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ドールズ 《15》

 レイチェルはダミーの眼鏡型簡易モニタを顔にかけた。不審に思われては困る。そうやっておいて、特殊レンズで本部からの指示を読む。

 この棟のマップが届いていた。設計段階のものだが、恐らく非常口などの位置は変わっていなさそうだった。本部に通信する。

「私です。ミラです」

『聞こえている。まさかグレンが直接出てくるとは思っていなかったな』

「ええ、話を聞いてみたんですが、本当に良いお話で……」

 監視カメラを意識して、レイチェルはまるで夫に相談しているかのように会話を続けた。デリックは全く意に介さず作戦を話す。恐らく傍受したとしても、レイチェルの会話に自然に対応したダミーの会話でカバーされているはずだ。

『マップは確認したか』

「はい。援助の条件は既にクリアしているみたい。ねえ、騙されてないかしら? こんなに良いお話で」

『グランドフロアの上に、医療設備が入っている。大きなダクトとパイプエリアが非常口よりも左の区域に固まっているだろう。そのあたりに四部屋、浄化装置が設置してある。そのどこかにアイリーンがいるはずだ』

「……分かったわ。すぐに手続きに入るみたいだけど、私一人で契約してしまって大丈夫?」

『その部屋を出て右手の方にトイレがある。そのダクトが上階のダクトと繋がっているようだった。上の階には窓がない。外からの突入が困難だ。しかしアイリーンの生命がかかっている。一人で行けるか』

「少し不安だけど、良く確認するわ」

『上階にたどり着いてアイリーンを確認できたら連絡してくれ。突入を開始する』

「ええ、また連絡します」

 通話を切って、立ち上がった。扉をそっと開ける。女性は扉の外に立っていて、何か? とにこやかに尋ねた。レイチェルは

「あの、トイレはどこかしら? できれば器官保護装置対応のところがいいんですが」

「あら、お母様も……。もちろんございます。こちらです」

 女性は痛ましそうな視線を向けるとうなずき、レイチェルを案内しながら通路の奥に向かって歩き始めた。レイチェルは歩きながら耳を澄ませる。女性のすすり泣く声はもう聞こえなくなっていた。

 案内された個室は広く、身障者用の設備も揃っていた。

「少し時間がかかると思うの。済んだらさっきの部屋に戻りますね」

 レイチェルは女性に言いにくそうに告げる。女性はにこやかに頷くと、来た通路を引き返していった。

 レイチェルは個室に入ると、鍵を閉めた。周りを見回し、手早く衣類を脱ぎ、髪を取り払った。肌にぴったりと沿う特殊スーツが下から現れる。服や長い髪がどこかに引っかかったりするリスクを負いたくなかった。顔から慎重に変装用のフィルムを剥がし、普段の姿になって軽く息をついた。他人の顔をするのは息苦しい。

 身軽になったレイチェルは、上部のダクトを確認するため、身障者用設備に足をかけ、天井のパネルを音がしないように慎重に押す。換気用の穴が空いているパネルが、ガタ、と音を立てて外れた。レイチェルは外の音を探る。特に通路に人がいるような様子はなかった。

 素早くパネルを床に置くと、その穴に体を滑り込ませた。通気用のダクトは決して広くはなかったが、膝を立てて通れる程度の大きさはあった。移動装置を軽く動作させながら、レイチェルは急いで上階に向かう道を探す。せいぜい異変に気づくまで、十分程度か……。個室に入ってからすでに二分三十秒が過ぎていた。急がないと、アイリーンを見つける前にトイレに服だけが残っているのが見つかるだろう。

 しばらく進むとダクトの合流点があり、レイチェルはそこを慎重に上った。上階にあがると、ダクトから漏れ聞こえてくる室内の音に耳を澄ませた。浄化装置特有の、ピッピッという聞き慣れた音が、聞こえてくる部屋があった。そっと換気口から覗くと、よく見えないが子どもが装置内に寝かされているようだった。

『ここのようだ。カメラは』

『今、同じタイプの別の部屋を写すように切り換えました』

 本部からの連絡を聞いて、再度部屋の中を確かめる。アイリーン以外の人間はいないようだった。浄化装置の音は、アイリーンの命がまだあることを知らせている。レイチェルはそっとパネルを外し、部屋の中に滑り込んだ。

 浄化装置をのぞき込む。昨晩いなくなった、アイリーンだった。姿を照合し、本部に送る。

『いました』

 扉に近づくと、簡易的なロックを取り付けた。それからまた戻り、浄化装置のパネルを確認すると、強制的に目覚めるようにセットした。三分で脳波が安定するはずだ。じりじりとしながらパネル前で待つ。ビープ音とともに、水が流れでていく音がした。アイリーンが目覚める。

