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日本、調子に乗ってミスりがち

こんにちは。
突然ですが、皆さんはドラマを観たことがありますか?観たことのある方は、続きが気になりすぎて来週が待ち遠しい、といったことがあるのではないかと思います。

私は歴史という名のドラマにハマっているので、続きがとても気になるのですが、自分の人生のスピードが遅すぎて全然話が進まないので、500年とか1000年先まで早送りしたいと思っています。
これは歴史好きあるあるなのか、私だけの妄言なのか気になっているので、歴史好きの方はぜひコメントください。

さて、今回は「日本、調子に乗ってミスりがち」説について記載します。
最近別の記事を読んだ知人から、「文章が長い」とのクレームありがたいご意見をいただいたので、今回はやや少なめの文章量にしようと思います。


一回目の失敗「敗戦」

今回は、近代日本の二つの大きな失敗について触れようと思います。

近代日本の躍進

近代日本の出発点としては、黒船来航と言われています。1853年、浦賀にペリー率いる黒船が来航し、250年続いた鎖国状態が終了します。その後、明治維新を経て、本格的に近代国家としての道を歩み始めた日本は、当時の先進地域であったヨーロッパに追いつくために、殖産興業、富国強兵をスローガンに、工業化や軍備の増強を進めていきます。

これは単に日本がヨーロッパに憧れていたから、というだけではなく、強国化を進めないとヨーロッパの植民地にされるという危機感があったからです。実際、19世紀のアジア諸国では多くの国がヨーロッパの植民地でした。明治時代の日本の指導者たちは、その危機感を持っていたからこそ、日本が侵略されないように、特に軍隊の増強には力を入れていました。

そのおかげか、日本は日清戦争、日露戦争といった大きな戦争に勝利することができました。特に、日露戦争については、当時世界でも列強の一つであったヨーロッパの大国であるロシアに、アジアの小国である日本が勝利したことは世界にも衝撃を与えました。植民地化されていたアジア諸国の中には、日本を英雄視する風潮まであったそうです。

この戦争で有名な戦いと言えば、東郷平八郎率いる日本海軍の連合艦隊と、ロシア最強の艦隊と言われたバルチック艦隊が戦った日本海海戦です。この戦いで日本は大勝利し、有利な形で講和に持ち込むことができました。これにより、日本国内では東郷平八郎が英雄視されたり、日本海軍の強さが高い評価を得たりしました

ただ、もちろん日本の実力も勝利の要因ではありますが、見逃してはならない他の大きな要因がありました。それは日露戦争が始まる2年前、1902年に締結された日英同盟です。
現代の覇権国はアメリカですが、当時は世界各地に植民地を持ち、大英帝国と言われたイギリスでした。そのイギリスと同盟を結ぶことは、当時の世界において、とてつもない威力を持ちました。

実際、日露戦争においても、戦費の調達を当時最大の金融市場だったロンドンで行えたり、世界中に張り巡らされた電信網からの情報を得られたりと、日本はイギリスを味方につけたことで、大きなアドバンテージが得られました。
日本海海戦においても、バルチック艦隊がヨーロッパから日本海に来るまで、イギリスの影響力のある港には寄港できない、良質な石炭が入手できないなどイギリスが敵であることの不利益を受けていました。それにより疲弊していたところで日本と戦い、敗北したのです。

このように、日本が実力をつけていたことは事実だったものの、それ以外の要因も大きかったのです。

太平洋戦争の敗戦

こうして戦争に勝利し続けた日本は、やがて第一次世界大戦後に設立された国際連盟の常任理事国となり、世界の大国の仲間入りを果たします。明治維新以来の悲願が達成されたのです。

一方、急速な社会変化のため、国内では格差が広がり、社会の不満もたまっていました。そんな中で世界恐慌が起き、日本経済も大きなダメージを受けます。
そこで、経済を立て直すために期待されたのが軍隊です。戦争に勝ち続けたことで自信をつけていた軍部は、国民の期待もあり、政治の世界にも影響力を伸ばすようになりました。

こうして苦境を乗り越えるために軍部は対外拡張政策を押し進めた結果、日中戦争や太平洋戦争などの戦争に突入します。詳細な経緯は省略しますが、結果はご存じのように、日本はアメリカに敗北し、焼け野原になります。

こうなってしまった原因は、色々ありますが、一つには軍部の自らの実力の過信があったのではないかと考えられます。それまでの戦争に勝ち続けたことで、戦術や精神的な強さなどといった自組織の内部的な強みにばかり目がいくようになり、世界的な背景などは過小評価されていくようになりました。それが、世界的な大国であるアメリカやイギリスに無謀にも戦争をしかけることにつながった側面があります。

こうして、近代日本は一回目の失敗により、焼け野原からの再出発を余儀なくされることになります。


二回目の失敗「バブル崩壊」

日本の高度経済成長

敗戦によって焼け野原になり、海外領土なども失ってしまった日本ですが、一部良かったこともありました。それは、農地改革や財閥解体など、GHQの強制的な施策により、既得権益層の一部が解体され、格差が一定程度是正されたことです。これにより、ある意味本当にゼロからリスタートできたとも言えます。

