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田んぼとごはんと炊飯器と。


オススメに出てきた真咲さんの記事を読んで、唐突に思い出したので忘れないうちに記しておきます。

*   *   *

義務教育を受けていた頃、田植えの日と稲刈りの日は学校を休んでもいいっていう暗黙のルールがあった。
「私も田植えの日に学校休みたい。」っておばあちゃんに言ったら、
「今はもうそういう時代じゃない。」って言われて、私が堂々と学校を休むことは叶わなかった。
それでも学年に一人か二人はそれを理由に休む子がいた。
本人は嫌がっていたけれど、私は羨ましかった。
仕事を理由に学校を休むなんて、大人みたいでカッコいいと思った。

田植えを終えてしばらくすると農薬散布の日があった。
空からヘリコプターを使ってその地域の田んぼに一斉に農薬を撒く日。
その日は朝から家の窓を全部閉め切って、外出することは禁止された。
だから農薬散布の日は決まって日曜だった。学校が休みだから。
いつの日だったか、人体に害があるからという理由で取りやめになった。

盆が明けると、台風の季節がやってくる。
おじいちゃんはいつも用水路の様子を見に行っていた。
「見に行ったって何もできないんだから」と、おばあちゃんが止めても行った。

風が強くなりつつあったある朝、私の自転車がなくなっていた。
「自転車盗まれた!」と大騒ぎする私に、こんな田舎で自転車盗む人なんかおらんと笑いながらおばあちゃんが言った。
「おじいちゃんが田んぼ行くって乗って行ったよ。」
田んぼまでダッシュする途中で、のらりくらりと自転車をこぐおじいちゃんと遭遇した。
怒る私とニコニコするおじいちゃん。
おじいちゃんはいつもニコニコしていた。
その日、新聞を配るのが10分遅れた。


秋になると稲刈りが始まる。
田植えは苦手だったけれど、私は稲刈りが好きだった。
田んぼの中心部分は稲刈り機で刈ってしまうので端っこの部分だけが手作業だった。
おばあちゃんは腰が痛い腰が痛いと言っていた。
「稲を狩る時の手は手首を捻って親指を下にすること」と教えてもらった。
稲を刈る時の、あのザクッとした感覚が好きだった。
毎年、稲刈りの日を楽しみにしていた。
平日に稲刈りをすると聞いた日には「週末まで待って」とゴネた。
稲刈りは、近所に住むおじいちゃんの兄弟と、おばあちゃんの兄弟が集まってやった。
だから私の要望は当然のように無視されて、当然のように平日に実行された。
学校が終わると、水筒とお茶菓子を持って田んぼに走った。

稲刈りの時期は毎年、どこの田んぼにも稲が干された。
その景色が好きだった。
脱穀されていく米を見るのが好きだった。
おじいちゃんの軽トラに乗って、米を精米しに行くのが好きだった。

ごはんはいつもガスで炊いた。ガスの炊飯器。
夜のうちに米を洗って、一晩水につけて、朝火をつける。
炊き立てのごはんを仏壇に供える。
毎朝の光景だった。

*   *   *

昔は自分の家で採れたお米が一番美味しいと思っていた。
でも実家を出たあと、自分で炊いたごはんは美味しくなかった。
将太の寿司っていう漫画に「米は育った土地の水で炊くのが一番おいしい。」と書いてあったけれど、本当にその通りだった。


コシヒカリは美味しい。新潟のコシヒカリ。
新潟から遠く離れた私の家で炊いても美味しい。
新潟で食べたらどんなに美味しいだろう。
生きているうちに口にすることができるだろうか。


あのガス炊飯器は、もうない。
うちのごはんが食べたい。
おばあちゃんが炊いた、少し柔らかめのうちのごはん。
同じように炊きたくて、水を多めにしてみたけどできなかったうちのごはん。
これはもう、叶わない夢なんだよな。


おわり。



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