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講義用ノート コミュニティ形成の東南アジア史(1)シリーズ概論

本業です。シンガポール国立大で教えている大学2・3年生向けの「東南アジア史入門」の授業をコミュニティ形成史として作り直し、日本語の講義用ノートを作る計画です。ちびちびやります。域内の研究もできるだけピックアップしていきますが、東南アジア研究の系譜的には、ビクトール・リバーマン → マイトリ・アウントゥイン → 土屋、あるいはD.G.Eホール → オリバー・ウォルターズ → レイナルド・イレート → 土屋です。なので、基本的にはミシガン大及びコーネル大系列の伝統に基づいて(多少はこの伝統に対峙して)書きます。

続き→. https://note.com/kishotsuchiya/n/n89d0b5694ed4/edit 

導入

約一千年前のある日をイメージしてみて欲しい。太平洋から西に向かって太陽が登り、朝を迎える。一様に荘厳な表情を浮かべつつ、様々なスタイルで作られたシャカの像とともに日本、朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、ミャンマーなどに建てられた無数の寺やパゴダや巨大な建造物が日光に射られて姿を表す。インドネシアのジャワ島では、広大な稲作地や火山に囲まれたジョグジャカルタの丘に、ボロブドゥールという世界一大きな建造物のひとつが建っている。数千人の労働者たちが数十年をかけて建てたボロブドゥールには、シャカの教えやその人生を象徴する石画が掘られており、巡礼者たちは恭しく、螺旋状に歩きながら覚者の生と死を追体験している。スマトラのシュリーヴィジャヤ王国では、インドに向かおうとするたくさんの国々からの僧侶たちが共にサンスクリット語や仏典を勉強している。

インドや中国を経由した仏教伝来は、後のイスラム教やキリスト教と同様に、加速していく世界のつながりの証左でもあり、仏教の教えとともに、新しいアイディア、技術、商人や冒険者たちをもたらした。新しい人の動きは、新しいビジネスを作り出す。仏教徒たちは移動し、言葉や出身地は違えど、信仰を同じくする人々と出会い、新しいコミュニティを作り出した。国際的な生活を経験した人々は、土着の信仰の限界を認識し、「もう昔には戻れない」と感じている。

その日から約500年後、最初のヨーロパ人たちの船が東南アジアに到着する。続く数世紀の間、東南アジアは貴重な資源を西洋や北米に供給することによって世界経済に吸収される。そして、植民地資本主義を支える新しいタイプのエリートたちが生まれてくる。さらに約4世紀経た19世紀末、米国や日本がこの地域への介入を始めるが、それは太平洋戦争、そして20世紀後半のベトナム、カンボジア、ラオスでの無数の生命を奪う壊滅的な戦争へとつながっていく。植民地資本主義や冷戦などを含む対立構造もまた、様々な国民共同体、宗教共同体、そして地理的に条件によってつくられる様々な集団を作り出してゆくこととなる。

概説

東南アジアの歴史は、様々な集団が帰属意識や同盟を作り変えてゆく長編大河ドラマのように把握することができる。生活空間、政治、ビジネス、宗教、エスニシティ、言語、職業や階級、征服などを要因として作り出された集団が、あるときには大きなコミュニティを作り出し、またあるときにはコミュニティを変革する必要性に迫られた。

長い人類史の中で、人々は様々な世界の秩序、社会の組織、統治機構、道徳観、権威のあり方を創造してきた。東南アジアの人々は、他の地域、特にインド文明、中国文明、イスラム文明、そしてキリスト教文明との関係を持つことで、これらのアイディアを模倣、改良、あるいは拒絶しながら地域的な独自性を作り出してきた。 

このシリーズでは、東南アジア史を、コミュニティ形成史として再構築する。まず植民地化以前の様々なコミュニティの起源を暴き出すことを目標とする。その上で近現代東南アジアを、長い歴史によって生じた共通性と多様性を持つコミュニティと位置づけつつ、基本的な特徴を捉えることを目指す。近現代は、欧米の知識、技術、道徳観、経済や文化が東南アジア人の世界観や生き方を影響した時代である。植民地時代以降の東南アジアの人々の西洋文明に対する様々な態度は、現在の東南アジアの共同体のあり方や今も続く問題に直結している。

方法としては、東南アジア史家の作品や第一次資料を読み込むことにより、東南アジア人たちにとっての「近代化」とは何だったのか、その中で作り出された共同体とはどのようなものだったのか、「東南アジア」とはどのような場所なのかを考えていきたい。

コミュニティの概念

本シリーズでは、コミュニティ形成史として東南アジア史を再構築することを目指している。東南アジア史は、権力者たちの盛衰を中心に書かれた時代もあれば、外国からの支配の歴史として書かれたこともある。第二次大戦後のイェール大学やウィスコンシン大学などでは、「自律的な東南アジア史」がスローガンとして掲げられており、この学派は世界的に大きな影響力を持った。あるいは地域間の交流史、経済史、あるいは地域研究の延長として書かれたこともある。

