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まとめ 今年読んだフィリピン研究本(主にここ10年くらいの作品)

この記事は無料で9割くらい読めます。最後のフィリピン研究史雑感だけ有料にします。

2月に2ヶ月くらいの予定でミンダナオ島にフィールドワークに来てから、すぐに防疫体制が始まってしまいました。、職場のシンガポールに帰れなくなり、結局ちびちびフィールドワークしながらミンダナオから仕事をすることになりました。いろいろと大変ではあるのだけれど、これはこれで良かったかなとも思います。自由に使えるというほどでもないけれど、ビサヤ語で話したり、新聞読んだりできるようになりました。

Kindleは使えるのだけど、今年は海外から本が買えないので、主にアテネオ・デ・マニラ大学出版が出しているフィリピン研究の本を読むことが多くなりました。アテネオは、アメリカの大学出版で出してるのを国内向けに安価でさばいていたりもするので、お得です。

私とフィリピン研究

私は、元々はフィリピン研究というよりは、インドネシア・東ティモール研究がメインの人ですが、全体としての東ティモール史の研究史が短くて他の国に比べると弱いので、インドネシアの他に、自分がわりとよく知っている日本(と大日本帝国の植民地)とフィリピンを比較対象としながら書いてきました。

フィリピン史に関しては、主にレイナルド・イレート教授と今は京大にいるジュリアス・バウティスタ先生に教えられました。イレート先生の「キリスト教受難歌と革命」はフィリピン研究の性質自体を大きく変えた作品です。植民地主義の尖兵と見なされてきたカトリック教のフィリピン人による読み替えや、それがどうフィリピン革命の言説の枠組みを作ったかということをトピックにした作品です.あと、ジュリウス先生が2010年に出した「Figuring Catholicism」は、セブ島におけるサントニーニョ信仰(子供のイエス・キリスト像の信仰)についての研究は、自分の作品を書く時に方法論として参考にしました。同じサントニーニョ信仰に関わっている人たちでも、教会、教会で仕事している人、巡礼者、売店のおばちゃんなどがそれぞれ全然違う信仰を持ってそれに接しているという話です。

ジュリウス先生とイレート先生の他には、今はカリフォルニア大にいるオオナ・パレーデスとうちの学科で講師をしているポルシャ・レイエスの授業を取ったか聴講したことがあります。彼女たちの作品面白いのだけど、今年読んだのじゃないから今回は置いておきます。

あと、家族がミンダナオ人だというのもあるので、家族に関心があれば多少勉強はしますよね。

以下、今年読んだ本のまとめです。

まとめ​

1. Patricio N. Abinales &  Donna J. Amoroso, State and Society in the Philippines

フィリピン史の定評がある教科書だと、テオドロ・アゴンシーリョのが冷戦時代には一番定評がありました。アゴンシーリョの本は、「ナショナリスト」的だと言われるんですが、かなりしっかりしてますし、アゴンシーリョは作家としてキャリアをスタートした人でもあるので、文章うまいし、読んでて面白い本です。ですが、彼が亡くなってからもう何十年も経つので代わりの教科書が必要だというので、書かれたのがアビナーレスとアモローソState and Society in the Philippinesです。

この本については、アゴンシーリョの本と比較するといいでしょう。アゴンシーリョの歴史学は、1870年代までフィリピン人自身による著作物があまりなかったから19世紀後半から本当の意味でのフィリピン史が始まるとしていました。ここ数十年でかなり植民地化の早い時期のフィリピンと東南アジアの研究が進みました。なので、State and Societyでは、植民地化前後のフィリピンを東南アジア全体の流れの中で解説しつつ、16-18世紀の記述をかなり刷新させています。

19世紀以降は、アビナーレス先生自身の特色が反映されている部分です。元々は政治学者で「プログレッシブ」であることを自称されてる人なので、フィリピン革命からドゥテルテ政権の初期まで、ほぼ一貫して「よりよい社会を作ろうとする」側に立った記述がされてると思います。アゴンシーリョの歴史がかなりルソン島中心的だったことと比較すると、ミンダナオの専門家であるアビナーレスは、ルソン、ビサヤ諸島、ミンダナオの主要3地域についてバランスを取ろうとしているのが特色です。アビナーレスは、アメリカ政治学の訓練を受けた人でもあるので、アメリカ産の理論に対する批判はポストコロニアル研究路線のワタシからすると、やや手ぬるいかなと感じました。でも、全体としてはしっかりしているので、今の所一番使いやすいフィリピン史の教科書ではあると思います。

