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手のひらいっぱいの幸せ

 茜は手ごろの石を取って、そっと裏返した。ムカデが出ませんように。少し胸がドキドキする。
 良かった。それまで石がのっていた窪みの底に、お目当てのダンゴムシがいる。茜はそれをいくつかつまんで手のひらにのせた。すると、彼らはしばらくじっとして動かない。

 茜は小学4年生、虫が好きだ。ムカデやヤスデはちょっと嫌だけれど、それ以外なら、毛虫だってゴキブリだって、何でも構わない。
 そんな中でも、触るとじっとしているやつは、何か、「私のことは放っておいてください」と心の中でしゃべっているのが聞こえるようで、特に可愛らしい。だから、クマケムシとかコガネムシが好きなのだけれど、中々巡り会えない。しょうがないから、いつでも見つけられるダンゴムシで満足する。彼らを沢山手のひらにのせて幸せに浸るのだ。
 そんな茜を家族は遠巻きになって眺めている。母親や姉なんかは全く腰が引けていてだめだ。弟は小さくてまだ正体が分からないが、あまり期待できそうもない。父親だけは少し興味を示す。だけど、何かというと、「虫だろうと魚だろうと草だろうと、命は皆同じ」、などと分からないことを言って、正直ウザい。あと、この人は口では言わないが、毛虫が苦手らしい。それを前にしたときの顔つきをじっと見ていると分かる。だから茜は、「何だ、アタシよりダメじゃないか」と思ってしまう。
 
 虫好きなのは自分の名前と関係するかもしれない、と茜はまじめに思っている。
 茜の名はアキアカネから取ったのだそうだ。ついでに言うと、姉の名である早百合はヒメサユリから取った、と父親が言っていた。生き物にちなんだところが味噌だ。
 父親がこの話をするときは、決まって「だって、同じ自然と言ったって、石じゃおかしいだろ。西田ダイアモンドとか西田ルビーなんて」と落ちを入れたつもりになって、「ハハハ」と笑う。
 茜はこの話が嫌いだ。全然面白くない。だから、早百合は「ヘエ」とか言って頷くが、茜はムスッとする。この父親は愚にもつかない言葉遊びが好きだ。人が一生使う名前を遊びで付けられてはたまらない。
 ちなみに、父親の名は西田省吾という。母親の名前は正子。両方とも、どこにでもある、つまらない名前だ。

 虫好きの他に、正直なのが自分のとりえだと茜は思っている。自慢でもある。なぜなら、善人は正直だ。悪い人間は嘘を付く。
 でも最近、この茜の姿勢が周囲との軋轢を生むことが分かった。
 茜は平和な人間だ。めったに喧嘩などしない。だから、そのときも別に喧嘩をしていたわけじゃなかった。
 友達の祐子ちゃんと遊んでいた。その祐子ちゃんに向かって、「あんたブスだねー」と言った。
 正直者の茜だけれど、平和主義でもあるから、いつもはこんな喧嘩を売るようなフレーズを口にしない。本当は「私はブスだけど、あんたもブスだねー」と言いたかった。でも口べたなので、「私はブスだけど」の部分がすっかり抜けてしまった。それだけのことだ。そうしたら、その祐子ちゃんがメソメソと泣きだした。おまけに、まわりにいた子が、「茜はひどいことを言う」と非難した。騒ぎが大きくなって先生がやってきた。「そんなことを言っちゃダメ。祐子ちゃんに謝りなさい」と言う。「なぜ正直に言っちゃあいけないの?」。茜はそこが不満だった。正直な言葉が容赦のない指摘となって人を傷つけることになぞ、気が付くはずもなかった。

 後日、恐らくこのことで茜はいじめられることになった。でも田舎のことだから、大したいじめではないのだけれど。
 あるとき、学校の茜の机の中に見慣れない箱が入っていた。机の上に出してふたを開けると、そこには毛虫が入っていた。
 開けたときは少しびっくりした。でも、茜は毛虫が好きだから、それ以上は騒がないで黙ってふたを閉める。教室を出て、校庭の隅にある草原に毛虫を放してやった。
 「誰がやったんだろう」と茜は思った。これをやった子は茜が毛虫好きなのを知らないのだ。でも、それは良いとして、自分が誰かに嫌われていることは確かだ。茜にはそれがショックだった。
 「先生に言って助けてもらおうか」、と茜は考えた。でも、そうはしなかった。これには、もう一つの茜の気質が関わっていた。
 茜は内向的だった。バリバリの人見知りだ。人に近寄られると、はずかしくて遠ざける。先生から握手を求められても避けるくらいだ。これは本能的なものだ。
 茜もときどき、この気質の原因を考えてみる。人に嫌われたくないのか、怒られるのが怖いのか、そこらへんの理由があって、自分の方から身を引くみたいだが、はっきりとしたことは分からない。ただ言えることは、こういう気質の人間は概して甘えべたで、年上の人に好かれない、ということだ。だから、ややもすると人嫌いと誤解される。
 こうして、今回の小さないじめ事件のときも、茜はそれを先生にも誰にも言わなかった。茜は虫に戻って行った。
 幸いなことに、いじめはそれ以上はひどくならなかった。少し時間が経つと何事もなかったような日常が訪れた。しかし、以前と全く同じではなかった。茜の周りから人がいなくなった。少なくとも茜はそう感じた。だから、いよいよ虫に傾倒した。