「もう、ちょうちょになった?」

 目を開けると、レイチェルに聞いた。レイチェルは言葉に詰まる。

「いいえ、お母さんが、とても心配して探していたから、私が代わりに探しに来たのよ」

「お姉ちゃん、誰……?」

 女の子は不安そうに聞いた。同時に、扉の外にばらばらと足音が聞こえてきた。女の子の浄化装置をモニタしていたのだろう。ロックを解除しても開かない、と慌てる声が聞こえる。レイチェルはアイリーンを助け起こすと、側にあった子供用の医療着の上下を急かして着せた。着せながら、

「私は、お母さんの友達よ」

 そう言ってにっこり笑いかける。アイリーンは少しだけ微笑んだが、不安そうな顔を崩さなかった。レイチェルはアイリーンを扉から遠い部屋の奥に連れて行く。ここなら、守れるかもしれない。ダクトの穴から敵が侵入してくることも想定し、扉と穴との中間的な場所に陣取った。

『突入開始します』

 扉からは、誰か強制解除できるような道具を持ってこい、という荒っぽい声が響く。怒鳴り声に近いその声に驚いた少女が、ぎゅっとレイチェルの手を掴んだ。

「ちゃんとお母さんに、ちょうちょになるって言ったの?」

 レイチェルが扉とダクトの穴を見ながらそう問いかけると、少女はハッとした様子で目を伏せる。

「お兄ちゃんが……いきなり変わってびっくりさせようって言ったから……アイリーンがちょうちょになれたら、そしたら、喜んでくれると思ったの」

 レイチェルは唇を噛んだ。明らかに未成年の略取に違いなかった。

「ここを開けろ!」

 男性らしき口調が激しくなる。ガンガンと叩いたりもし始めた。

『本部、早くお願いします』

 扉に対しての激しい音に、焦りを滲ませる。けたたましい警報が鳴り始めた。

「設備に異常がありました。全員、身近な床に伏せてください」

 館内放送がそう告げる。上階に突入があったのだろう。レイチェルは、あと何分だろうか、と焦る気持ちで扉を見続けた。

 レイチェルがかけた簡易ロックが、唐突に扉からぽろりと落ちた。扉が開いて、屈強な男性が中を改めた。脇を押しのけて、グレンが入ってくる。レイチェルは、後ろにアイリーンをかばった。

「これは、アンダーソンさん、どうしてこんなところに?」

 グレンは笑っていなかった。口だけは口角が上がっていたが、注意深くレイチェルを見ている。

「ずいぶん若くなりましたね。本当はそんな顔をしていたなんて、見違えましたよ。

 ところで、後ろの女の子は大事な預かりものなのです。浄化が家庭で十分に受けられないので、我々の設備で少しでも補助を。ただ、この嘘の説明もあまり効果はなさそうですね。どうか、こちらに渡してくださいませんか。手荒なことはしたくないのです」

「……渡せません」

「やれやれ、もう少し話が分かる人だと思っていたのだけれど。レイチェル・ブラッドバーン捜査官」

 レイチェルはつばを飲み込んだ。心臓がドクドクと胸を打つ。無表情を保ちながら、グレンをにらみ返した。

 扉の外で、銃声が聞こえた。男性が大きな声で応援を呼べ、と叫ぶ。他の隊員が階に到着したようだが、窓のない階のため、どうにも踏み込みにくいようだった。

「ちょっと足止めをお願いしても良いかな。僕は彼女と少し話したいので」

 そう言うと、グレンはレイチェルに向かって右手を差し出した。手には銃が握られている。銀色に光るそれは、グレンの美しくゆがめられた顔にとても似合っていた。

「レイチェル、下がってくれる?」

 レイチェルはダクトと扉を見比べる。一人であればダクトに取り付いて逃げることも可能だが、アイリーンを連れては無理だろう。アイリーンを背中に庇ったまま、じりじりと部屋の奥に下がった。グレンはすたすたと近づいてくる。

「逃げようとしたらまずその子を撃つから。つまんないこと、考えないでよ」

 そういうと、扉を閉めた。内側からロックをかける。

「あのさ、どうして僕の邪魔をするのかな」

 対峙すると、イライラした調子でグレンは尋ねた。レイチェルは意外に思いながらも、慎重に言葉を選ぶ。

「この子の親から捜索願が出ていた」

「もう取り下げてもらったはずだよ。さっきまであの夫妻はここにいたんだから」

 えっ、と、レイチェルは声を失った。

「彼女の親も同意の上だって事だよ。これは大いなる事業なんだ」

 レイチェルは怪訝な顔のまま、グレンを見返している。

「捜索願も出ていないのに、これって違法捜査なんじゃないの? これまでの子ども達だって捜索願なんて一度も出ていないはずだよ。親が望まなかった場合を除けば、ちゃんと人だったときの体だって返してるんだし、病死になっていたでしょう?」

