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ドールズ 《5》

 肌寒さを感じてレイチェルは目を開けた。夕食後、部屋の空調の温度を下げたまま眠ってしまったらしく、むき出しの肩が冷えていた。窓の外に目をやると、遠く海と空の境目が白み始めている。夜明け前だ。群青と橙のグラデーションに引っかかった明けの明星が、消える前の輝きを放っている。

 レイチェルはベッドから窓の外を見やりながら深くため息をつく。薄い肌掛けを引っ張り上げて肩までくるまってみたが寒さはおさまらず、まるで真冬の夢の続きにいるような気持ちだった。しばらくそうしてじっとしていたが、諦めて身を起こす。熱いシャワーにでもあたろう。どうせこうしていてもいつもの起床時間まで眠れないだろう。

 そっとベッドを降りると、ひたひたと足音を忍ばせて歩き出す。足音を忍ばせなくてもキワが起きてこないことは分かっていたが、そうせずにはいられなかった。昔は耳聡くすぐ目を覚ましてしまう子だったから。

 キワの部屋を通り過ぎてバスルームに行きかけたレイチェルは、踵を返してキワの部屋を覗いた。キワは、半分に切ったカプセルのような浄化装置の中で、薄い膜に覆われて眠っていた。膜の中にはうす黄色い液体が満たされている。キワは完全にその中に身を浸し、瞳は固く閉じられていた。軽い電子音がキワの心拍を告げている。

 全身の血液を綺麗にするために必要な寝台。キワの体にはもう臓器がほとんど残っていない。心臓と脳だけ、あのとき残した。残った脳にも、一部損傷を受けている。記憶が曖昧なのはその影響らしい。体内には、代替臓器がみっしり入っている。そもそもキワの体はすでに生身ではなく、人体型器官保護装置と呼ばれる人造の容れ物だ。

 レイチェルはモニタに映し出されたキワの体調をチェックした。キワのメンテナンスをするためだけに、必死でとった資格。体温、血漿中の成分、各人工臓器の数値、レイチェルはエラーが出ているところや、前日比でおかしい数値がないかをつぶさに見ていく。

 こうやって毎日チェックして整備を続けていても、キワの体調は極めて緩やかな下り坂で、このまま脳を維持できるのがどのくらいの時間なのか、レイチェルには分からなかった。数年、数十年、もしかしたら数ヶ月。

 レイチェルはキワの寝台を覗き込み、そのつるんとした少女のような顔に顔を寄せた。彼女が起きる時間まで、汚染を避けるため膜に触れてはいけない。しかしその薄い膜と血漿の、数センチの隔たりが、ひどく遠くもどかしく感じた。

 私を置いていかないで。私を一人にしないで。

 そう言って泣いた幼いキワの顔を思い出したが、今そう言って泣きたいのはレイチェルの方だった。不安のために自分の指先がひどく冷たく、このまま凍ってしまうのではないかと頭の隅でちらと思った。


 作戦室に詰め込まれた隊員たちは、全員で指揮官のデリックを見つめていた。

 茶の髪に鋭く青い瞳。6年間の幹部コースを首席で卒業したエリート。デリックはレイチェルを始めとした隊員をぐるりと見回すと、部屋の前に映し出された施設図の前で口を開いた。

「さて、今回の作戦は事前に説明したとおり、児童の売買を行っている疑いのある組織に、おとり捜査を行う。捜査区画はD54街区、これまでのE街区とは違い、コーラルタワーの内部に入る。比較的治安の良い場所だと思われているため、強制捜査がしづらい」

 レイチェルは無言のまま映し出された区画の写真を見つめた。見覚えのある場所。かつて収容された施設近くの区画のようだった。あのあたりにすんでいた人たちは、それほど裕福ではなかったとは言え、貧困のために子を売るような人たちではないように見えた。

 それとも、そう見えていただけで実際は違ったのだろうか。

「売る、というのは少し違うかな……。見た目は民間の児童保育施設。預けている子が時折いなくなる。というか、親が付近から越していく時期に合わせるように、子どもが忽然と消えたり、亡くなったりする。子がいなくなった理由は、死亡だったり行方不明だったり、親の態度も様々で捜査が進まない。そもそも、捜索願が一枚も出ていない」

 レイチェルはデリックに目を移し、できるだけ平坦な声で尋ねた。

「親の態度が様々、とは?」

 デリックは一瞬口を結んだあと、そうだな、と考える。

「まず、死亡したのではと思われる場合でも、遺体がない場合がある。親は臓器提供したって言い張ってる事が多いかな。死亡が確定していない場合でも、親が必死になって探そうとする態度が見受けられない場合もある」

