東南アジア研究の維持と廃止-某ジャーナルの炎上した記事とそこへの応答の考察(笑)

Critical Asian Studiesジャーナルに掲載された(米国の)東南アジア研究を批判するノートに対して、ツイッターにおける過熱気味の応酬が発生。その中でジュリアス・バウティスタや私が去年話していた内容が言及されたみたい(現在は削除?)。

個人的にはツイッターで大学院生のフィールドノートをバッシングするのはプロの研究者らしくないと思ったので、そこへ応答した研究者たちの反応を含めて考察しようと思う。(大学院生、非難されても凹むな!でも炎上から学べ!俺も炎上したことはある!)

議論の的になったノート自体は、博士課程の学生のフィールドノートで、米国における東南アジア研究の存在意義、学問としての脱植民地化が可能かどうかを問うもの。その文脈で読めば「ふーん」という感じ。ただ、米国での利用価値だけを考えて、東南アジア研究全体の存在意義に疑問を呈する記事だととられかねない書き方をしたから、炎上したのだと思う。

日本や東南アジアや中国で東南アジアについて研究している研究者からしたら、「いや、米国の利益にならないから私たちの東南アジア研究も必要ないって言うんじゃないよね?」という感じはしたと思う。炎上したのは、私の友人でもある南洋工科大のFaiza Zakariaが「この記事を読んで非常に動揺した」と書いたのが始まりで、彼女も「数学や他の学問にも共通している問題なのに、なぜ東南アジア研究だけを攻撃するの?」というようなことを書いていた。(これも現在は削除。)

↑去年10月のイベントでFaizaとジュリアスとBeiyu Zhangと私自身は、

「もちろん英語圏での出版やジャーナル掲載でアジャストしなきゃいけないことはある。けれど、読者層という意味では、今は東南アジアに関する関心を持ったアジアの読者がしっかりいるので、もはや米国の研究者たちの受けを狙って書かなければならないみたいな前の世代の強迫観念を私たち世代(30代の歴史家たち)は共有していない」

という点で合意していた。そういう意味では、上記のCritical Asian Studiesのノートが炎上したのは、アジアの読者層をしっかり想定できていなかったからとも言える。

私は、欧米で東南アジア研究をしたことが無いし、アジアや日本向けに書いているから、米国の東南アジア研究の組織的な問題や権力関係や文化や、その衰退には正直言ってあまり関心も無いし、そこだけが中心だと感じたことも無い。

今では東南アジア研究も、シンガポールやブルネイや中国が生き生きしてるし、日本では相変わらずなんじゃないかな。そういう意味では、アジアにおける東南アジア研究は元気で、我々世代からはアジア域内のつながりを通じた新しい関心が出てきたりしてる。米国の東南アジア研究の脱構築や脱植民地化だけに没頭する必要性も感じない。(もちろんそれも重要なので続けましょう。)

国別の研究でも、今はフィリピン研究は中心が米国からフィリピンにほぼ移り切ってるし、東ティモールの社会科学に関してはオーストラリア(歴史学はポルトガル語圏)、インドネシアの政治学も多分オーストラリアやインドネシアが強いんじゃないかと思う。

なぜこういう違いがあるかというと、地政学的な背景もある。「東南アジア研究」を維持したい国々にも、それを無くしたい国々(今の米国とか)にも地政学的な利害がある。だって、米国からしたら、ASEANと交渉するより、小国と2国間で交渉する方が絶対有利だもん。ASEANの正当化に役立つのに、米国の国益とあまり関係がない学問に投資するメリットは無い。

それに対して、距離的に近い日本やオーストラリアにとってはいまだに「東南アジア」の知識が利用価値がある。東南アジアの研究者たちにとっても、「東南アジア」は重要であり続けている。もちろん米国とは逆に、小国の集まりである東南アジアは、「ASEAN」として集団で米国・中国・日本などの大国と交渉する方が有利だし、域内共通の歴史や共通の問題を認識する手段として「東南アジア研究」という枠組みをキープする動機がある。(個々人の東南アジア研究者は、おそらくこんな地政学的関心はそっちのけで好き勝手な研究をやっているけれども)

上の記事が炎上した背景として、アメリカの研究者たちやアメリカにいるアジア人の研究者の引用実践もあると思う。英語の文献だけ引用して、フィリピノ語やインドネシア語の文献を引用せず、自分たちが中心となって新しい知識を作り出しているかのように振る舞うのは、アジアにおけるアジア研究が盛り上がってる今ではちょっと滑稽だし、数字が個々の研究者の評価につながっている現状を考えれば悪質でもある。「米国の東南アジア研究」だけを議論して、それが東南アジア全体であるかのような議論をする記事に対して、かなりたくさんの批判が寄せられたというのは(それを学術雑誌や個人ブログじゃなくて、ツイッターでやっちゃうのはちょっと子供っぽいとは思ったけど)、米国以外で東南アジア研究を実践している研究者のプレゼンスがインターネットでも強くなっている証拠なのではないかと感じた。

個人的には、ツイッターバースで論争していても不毛だし、良質なアジアにおける東南アジア研究を実践して、静かにお互い引用していけばいいと思う。

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