 グレンはレイチェルに銃を突きつけながら、大きな声で問い詰める。

「なんとか言ったらどうなの。それとも本当の事だから何にも言えないの。単独捜査でかっこつけようとか考えてたの」

「それは違うわ」

「じゃあなんなんだよ!」

 と言いながらグレンは銃を撃った。レイチェルは咄嗟にアイリーンを抱いて庇う。銃弾は全く関係ない場所に当たり、大きく旋回状の跡を壁にうがった。

「レイチェルのことはとっくに調べてるんだよ。ミラ・アンダーソンなんて名前が偽名のことも、可哀想な妹がいることも、全部分かってる。最初に施設に預けに来たときから、アベルがちょっと出来の良いドールだって事も分かってた。僕には全然劣るけど。でも、レイチェルにももしかしたら助けが必要かもって僕は思ったんだよ。分かる? 親切で声をかけてやったの!」

 レイチェルはミラを庇ったまま、顔だけをグレンに向けた。キワのことを言われて、胸を大きくかぎ針で引っかかれたような気持ちだった。

「どういう意味?」

 感情を押し殺してようやくそれだけを話した。グレンはようやくレイチェルから反応を引き出せたことに少しだけ満足な顔をしながら、なんでそんなことも分からないの、と言う。

「お金、すごくかかってるんでしょう? 負担に思ってるんでしょう? 死んで欲しくはないけどだからといっていつまで生きるか分からない状態だなんて、困るでしょう? だったらレイチェルも、キワって妹を新しいドールにすればいいんだよ。器官保護装置なんてばかばかしいもので脳を保存するなんて、お金と時間の無駄なんだよ」

 レイチェルは咄嗟に言葉が出なかった。違う、と言いかけた唇が、開いたまま固まる。

 ほんとうに?

 頭の中に声が響いた。

「……そんなことは、思っていない。私は彼女の脳を維持する必要を感じているから」

 レイチェルの言葉に、グレンは大げさにため息をついた。

「なんでだろう? そうやって器官保護装置に閉じ込めて劣化を待っていたら、多額の費用をかけて全部の記憶を失うんだよ? 今だって半分くらいもう思い出せないんでしょう。新しい記憶を紡げないなんて人もそうだよ。維持する意味あるの? 今のうちにバックアップをとってそっくりそのまま移し替えればいいじゃない。

 その子、アイリーンだっけ、下半身が全部器官保護装置なんだけど、そのままじゃもう一生走れない。運動大好きだったのに、そんなに激しい運動をしたら脳を保つことができないから。知ってる? 脳は器官の中で一番エネルギー効率が悪い器官だって。なんで人間はそんなに脳にこだわるの?」

 全く理解できない、という態度をあからさまにしながらグレンはわめき続ける。

「僕を見てみなよ。本当に僕の両親は賢明だったよね。僕の脳内データをすぐに引き上げて、ドールに移してくれた。愛情だってちっとも変わらなかったよ」

 ほんとうに?

 キワの声が聞こえた気がした。キワがもしこのグレンの演説を聴いたら、どういう反応をするだろう。全部のデータを移して、ドールになりたいと言うんだろうか。

 寿命って、あると思うのよ。

 違う、キワはそんなことは絶対に望まない。彼女が望むものは。

 彼女が、望むのは。

「それは、幸運だったな。だが、皆がそうなんだろうか」

 レイチェルは一度目を伏せ、これ以上刺激しないようにゆっくりと言った。グレンは呆れた調子で口を開いた。

「僕のどこが普通の人と違うの。ぱっと見で全然分からないから、施設に通ってても不審に思われないし、新しい記憶を獲得してどんどん成長してる。脳がなければ成長しないなんて嘘だよ。僕はずっと僕のままだ」

「この年齢の子でも、そうなのか」

 レイチェルは、アイリーンの頭を撫でながら言った。アイリーンは震えてレイチェルにしがみついている。優しかったグレンの豹変ぶりが、怖いようだった。これ以上怖がらせては、体に障る。そう思いながらも、どうやったらこの状況から脱せられるかが分からなかった。

 一人、隊員がダクトを通ってやってきていることが、特殊レンズ内にそっと表示された文字で分かった。なんとか、二対一に持ち込めれば。

 グレンはレイチェルの言った意味がよく分からない、という腹立たしさを滲ませながら吐き捨てた。

「さあね、でも一年くらいで人は大して変わらないよ」

「……この年齢の子は、一年で大きく変わるのよ」

 そう言って、アイリーンを抱きしめたまま立ち上がった。抱き上げられて不思議そうな顔をするアイリーンに微笑みかける。アイリーンは、この状況でレイチェルが笑うことがうまく理解できないようだったが、釣られて少し微笑んだ。

