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歴史は意外と偶然

こんにちは。
今回は歴史の偶然性についてお話しようと思います。


歴史はどうやってできている?

そもそも歴史とは何でしょうか?
ある辞書では「人間社会が経てきた変遷・発展の経過」とされています。
この変遷・発展について、必然的な要素が強いのか、あるいは偶然的な要素が強いのか、皆さんはどちらだと思いますか?

そもそもそんなの考えたことないって方が大半だとは思いますが、私はどちらかというと必然的な要素が強いのではないかと思っていました。つまり、このような社会システムだとこのような出来事が起こりやすく、ある出来事が起これば、次にこのようなことが起こる傾向にある、といったよう、物事は起こるべくして起こるといった考え方です。
実際、歴史は循環しているので、このような考え方は間違ってはいないと思います。以前書いた「JTC総合職=武士」説もこのような考え方に基づくものです。


しかし一方では、歴史は意外と偶然性が強いのかもしれないと思うこともあります。つまり、歴史上の出来事は"たまたま"起こったものであり、場合によっては今の世界と全く違う世界になっていた可能性もあるといった考え方です。

もちろん歴史の流れにはこの両方の要素があると思いますが、今回は後者の偶然性に着目します。

エイヤーな意思決定

歴史が偶然だと思う理由は、端的に言うと、歴史とは一人ひとりの人間の活動の集合体であり軌跡だからです。
皆さんは自分の人生が生まれてから死ぬまで全て決まっていると思いますか?多くの方はNOだと思います。
それは、皆さんが人生の中でいくつもの意思決定をしてきたからです。意思決定というと重く感じますが、細かなところでは今日どこに遊びに行くか、何を食べるか決めることも小さな意思決定です。それによって、人生は変わるため、自分の人生は決められたものというよりは、自分の行動で変わるものだと感じているのではないでしょうか。

そしておそらく多くの方は、「ある程度適当に意思決定をしている」のではないかと思います。もちろん大学受験や就職活動など、人生において重要な決断の場面では、しっかりと考えて意思決定をしていると思います。
しかし、それが100%正解で、なるべくしてそうなったと言い切れることは少ないのではないでしょうか。どうしても最後はエイヤー(私が好きなおっさんビジネス用語ランキング第4位)で決める部分があると思っています。

個人個人がそのような意思決定をしているということは、人間の意思決定の集合体でもある歴史においても、エイヤーな部分は多く含まれており、それによって歴史は偶然性を帯びると考えられます。 

歴史の事例


ここまで割と抽象的な話が多かったので、具体的な歴史の事例も見てみます。

一つ目の事例は、徳川家康の話です。

皆さんご存知のように、徳川家康は戦国時代の最終的な覇者となり、その後250年以上続く江戸幕府、徳川将軍家の創始者となりました。
対して、徳川家康が天下人となる直前の天下人は豊臣秀吉ですが、秀吉の死後、後継者である豊臣秀頼や拠点となる大坂城を、大阪の陣で家康によって攻撃され、豊臣家は滅亡しました。

この事実に対して、家康はあえて秀吉の配下に入って力を蓄え、秀吉の死後に天下を狙う算段をつけており、家康が天下人となるのは必然だった、といった論調があります。
しかし、それはあくまで結果論で、秀吉が天下人の頃、家康は50歳を超えており、当時の時代ではいつ死んでもおかしくない年齢でした。たまたま家康が長生きしたため天下を取れましたが、秀吉より先に死んでいた可能性も大いにあります。
このように、事実からそれらしい理由や背景が後から考えられるものの、実際は偶然の要素も強かった、といったことは歴史上でもままあるのではないかと思います。

二つ目の事例は、有名な話ですが、キーボード配列の話です。
現在最も普及しているキーボードといえば、QWERTY配列です。皆さんもほとんどがこれを使っていると思います。

しかし、この配列が最も文章を打ちやすい配列かというと、必ずしもそうではありません。代替キー配列と言われる、人間工学的に身に付けやすくタイピング速度も上がるような配列も考えられています。
ただ、現実はそのような配列は普及していません。やはり多くの人にとっては、使い慣れた配列を今更変える方が面倒なので、そのようなキーボードを使いたいとは思わないわけです。

ではなぜそもそもそのようなキーボードが普及したのでしょうか。
理由は諸説ありますが、一説では、昔のタイプライターは高速で打ちすぎると機械が故障する確率が高かったため、あえて打ちづらい配列にしたことがきっかけで、それが名残として現代まで続いているから、といったものがあります。

ちなみに、このような、過去には合理的だったことでも、今では非合理的にもかかわらずそのまま続いているようなことを経路依存性などと言ったりします。
これはまた別途深掘りできればしようと思います。

話を戻すと、今皆さんがQWERTYと並んだキーボードを打っているのは歴史的な必然ではなく、タイプライター時代の開発者が打ちづらいキーボードとしてたまたま並べた文字列のものを使っているだけ、ということです。

この二つの事例から、歴史は意外と偶然の連続で成り立っており、その出来事が起こるに至った理由を解説しているようなものも、結果から逆算した後付けのもの、ということもある、と言えます。

まとめ


今回は歴史の偶然性について書いてきました。
歴史が偶然ということは、歴史の最新ページである現代社会もまた偶然の産物であるということです。なので、「世の中はこうなる!」とか、「これからはこう生きるべき!」みたいなことに対しても、「まあそうなるかもな」みたいにある程度気楽に構えておいてもいいのかもしれません。


ただ、冒頭にも書きましたが、一方で歴史には傾向や循環といったものがあることも事実なので、どちらが正しい、というよりは両方の考え方があると思っていただければ幸いです。以前も書きましたが、色々な考え方を知り、物事を多面的に見ることが重要だと考えています。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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