「親の虐待か、親が犯人なのでは?」

 デリックは肩をすくめた。

「もちろんそれも疑ったよ。ただ、親のアリバイが完璧すぎるんだ」

 完璧なアリバイなんてあるか、という声が誰からかあがる。

「そう、完璧すぎて逆に怪しい。でも親が犯人だとすると、どうしても辻褄が合わない。親以外の第三者が協力しないと失踪が成立しない事の方が多い」

 レイチェルは口を開いた。

「だから囮捜査を?」

「そう」

 デリックはレイチェルに向き直る。

「これが本当に鍵かは分からないんだけれど、これを自宅の部屋に隠していた子どもが数人いた」

 そう言うと、デリックはレイチェルに一枚のカードを手渡した。見た目、何の変哲もない金属の小さなカード。表面はツルツルしていて、蝶の羽のような模様がうっすらと見て取れる。

「これは?」

「中にコンパクトメモリが入っている。データ読み取りにロックはかかっていないが、内容は子ども向けの蝶の生体説明の映像。ただし、終わり方が不自然で……、見てもらったほうが早いか」

 そう言うとデリックはモニターを呼び出し、部屋の前の壁に映像を映し始めた。

 ピアノの軽快な調べとともに、花畑の映像が映る。特に取り立てて代わり映えのしない造られた世界。もはや、世界を探してもこんな花畑とともに暮らす人々は少ないだろう。それでも情操教育の名の下に、子ども達はありもしない世界を学ぶ。

 何を幸せだと受け取りながら育つのだろうな。

 レイチェルはそう冷めた気持ちでその映像を見続ける。一応、瞳に貼り付けたアイレンズで録画しスロー再生も同時に見ていた。特に不審な画像が途中に埋め込まれているわけでもなく、淡々と花畑の映像が続く。ナレーションは、蝶の生態を説明しながら、このような花畑がかつては世界中にあったことを楽しそうにしゃべり続ける。

 蝶が飛んできて、花の一つにとまった。蝶は呼吸するかのように羽を上下させる。黒の地に虹色の模様が入った、見たことのない蝶だった。蝶がどんな風に飛ぶのか、その羽がいかに紫外線を反射して異性を誘うのかを、映像は説明し続けた。

 レイチェルはそれほど虫に興味があったわけでもなく、これが実在する蝶なのか架空のものなのかは判断がつかない。カメラは蝶の周りをぐるぐると追う。

 つい、と蝶の羽に寄ると、そのまま蝶の羽の中に吸い込まれた。そのまま画面は虹色に包み込まれ、そのまま虹の波のような映像が続く。何だかよくわからない金属的な楽器の音が響き、説明の音声は、蝶は変態してこのような姿になる、をゆっくりと繰り返し続けていた。

「これがこのまま十分続く」

 デリックの言葉に隊員たちは騒めいた。唐突に過ぎる終わり方で、レイチェルも眉をひそめた。

「これで終わり?」

「これで終わり。最初に戻ってループする」

 暗い部屋に、音声のメタモルフォーゼという単語が甘く響き、画面の虹色がモヤモヤと反射する。デリックは部屋を明るくして映像を切った。

「何かの新興宗教か?」

 他の隊員から声が上がる。デリックは首を振った。

「僕もそうかと思って調べてもらったんだけど、どうもそういう宗教はないらしい。蝶、メタモルフォーゼ、あとはこのカード、さまざまな条件で文化課に調べてもらったけど、引っかかるものはなかった」

「音は?」

 レイチェルは尋ねた。明日頭に響く金属音が、脳内にこびりついている。

「あれは音叉の音。ある周波数の音が、人体に様々な影響を及ぼすのではないかと言われていた時代に開発された、二股の金属の楽器だ」

 デリックはそう言って指でユーの字を描く。

「未だに音が子どもに良い影響を与えると信じている一派はいるけれど、これは新興宗教というより深く民間に染み付いた、そうだな、迷信といって差し支えないと思う。確かに特定の周波数がリラックス効果を生むことはある。でも、それが思い込み、いわゆるプラセボ効果ではないと証明する説はまだ出ていない。

 なんにせよ、これが市販品や一般に配布されたものではなく、誰かが個人的に作ったものだということは言えると思う。どこで作られたものなのかはまだ確認中だ」

 ため息のような空気が部屋に広がった。今のところ、何か有力な手がかりはない、ということだ。この教育用のデータカードは、子どもの教育用に作られた可能性が高い。誰か、自分の子どものために。少し稚拙さを感じる映像や音声は、それなら納得がいく。

「ではなぜ、これを行方不明になった子どもが共通して持っているのだろう」

 隊員の声に、そこだ、とでも言わんばかりにデリックは指を差した。

「あの施設に預けられて、なおかつ行方不明になった子どもが全員持っているわけではなかった。行方が知れなくなった子、死亡も含めて、は、十二人。その中でこのカードが家にあったのは僅か三人。しかも、親はそれが家にあった事をろくに認識していない。子どもが勝手に持って帰って来たのではないか、と、訝しむ様子さえ見てとれた。

