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ドールズ

16
第4回 ハヤカワSFコンテスト投稿作品
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#長篇小説

ドールズ 《16》 完結

ドールズ 《16》 完結

 数日が経った。

 グレンのAIプログラムをきちんと是正する義務を怠って誘拐を防がなかったとして、執事が送検された。執事は

「ぼっちゃまは、ぼっちゃまでしたから……」

 とだけ言い、大人しく拘留されて取り調べに応じていたらしい。

 グレンは法律区分では人ではないため、エネルギー供給を停止し、そのAIプログラムを消去することになった。あの生々しいやりとりを思い出すにつけ、レイチェルは複雑な気

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ドールズ 《15》

ドールズ 《15》

 レイチェルはダミーの眼鏡型簡易モニタを顔にかけた。不審に思われては困る。そうやっておいて、特殊レンズで本部からの指示を読む。

 この棟のマップが届いていた。設計段階のものだが、恐らく非常口などの位置は変わっていなさそうだった。本部に通信する。

「私です。ミラです」

『聞こえている。まさかグレンが直接出てくるとは思っていなかったな』

「ええ、話を聞いてみたんですが、本当に良いお話で……」

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ドールズ 《14》

ドールズ 《14》

 明け方、着替えをしに自宅に戻った。足音を忍ばせて部屋に入る。キワはまだ起きていないようだった。寝室を覗こうとキワの部屋に向かっている途中で、何かのビープ音が響いているのに気づいた。走ってキワの寝室に入り、浄化装置のモニタを見た。急激に血圧と心拍が低下していた。脳波も乱れている。急いで救急措置に入った。なんで私の端末に数値が入ってこなかったんだろう。レイチェルの脳裏に疑問がよぎったが、今は余計な事

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ドールズ 《13》

ドールズ 《13》

 翌日、博士の了解をとりつけて、アベルの記憶は改ざんされたとおりの記憶で上書きされた。記憶バンクネットワークシステムは、子ども本人のプライバシーに配慮され、親はどんな記憶が毎日上書きされているのかをチェックはできないようになっている。ただし、今回はどんな記憶が挿入されたのか、隊員全員が知っていた。

 記憶が同期されるとすぐに、グレンはとっても仲の良い友達なんだよ、と話し始めたアベルの様子を、隊員

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ドールズ 《12》

ドールズ 《12》

「レイチェル、おはよう」

 キッチンにたたずんだまま考え込んでいたレイチェルがはっとして振り返ると、キワが立っていた。ガウンを身につけて、髪を拭きながら、昨日と変わらない顔で微笑む。

「おはよう」

 レイチェルも微笑み返す。

「数値は?」

「レイチェルに送ったよ」

 了解の意を伝えるために軽く手を上げると、レイチェルは眼鏡型簡易モニタに数値を呼び出した。数値をチェックしながらキワに問い

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ドールズ 《11》

ドールズ 《11》

 目が覚めると、見慣れた天井が見えた。昨日は帰宅すると、キワが調子がイマイチなのですぐに寝ると言って寝室に行ってしまったため、レイチェルも用意されていた夕飯を食べたあとわりあい早く寝てしまったのだ。

 寝返りを打つと窓の外を見た。まだ薄暗かったが、珍しく早寝したためか充足した気分だった。

 起き上がると、特殊レンズをつけていないのを忘れて時計を呼び出した。当然のことながら、視界には何も現れなか

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ドールズ 《10》

ドールズ 《10》

 レイチェルは警察署を出て、駅から共有ポッドに乗ろうと、ターミナル階層の雑踏を歩いていた。オフィス街区やビジネス特区からそれぞれの居住街区に向かうポッドは、居住区別に駅が分かれている。コーラルシティは階層が厳しく分かれており、それぞれの居住区へはIDがないと入ることはできない。レイチェルはA街区へ向かうための駅に行きかけ、ふとE街区への駅へ繋がる通路を見た。