2.レナト・コンスタンティーノ「フィリピン民衆の歴史」

この本は70年代に出た本で、他のよりちょっと古いです。院生のときにもイレート先生の課題で読んだのですが、今は冷戦研究をしているので日本語の第3,4巻に当たる部分を再読しました。日本語版は、あの鶴見良行訳です。

フィリピンって案外歴史家の知識人が中産階級に影響力を持っている国です。冷戦時代の知識人の中では、アゴンシーリョと並んで有名なのがレナト・コンスタンティーノです。でも、アゴンシーリョが歴史学に忠実だった歴史家だとすれば、コンスタンティーノは啓蒙家でした。アメリカの新植民地主義を真っ向から批判した人です。歴史学者としては、脚注の管理がちょっと下手だったり、新しい史料を紹介してなかったりするので厳密にアカデミックな研究とは言えないのですが、コンスタンティーノの本はとにかく社会派で内容が面白く、フィリピンの読者たちに人気があるので、とりあえず読んでみるといいです。

再読してみて思ったのは、日本人でフィリピン研究を始める人は、コンスタンティーノから始めると良さそうだな、ということです。外国勢力のフィリピン介入については、常に簡潔にずばっと批判する人で、フィリピン人の多くが共感できる批評家なので、日本の関わり方の問題、米国との関係における共通の問題などがコンスタンティーノの作品を読むだけでわかった気になれます。

コンスタンティーノは「民衆の歴史を書く」ということを常に言っているのですが、それは彼が思う所の「民衆の利益を優先して書く」という意味です。同じように民衆の歴史を書くと言ってきたイレートが、タガログ語の史料(詩や歌など)の現象学的な解読によって民衆の精神史という分野を開拓したのと比べると、「知識階級であるコンスタンティーノが民衆を啓蒙してあげる」という構図になってしまっていることは否めません。コンスタンティーノが自らを「前衛集団」と代表とするオーソドックスな左翼思想家だとすると、イレートの方法のが毛沢東主義的(大衆から学べ)です。

3. 日下 渉「反市民の政治学: フィリピンの民主主義と道徳」

日下先生の本も英語版を読みました。こちらは1990年代後半から2000年代前半をメインにした研究で、マニラにおけるピーポーパワー2(アッパーミドルが参加した反エストラーダの運動)とピーポーパワー3(無産階級の人々が参加したエストラーダ支持の運動)、そしてアロヨ政権期の都市空間をめぐる政治と闘争などを扱っています。実際にマニラのスラムに住んでフィールドワークした作品なので、無産階級の人たちと「市民運動」に関わるミドルとアッパーの人たちの道徳観・世界観の違いがいきいきと描かれています。歴史学・人類学畑の私からするとやや「図式的すぎないか」と感じる部分はありますが、かなりエキサイティングな読み物でした。私自身は、ミンダナオでフィールドワークをしているのですが、日下先生が研究されたスラムの人たちと共通する点が多くあるので、私自身共感する所が多いです。

4.Resil B. Mojares , War against the Americans: Resistance and Collaboration in Cebu, 1899–1906(とアゴンシリョの「運命の歳月」)

モハーレス先生の本は、セブ島におけるフィリピン・アメリカ戦争(1900-1910年ごろ)の研究です。フィリピン国内ではビサヤ地方の研究者としてかなり尊敬されている人です。イレートと同じく、モハーレスも日本軍が占領した第二次大戦と比較して、「忘れられた戦争」となっていることを問題視しています。アプローチとしては、社会全体史(社会を構成するできるだけ多くの集団や個人を範疇にいれた歴史)で、とても完成度が高いです。この時期のセブについて知りたかったらとりあえずこれを読めばいいと言えます。似たような作品だと、テオドロ・アゴンシーリョのフィリピンにおける第二次大戦の研究があります。アゴンシーリョのは、自分がマニラで体験しているので、史料とともにフィールドワークに基づいています。それもおすすめです.

例えば、私がティモール島かあるいはミンダナオの第二次大戦について書く機会があったとしたら、モハーレスのWar against the Americansかアゴンシリョの「運命の歳月」みたいなのを書きたいですね。


5.Vina A. Lanzona, Amazons of the Huk Rebellion
Gender, Sex, and Revolution in the Philippines

Amazons of the Huksは元々ウィスコンシン大学出版から出された本で、国際的に高い評価を受けている作品です。1950年代の、いわゆるフク団に参加した女性ゲリラたちと彼女たちに関する言説の研究です。こちらは文献に加えて、100件ほどの元ゲリラたちへのインタビューに基づいています。