 でも、施設内に捜査に入ったときには、それらしいカードは一枚もなかった」

 デリックはそこまで言って、言葉を切った。ただし、と口を開く。

「個別に預けられている子どもに見せたときには、目を伏せて気にしないような振りをする子どもが数人。やはり、どこかでこの映像に接点を持つ子どもがいる」

 皆は黙って聞いていた。行方不明の子どもが十二人。同時に三十人預けられるかどうかの小さな保育施設で、半年の間に立て続けに起きている。どう考えてもやはりあり得ないことだった。

「施設の職員は?」

「一応聴取をしてはいるんだけど、資格こそあれ、全員が期間が決まった職員で、この半年に六十人くらい入れ替わっている。日雇いに近い数日勤務のものも。全員聴取を続けているが、人数が人数だけに手間取ってる。これといった手がかりはまだ掴めていない」

 隊員の一人がため息まじりに言った。

「そちらの聴取が終わってからで良いのでは? 何もわざわざ危ない橋を渡る必要はない。特に囮の子どもはどうするんです? 子どもに危険な真似をさせるわけにはいかないし、そもそも児童福祉法違反でしょう」

 デリックは肩をそびやかした。

「本物の子どもなら」

 レイチェルは眉をしかめる。

「まさか、ドールを使う気ですか?」

 デリックはそれには答えず、ドアに向かって、入れ、と声をかけた。

 扉が開く。室内の全員の視線が扉に注がれた。扉の外には一人の子どもが立っていた。ぎこちなく笑う。作り物の肌は健康的な褐色で、髪は綺麗な漆黒だった。

「この子は、アベル。まだ大学の研究室で産まれて二ヶ月しか経っていない」

「サム博士のところの新型ドールですね」

「正確に言うと保護装置の一種だ」

 レイチェルはデリックを振り返った。

「まさか。人体型器官保護装置は、脳か脳を含む臓器が中になければ『器官保護装置』には認められないはずです。いずれかの臓器が含まれていれば人として扱われるから児童福祉法違反になるし、もし何の臓器も含まれていないならそれはドールになる」

 デリックは苦笑する。

「さすがに詳しいな」

「伊達や酔狂で資格を持ってるわけじゃないんです」

 レイチェルはデリックをにらみつける。

「そうだった」

 アベルと呼ばれた子どもは不安そうな目でデリックとレイチェルを見比べていた。まるで本物の子どものように。

 レイチェルはアベルの視線を感じて、ばつの悪い顔をした。

「本当に器官保護装置で……ああと、この子が児童なのであれば、こんなところに連れてきてはいけないはずでしょう」

 歯切れ悪くレイチェルが言うと、デリックは告げた。

「まだ法律区分で言えばドールなんだ。ただ、この子には『本当にいる子どもの脳内データを丸ごとコピー』してある」

 レイチェルは目を見開いた。

「そんな……そんなことは、できない」

「できたんだ。じきに法律も改正される、らしい」

 レイチェルは口に手を当てたまままじまじとアベルを見つめる。たくさんの大人から視線を注がれて、アベルは居心地悪そうに身じろいだ。

「それからね」

 デリックはアベルの背中を安心させるように軽く叩いた。

「彼と同じように保護装置を使っている子どもばかりが、どうもターゲットになっているようなんだよね。子どもの共通点は、そこと親の居住区しかない。その他は、年齢も性別も親の職業もバラバラだ」

 作戦室がざわつく。

「もしそれが鍵だとしても、やはり人道的にこの子を囮にするのはどうかと思う」

 レイチェルは慎重に言った。デリックはため息をつく。

「それで法律的にも人間の子どもが、さらに行方不明になったり死んだりするリスクがあっても?」

 レイチェルは唇を噛みしめる。ゆっくり腕組みをして目を閉じた。

「今しかないんだよ。この子はまだプロトタイプで、完全ではない。感情や記憶を新たに蓄積することができないという欠陥があって、二ヶ月後の実験後に機能停止される事が決まっている。その部分をもし改善することができ、脳内データが全て写せたことが証明できれば、数年、早ければ数ヶ月で法律は改正され、もうこのタイプのドールで囮捜査はできなくなるだろう」

 レイチェルは目を開けた。

「言いたいことは分かる。でも……」

 アベルはレイチェルをずっと見上げている。その黒い瞳には、成り行きを少し不安そうに思う気持ちと、好奇心が混ざっているように見えた。レイチェルは弱くアベルに向けて微笑む。デリックはその様子を見て少し安堵したようにレイチェルに告げた。

「作戦は一週間後より開始する。レイチェル、そこまでに心の整理をつけておいてくれるかな。君にアベルの母親役をやってもらわなくてはならないんだ。詳細はまた明日連絡するよ」

 デリックはアベルをいざなうと、作戦室から出て行った。

 レイチェルを含む隊員たちも、三々五々に出て行く。レイチェルは軽く息をつくと、扉に向かった。


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