 キワはターミナル階層をぐるりと見渡

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ドールズ 《9》

ドールズ 《9》

 一週間後、レイチェルはアベルと一緒に問題の児童保育施設の扉が見える場所に立っていた。髪色をアベルと同じ黒色にし、長く背に垂らしている。瞳の色も濃い茶色に変えた。

 レイチェルの手を握るアベルの手はほんのり温かく、けれど子ども特有の湿っぽさは感じられない。人工皮膚には人ほどの汗腺がないからだが、それが妙に人形らしさを際立たせていた。レイチェルには、見破られることはないと言われながらも、一抹の不安

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ドールズ 《8》

ドールズ 《8》

 真新しい白い扉を開き、ラボに入る。受付の色白の女性がレイチェルに向かって会釈した。

「レイチェル・ブラッドバーン。本日午前に博士に約束を」

 レイチェルがそう言うと、女性はにこやかに立ち上がり、レイチェルにIDをかざすように促した。レイチェルは持っていたIDを機器にかざす。ピッと音がして認証が終わった。

「失礼しました。認証いたしましたので、どうぞ博士の部屋へお進みください」

 ふたたび

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ドールズ 《7》

ドールズ 《7》

 自宅で眠りについたレイチェルが次に目を開けると、遠くからやってくる人物を、目を見開いて確認しようとするノーマの横顔が目に入った。

 ああ、またこの夢だ。

 レイチェルは苦い気持ちになる。この夢は嫌だ。すぐに目を覚ました方が良い。

 気持ちとは裏腹に、ノーマは血相を変えて近くにいたレイチェルとキワを呼び寄せ、敷物を剥がすと食料を備蓄するための床下倉庫に押し込んだ。レイチェルはノーマのただなら

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ドールズ 《6》

ドールズ 《6》

 レイチェルが帰るために廊下を歩いていると、レイチェル、と声がかかった。振り返るとデリックが立っている。

「いま帰り? ちょっと一杯寄っていこうと思ってるんだけど、どう」

「どうせ説得しようと思ってるんでしょう? 命令は指示通りにやりますからご心配いただかなくても大丈夫ですよ」

 レイチェルは冷ややかに言った。必要な仕事だということは分かっている。目の前のドールに感情移入している猶予などない

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ドールズ 《5》

ドールズ 《5》

 肌寒さを感じてレイチェルは目を開けた。夕食後、部屋の空調の温度を下げたまま眠ってしまったらしく、むき出しの肩が冷えていた。窓の外に目をやると、遠く海と空の境目が白み始めている。夜明け前だ。群青と橙のグラデーションに引っかかった明けの明星が、消える前の輝きを放っている。

 レイチェルはベッドから窓の外を見やりながら深くため息をつく。薄い肌掛けを引っ張り上げて肩までくるまってみたが寒さはおさまらず

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ドールズ 《4》

ドールズ 《4》

 ノーマにスープをもらった翌日、目をさますと既に日は高かった。母が夜中に部屋に来た夢を見た気がしたが、部屋にもリビングにも母はいなかった。珍しくあんなに美味しいものをたくさん食べたのに、既にお腹が減っていた。レイチェルはキッチンを漁ったが、何もない。普段はばらばらと無造作に落ちている小銭の類も全く見当たらなかった。

 部屋は荒れていて、母モニカの脱いだ服が散乱していた。何かを飲んだらしいカップが

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ドールズ 《3》

ドールズ 《3》

「レイチェル、どうしたの」

 ふっ、と我に返った。ソファに腰掛けて考え込んでいたレイチェルの目の前に立つキワは、心配そうな様子を滲ませていた。黒いショートカットに小柄な体躯。細顔に黒の瞳。少女のような見かけの、可愛い妹。声の調子は心配そうな様子なのに、表情はそんなに変わらない。昔はくるくると表情が変わって、子リスみたいだったのに。レイチェルは気持ちが軋むのを感じたが、表情は変えずにキワを見つめる

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