当時の一般メディアが女性ゲリラたちを女性として欠けた存在として表象していたことの分析からはじめて、本論では革命における女性たちの位置付け、革命に参加した文脈、日常生活や恋愛、そしてフィリピン(革命)史の中での彼女たちの位置付けなどについて書いています。

6.Vicente Rafael, White Love

https://www.dukeupress.edu/white-love-and-other-events-in-filipino-history

ラファエル先生は、言語学と歴史学の間で「戯れている」歴史家として特異な地位を築いている人です。個人的には、彼が書いた本ではContracting Colonialism(博士論文に基づいている)が最高傑作かと思っています。

White Love and Other Eventsでラファエルがやろうとしていることというのは、フィリピン史における英語とアメリカの植民地主義について、センサス、アメリカ人女性、メロドラマ、日本占領期の位置付け、マルコス夫妻の自伝や絵画、エロビデオなど歴史家が無視してしまいそうなテーマから考え直してみるということ。ところどころ、ラファエル先生の想像力で書かれすぎてて、歴史家的にはつっこみどころがあるところもあるんですが、方法論としては面白いと思います。読み物としても面白いけれど、相変わらずフランス哲学風の書き方なので、読者を選びます。その後出たThe Promise of Foreignも含めて、Contracting Colonialismの質には及ばないかなー。

7.Reynaldo Ileto, Knowledge and Pacification

Knowledge and Pacificationは、私がお世話になりまくっているイレート先生の最新作です。私が知ってる限り、彼はこの本を書いていたので、かなり長い時間かけて書いたものだと思います。この本でやろうとしているのは、フィリピンとアメリカ、そして日本の関係をフィリピン人の史料を中心に考え直してみようということです。歴史学自体、史料が無いと書けないという文書中心主義的な問題があります。文書書いてる人間の大多数がアメリカ人だったりするので、「客観的事実」がアメリカ人の史料で埋め尽くされてきた、という背景があります。

3つパートがあって、1つ目がフィリピン・アメリカ戦争について。この部分は、主に村とか町レベルのリーダーたちに着目しつつ、この戦争について書いています。フィリピン精神史の開拓者だけあって、このパートは技術的にも手堅いし、読み物としても素晴らしいクオリティです。

2つ目のパートが、フィリピン人の間での歴史認識と記憶の問題に関するもの。フィリピン・アメリカ戦争が忘れられていった過程、テオドロ・アゴンシーリョの「大衆の反逆」(オルテガの本と似たタイトルですが、フィリピン革命に関する古典的で非常に重要な作品です。)に関する論争、ホセ・リサールの著書の学校教育への採用を周るディベートなどを扱っています。マルコス大統領の右腕だったイレート先生のお父さん、ラファエル・イレート(軍の司令官)と著者自身の世代の異なる二人が経験した「アメリカ」を比較した章が個人的には好きです。イレート教授がなぜアメリカと対峙する歴史家になったのかがよくわかる章だからです。

最後の3つ目のパートは、アメリカにおけるフィリピンに関する知識生産の批判的な考察です。彼はそれを「オリエンタリズム」として扱っています。アメリカにおけるフィリピン・アメリカ戦争に関する記憶の操作、「慈悲深い平定」「アメリカによる教育とフィリピンのアナーキー」「ボスが金権で支配するフィリピン政治」などのイメージが、アメリカのオリエンタリズムの産物であることを証明しようとしています。ここは特に賛否分かれるところだと思います。私個人としては、気持ち的には共感しますし、彼のほとんどの主張がおそらく「正しい」主張なのだと思います。スペインと日本を比較対象としてひっぱってくるのもよい方法だと思います。ただ、うまくいえないけれど、もう少しうまく米国による知識生産を批判できそうだという感じはするんですよね。

その他

他にアンべス・オカンポ(フィリピンで一番売れてる歴史家)やニック・ホアキンのルポタージュ、ジム・リチャードソンの「コミュニスタ」とかをかなり読んみました。アンべスに関してはとても尊敬しているし、ホアキンのルポタージュは60年代を理解するのにとても役立ちました。実際、アンべスの小冊子にはかなりつぎ込んでしまった。トリビアみたいな話ばかりだし、毒舌な批判とかは無いのなのだけれど、読み物として面白すぎる。

リチャードソンの本は、書かれた時代が少し前なのもあるけど、フィリピンで起きているいろいろなことを「フィリピン人の病理」としてしか見れないというのは、ちょっと浅いなと思いました。フィリピン共産党が出てきた経緯の説明自体はしっかりしてるから、そういう西洋人あるあるの偏見まみれでなかったらもう少しよかったのにと思う。


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