「何言ってんの。意味が分からない」

 グレンはイライラしつつもレイチェルの話に興味を示した。

「君は、十年前の十歳の時のまま、ずっと変わらないでいるんだってことが、逆に私にはよく分かった。記憶や知識の蓄積だけが、成長を作るわけではないってことが、よく」

「僕の見せかけだけを見て子どもだって言ってるの? バカなんじゃないの。この姿は施設で可哀想な家族を見つけるためだよ。だって僕が声をかけなければ、一家で路頭に迷うかE街区に落ちるくらいしかなくて、そうなったら結局子どもを失うんだよ。その前に、維持費がかからないドールにしとけばいいじゃない! ずっと子どもと一緒にいられるんだよ」

 レイチェルはアイリーンの髪を撫でる。かつて、キワを抱きしめてそうしたように。

 レイチェルの心が静かに凪いだ。

 キワ、ごめん。

 心の中でキワに詫びる。

 ずっと彼女が何かを言いたくても言えないような困った顔をする理由を、私はずっと、見てみないふりをしていた。ごめんね、キワ。

 レイチェルは目を閉じて、アイリーンをそっと下ろした。仲間は、部屋のすぐ上まできていることが、マップの表示から見てとれた。

「そりゃあ、本当は全部の器官が五体満足に揃っているのがいいんだろう。ドールではなくな」

 そう言いながら、デリックがダクトの穴から顔を出した。グレンは驚いてそちらに銃口を向けて発砲する。レイチェルはその瞬間、移動装置を発動して素早くグレンに駆け寄る。あっ、と気づいて慌ててレイチェルに向き直ろうとしたグレンを後ろから羽交い締めにした。

 床に、がん、と音を立てて落ちた銀の銃を、そっと部屋に降りてきたデリックが取り上げる。銃に目を落としながら、ぽつりと言った。

「君さ、寂しかったんだろ」

「……何を」

 デリックをにらみつけながら、グレンが言った。

「僕さあ、ずっと考えてたんだよね。なんでそんなに、子を攫ってまでドールにしたがるのかって。僕ね、捜索願を取り下げに来た夫婦に、もうネタは分かってますって話したんだよ。そしたらさ、お母さん、やっぱり、お金がかかってもあの子を返して欲しいって、泣いたよ」

 デリックは拾った銃を手の中でもてあそびながら、銃弾を取り出した。

「あらま、ちゃんと高旋回弾なんて用意しちゃって。本当に君、子どもっぽいよねえ」

「ふざ……けるな」

 レイチェルに拘束されながら、デリックは強がるように言う。レイチェルは、そんなことを言うデリックを、意外な気持ちで見ていた。

「自分がドールで、それでも愛してくれた両親が死んで、寂しかったんだろ。だから、仲間を作りたかった。同じような生まれのドールがたくさんいれば、自分の存在に意味が持てると思った。それで脳内データを映せるようなドールの研究開発にもお金をたくさん出したし、サム博士にも法律改正への助言を求めた。自らの存在の肯定、それこそ、十代の悩みだよね。若いよね」

 デリックは天井を見上げながら呟くように話し続ける。ふう、とため息をついて、デリックはグレンを振り返った。

「だけど僕はさ、誰の命も人がどうこうできるとはおもってないよ。たとえばそこの、アイリーンちゃんね、その子が本当に心からドールに移りたい、そう願っていたとしたら、それを叶えてあげるのはそれができる大人の責任かもしれない。どうしたって生きられないことを知っている人が心の底からそれを望んでいたとして、それを叶えてあげようって考えるのも、うん、夢として別に悪くはない。でもさあ」

 そこで言葉を切り、真剣な顔になる。

「弱みにつけいったり、まだ自分で判断できない子どもを騙してドールにするのは、やっぱりそれは君のエゴだよね。だってみんな、自分で選んでないじゃない。自分で選ばない幸せなんて、僕は信じられないね」

 グレンは顔をゆがめる。

「うるさい! うるさいうるさいうるさい! お前なんかに、僕の何が分かる!」

 レイチェルの腕から出ようともがく。

「僕が新しい社会を作るんだ! 僕がその先人になるんだ!」

「うん、だからさあ、それならまず、一人で立つことだよ」

 デリックはそう言うと、デリックに近づく。そうして、頭をクシャクシャと撫でた。デリックは暴れ、レイチェルはうっかりデリックの手にグレンが噛みつくのではないかとヒヤヒヤした。

「入っていいよ」

 ドアのロックはとっくに解除されていたらしく、扉が開いて隊員達が入ってくる。アイリーンは無事に保護された。ちゃんと話し合いができたかどうかは分からないが、母親と父親の元に返されることだろう。

 レイチェルはグレンを電子錠で拘束し、隊員に託した。


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