また、太平洋戦争終了後は、冷戦時代となったことで、ソ連などの社会主義陣営に対抗するためにアメリカが資本主義陣営をまとめ、自由貿易を推進したことにより、日本は急速に経済を立て直し、高度経済成長を成し遂げることができました

この時代、人口減少に悩む現代では考えられませんが、人口増加が社会問題となるほど急速に人口が増加していました。それにより、経済規模はますます大きくなり、製品は作れば売れました。物資不足のため、需要が供給を上回っていたのです。

1973年に起きたオイルショックにより、高度経済成長は終わりを告げますが、それ以降も人口増加と共に、日本経済は安定的に成長していました。それに伴い、土地や株の価格も上昇していきました。住宅や工場、オフィスなどを建てる場所が必要とされたり、日本企業の成長が続いていたからです。これが昭和の終わりごろまで続くことになります。

バブル経済とその崩壊

昭和末期の1980年代後半になると、日本は世界でもトップクラスの経済大国となり、アメリカを超えるのではないかとまで言われていました。そうしたなかで、日本企業の経営は世界的に高く評価され、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といった本まで出ていました。それにより日本企業はますます自信を持ち、さらなる事業拡大を狙うようになりました。

そんな中、土地や株の価格が急上昇するようになります。そこで日本企業は本業だけでなく、土地や株への投資でも儲けようとします。これを財テクと言います。(財務部門のテクニックで儲けるとされたため)
聞いたことがある方も多いと思いますが、この頃はまさに土地神話と言われるように土地の価格は上がり続けると信じられていました。それに乗っかって土地を売買していた企業は売上が急上昇し、その企業の株価も上がるといった循環が続いていました。これがバブル経済です。

しかし、1990年代に入ると、土地や株の価格が下がり始めます。最初こそ一時的な下落と思われていましたが、やがてこれが長期化するものと認識され始めると、両方とも一気に暴落しました。それにより、土地や株に投資していた企業は急速に経営が悪化し、倒産する企業も急増しました。これがバブル崩壊です。

こうなってしまった原因の一つは、日本企業、ひいては日本経済への過信です。「日本はこれまで数十年間成長し続けてきた」、「日本企業の経営は素晴らしい」、そういった事実から、これからも日本は成長し続けると考えてしまったのです。

もちろん、日本企業やそこで働く人たちの努力があったことが日本経済の成長につながったことは間違いありません。
しかし、自由貿易体制や、物資不足といった社会的背景が成長を後押ししたことも事実です。そのような社会情勢が、冷戦の終結によりアメリカとの間で貿易摩擦が起こったり、世の中にモノがあふれる社会になり作れば売れる時代ではなくなったりと、大きく変化したことに対しての認識が弱かったのではないかと思います。社会が変化しているにもかかわらず、自らの実力を過信した結果、バブルの崩壊につながっていったのです。


得られる教訓

ここまで近代日本の二つの失敗を見てきました。

  1. 戦争に勝利し続けたことで調子に乗り、アメリカに勝負を挑んで敗北した

  2. 日本企業が成長し続けたことで調子に乗り、土地や株に投資しすぎて大きな損失を出した

このように、日本は序盤は富国強兵を進めたり、焼け野原からガムシャラに働いたりと頑張って成長していきますが、世界でトップクラスの軍事大国や経済大国になると調子に乗ってしまい、大失敗をするといった傾向があるのではないでしょうか。

私が考える、この歴史から学べることとしては、物事は複雑な状況が絡み合っており、その全体像や背景を理解することが重要だということです。
戦前は、イギリスといった世界覇権国とのつながりがあったからこそ勝てたものを、日本軍の強さだけと認識しました。戦後は、貿易体制や需給状況などの社会状況を置いておいて、日本企業の経営が素晴らしいと認識しました。このような、社会背景を無視して物事を一面的にだけ見てしまうと、失敗する確率が上がってしまうのではないかと考えています。

これは現代のビジネスでも意識する必要があります。
例えばここ数年はDXという言葉が日本企業の中でトレンドワードになっており、多くの企業がDX推進部といった部門を設けています。しかし、自社事業のビジネスモデルや商流を見ないまま、他社や海外事例の真似やツールの導入などに邁進しているケースも多いのではないかと感じています。
もちろん、ここ数年でペーパーレス化やオンライン会議化などデジタル化が進んだことで効率が上がっている面はあり、DX推進を無駄と言うつもりはまったくないですが、本当に効果を上げていくためには、表面的にではなく、自社や社会をとりまく背景を考えた上で、今どのようなことを行うべきかを考えることが重要なのではないかと思います。


「日本、調子に乗ってミスりがち」説、いかがでしたでしょうか。
この話は私が非常に好きなこともあり、冒頭の宣言に反して思ったより文章が長くなってしまいましたが、最後まで読んでもらえていると嬉しいです。

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