもまた、それを達成するための目標群があり、その優先順位が条件によって即座に変わる)

映画『百姓の百の声』HPより


「社会のため」というより自分の生活・家族を養うために仕事としてやっている方々もいらっしゃる中で
”食の安全”と叫ばれることが多くなりましたが、ならば”危険な食べ物”があるの?と思ってしまうのが心理。野菜・果物においては農薬が、、、と言われるがそれを農家に負わせるのはちがう気がする…(では養殖は安全なのか?)
国がみどりの食料システム戦略を策定してます。化学農薬・化学肥料の使用削減、有機農業推進。と響きはいいんですが、調べていくと私は素人ではありますが、具体的な計画がないまま政策をすすめているとしか読めません。上の人は現場の声を拾っているのかな?有機農業がどういうことはをちゃんと把握できていないんじゃないか?(私も)と疑問だらけ。勝手に国のゆるふわ政策と呼んでいます。
国が有機農業と掲げてしまうと胡散臭さを感じるのは私だけだろうか。アメリカのご機嫌取りだったらバカらしいし、何かの対立が新たに生まれるんじゃないでしょうか。

食の安全とはなんでしょうか?私たちはいったんその言葉に冷静になる必要があるのかもしれません。もちろん、前にも書いたように農薬を使用した作物に体が反応してしまうという人は例外ですが。

百姓という呼び名は放送禁止用語になっているようです。
でも映画の中で言っていたように、百の仕事があるのが農業。ある時は自分で機械を修理し、植物の生態も知らないといけない、土も、そのための科学の知識も。段々畑で育ててる人は崩れた石積みを直す。また別の足場を作る土木業・・・etc。何より経営者である。そして日々発見者。総合的、オールマイティ。

脱線します。
昨年、奈良県で行われたマインドトレイルという地域芸術祭に参加しました。私は曽爾村という小さな村で地元の方と一緒に作品を作りたいと思い、いろいろと二転三転しまくってなんとかできあがったのが曽爾村の新しい盆踊り。地元のトマト農家さんたちと一緒に合計12時間で曲と踊りを完成。楽器ができて曲が作れる農家たちがそろっているとは最初知らず。


『百姓の百の声』の監督は映画の最後に、”遠くて近い、近くて遠い” たくさんの百姓の声を聞いてきたとして
「さてどうする?」と問いかけていました。(おそらく自分に)

私はどうしよう。
パンもパスタも好きだけどまず米を積極的に食べる!この映画を見たら米が食べたくなります。

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