 それから10年と少しが過ぎた。2004年の初秋、22歳の茜は北海道の北端にある湿原で独り虫の調査をしていた。これは大学の研究で、ターゲットはハチだ。
 「ちょっと休憩して、飴でも舐めようか」。茜は初秋の青空を見上げながら、しばし物思いにふけった。 
 「ついにここまで来たか」、と茜は思った。故郷の東北から飛び出して、関西の大学に行った。東京は姉がいるから避けた。そして、今は北海道。正直と人嫌いのなれのはてだ。「ハチだから、ダンゴムシからは大分進歩した」、と茜は自嘲気味に笑った。
 子供の頃のいじめ騒動を思い出した。遠い昔の、そして他愛もない話だ。だが、その種の出来事はその後も形を変えながら、茜の周囲で続いた。何度も人を傷つけ、人に嫌われ、自分でも人を避けた。そして虫に浸った。その繰り返しだった。
 皆、自分の性格が原因だ。そんな自分がホトホト嫌になるが、この性格は変えられない。
 子供の頃は分からなかったけれど、これは心理学的に興味深い問題だ、と茜は思った。
 正直と内向的。どう考えても、この二つの性格に関連はない。正直だからといって、必ずしも内向的ではない。反対に、内向的な人が正直とは限らない。
 だが、この独立した二つの性格が揃うと、不思議なムーブメントが起こるみたいだ。その人は人から嫌われる。そして、人はその人から離れて行く。
 どちらか一つが欠けただけでは、こういう悲惨な結果にはならないだろう。たまたま二つがそろうから良くないのだ。茜は運が悪いのだ。
 ここまで考えると、「じゃあ、一体どうすれば良かったの?」、と堂々巡りになる。いつものことだ。それ以上に何かが分かることはない。

 茜は遠くに目をやった。利尻島が見える。
 「今度はあそこに行こうか。そして虫もやめてしまおうかしら。虫に頼るから人が離れるのかもしれない。新しい土地に行ってイチからやり直せば、こんな寂しい思いをしないで済むんじゃないかしら。そうだ。何もかもやめてやろう」と思った。でも一方で、「そんなに自分を捨てちゃっていいの?それってヤケじゃないの?」と考える自分もあった。
 「だめだ、これじゃあまた堂々巡りだ」。茜はため息をついて、考えることを止めた。そして、うつむき加減に重い腰を上げた。「サテ始めるか」。
 天気が悪くなってきた。西の空に黒い雲が見える。茜にはそれが動かしようもない人生の壁のように見えた。

 でも、このとき茜は知らなかった。あと10年もすると、茜は結婚する。しかもその相手は、小さいときにダンゴムシを手にいっばいどころか、鍋にいっばい集めた人だ。世の中にはそんな人間もいるのだ。
 この人は茜の内向的な気質や率直な物言いに辟易したかもしれないが、自分と同じように虫好きであることへの親近感が、そのような負の感情を上回ったのだろう。だから、茜は虫に助けられる、と言っても言い過ぎではない。もしかしたら、そんなに簡単な話ではない可能性もあるが、とにかく、不思議な話であることに違いはない。
 明らかなのは、人生が理屈で推し量った通りには進まない、ということだ。そのお陰で、茜の生きる道にこれまでにない光が差すことになるのだ。だから、簡単に人生を諦めてはいけないのだ。だが、今の茜はまだそのことに気がつかない。

 北の原野を、またひとしきり風が吹き抜けた。茜は空を仰ぎ見る。どうやら雨の心配はなさそうだ。ハチはそんな茜を気にする風もなく、耳元をかすめてお目当ての花に向かって飛翔する。茜はそんなハチを愛おしく目で追いかける・・・。
 

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