ここでは、本シリーズの特色を説明するために、コミュニティの概念について簡単な説明を加えておきたい。

一般的にコミュニティは、何らかの共通性を持った社会集団と考えられている。コミュニティの類型としては以下のようなものがある。

1つ目は、場所に基づくコミュニティである。この種のコミュニティには、隣組、村、町のような比較的小さいものから、都市、地域、ネイション、あるいは地球村のようなものまでイメージすることができる。シンガポールは都市、フィリピンは国民国家、東南アジアは地域を基礎にしたコミュニティと呼べる。

2つ目の類型は、アイデンティティに基づくコミュニティである。アイデンティティには、徒党や派閥、民族集団、人種、階級、宗教団体、サブカルなどがある。より広く解釈すれば、世代などもこの類型に入れて良いかもしれない。例えば、東南アジアに定着した中国系の移民である架橋やキリスト教徒たち、インドネシアの革命家たちの世代などは、アイデンティティをベースに強い結束力を持ったコミュニティと考えられる。

3つ目の類型は、組織に基づくコミュニティだ。家族、ギルド、会社、政治団体、職業団体、国家、活動家たちの国際的なネットワーク、NGO、地域機構のようなものが入る。主権国家、フィリピン共産党、ASEANなどがわかりやすい例だ。米国に本拠地があり、東ティモール独立運動に関与したNGOのネットワークであるインドネシア・東ティモール行動ネットワークなどもこれに含められる。

しかし、このような分類が自然なものだと考えないで欲しい。本シリーズでは、このような様々なコミュニティが人々によって歴史的に作り出されてきた過程を追っていきたい。

本シリーズの「コミュニティ」に対するスタンスは、戦後日本の思想家である吉本隆明の「共同幻想論」ニーチェの「道徳の系譜」、イギリス出身のインドネシア研究者であるベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体論」を踏まえていると考えてよい。家族よりも大きなあらゆるコミュニティ、例えば大学のサークル、部族、宗教団体、会社、そして国家や地域共同体は、ある種の共同の幻想を持つことによって成立しており、そのうち大きなものは構成員のほとんどがお互いに面識を持たない「想像の共同体」だ。かつては存在していなかったコミュニティを人々は想像し、実際に現実に存在させ、機能させるために肉付けを行ってきた。

しかし、歴史を考える上では、コミュニティとの関係において個人の役割も重要となってくる。強烈な個性によって新しいコミュニティを作り出す指導者などがいる一方、コミュニティにうまくフィットしない知識人やマイノリティが存在する。吉本の言葉を借りるならば、個々人の構成員とコミュニティの利害や考え方は、逆立(ぎゃくりつ)するのだ。簡単に言えば対立する。コミュニティに個々人が完全に埋没してしまうと、第二次大戦期の日本のように、普通の人たちが国家のために特攻していくというようなことが起きてしまう。個人個人が持っている幻想や思想(ニーチェ用語での「貴族道徳」)は、洗練させていけば個人の良識を育て、コミュニティの暴走に歯止めをかけるためものとなる。

しかしそれは、家族が共有している対幻想(夫婦、兄弟姉妹の幻想)、コミュニティが共有している共同幻想とは別物だ。しかも、個人は、家族や共同体との関係を作らない限り、存続していくことができない。「貴族道徳」を洗練させて絶対に正しいと思えるところまで来ても、コミュニティとの関係を持てば独善性が明らかになる。だから、正しさは、他人と確認しあわなければ社会的には意味をなさない。しかし、ここにあるジレンマは、個人においては非常に理性的で優れた考え方が、共同体の幻想、ニーチェの言う「奴隷道徳」と同調することによって失われてしまう危険性があることだ。

多くの人々は、コミュニティに対して嫉妬や愛情を含む疑似恋愛的な関係を持ったりする。そして、それと生死を共にしたり、過去や未来を共有しているという感覚を持つ。だからこそ、個人の幻想はコミュニティを複雑な感情を持って抱きしめたり、同調したり、反抗したりし、コミュニティのために殉死したりする。引いてみると、こういった現象は虚偽や詐欺にみえることもある。

このようにコミュニティは、私達にとって生存に必要なものでもあり、強い感情の対象でもあり、あるときは私達を危険に晒しかねないものだ。だからこそ、コミュニティの起源、それを成立させている思想やインフラストラクチャー、時代性などをあばくことは有意義だ。

そういうわけで、本シリーズは、歴史的人物たちだけにフォーカスしたり、コミュニティとその共同幻想だけに着目するのでもなく、個々人とコミュニティの関係、コミュニティ間の関係といった関係性を主題としていきたい。この観点から東南アジアのコミュニティ形成史を再構築しつつ、どのような地理的、経済的、技術的、文化的、政治的、知的、そして法的な条件(インフラストラクチャーと読んでも良い)がコミュニティを成立させる共同幻想や共通のイメージのようなものを作り出し、新しいコミュニティの形成を可能にしたのかということをに着目していきたい。

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アジア研究、特に東南アジア研究の前線の話がかじれます。 それから、大手の出版局・大学出版局から本を出すことを目標にしてる人たちには参考になる内容があると思います。良い研究を良い本にするためのアドバイス、出版社との交渉、企画書の話など。

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