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アビリーンのパラドックスと太平洋戦争

こんにちは。れきしたつです。
私は極度の歴史好きなのですが、歴史を勉強していると、ほとんど全ての時代で「〇〇の戦い」「〇〇の乱」「〇〇戦争」といったように、戦争が起こっていることが分かります。

今回は、その中でも日本史上最大の戦争である太平洋戦争についてお話します。太平洋戦争は日本が経験した最も大きく、現代に近く、絶望的な敗北をした戦争です。なぜ日本はこのような無謀な戦争に至ったか、これまでも様々な角度から考察されてきました。

その中でも、この記事では人間の心理や組織論的な話から背景を考えていこうと思います。そのヒントとなるのがアビリーンのパラドックスと言われるものです。(私はかなりのパラドックス好きでもあります。)

詳細は本編に書きますが、人間は時に自分の意思に反した行動を取ってしまうものなのです。これはビジネスにおいても当てはまるところが多いと思うので、ビジネスパーソンの方はぜひお読みください!

日本がアメリカと開戦した理由

1941年12月8日、日本軍がアメリカのハワイを攻撃、いわゆる真珠湾攻撃が発生し、日本はアメリカ(および連合国)との戦争に突入しました。

この理由には様々なものがあります。世界恐慌後の英米などによるブロック経済により追いつめられたから、日中戦争の突破口を見つけるため、などなどです。

ただ、今回は戦争そのものの理由というよりは、開戦という意思決定をした理由について考えていこうと思います。

日本の敗戦は予測されていた

実は、太平洋戦争開戦直前の1941年夏、日本政府直轄の調査機関である「総力戦研究所」が日本とアメリカが戦争をした場合のシミュレーションを実施しています。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後は長期戦が必至で、その負担に日本の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない」というものでした。

さすがに原爆投下は予想外だったものの、それ以外はほとんど史実通りと言える。つまり、かなり高い精度で戦争の予測はされていたのです。

しかし、これを政府に報告したところ、「日露戦争は予測では負けていたが結果は勝った」「偶然的な要素が考慮されていない」などの理由がつけられ、結局この報告は受け入れられず、開戦に至ってしまいました。

非戦派は弱腰という空気感

もちろん政府内に積極的な開戦派がいたのは事実です。一方で、これは推察ではあるが、上記の報告を聞いて開戦すべきではないと内心は考えていたが、口では開戦すべきと言った人も一定数いたのではないでしょうか。口にできなかった理由は色々考えられますが、いわゆる忖度も多分にあったと思われます。

「この人は開戦すべきと考えているのではないだろうか。そんな時に自分が開戦すべきでないと言ったら弱腰や、最悪の場合非国民と言われてしまう。それは困るので、表向きは開戦すべきとしておこう。」

口では開戦派と言いつつ、内心、このように考えていた可能性もかなりあるのではないでしょうか。あくまでも推察に過ぎませんが、一定数いたとしても不思議ではありません。


アビリーンのパラドックス

そんな人間心理を示す話があります。それがアビリーンのパラドックスです。元々アメリカでの出来事で、概ね以下のような話です。

アメリカ、テキサス州コールマンの7月の午後は特に暑く、気温は摂氏40度にも上っていました。
家族は、ファンのあるバックポーチで、冷たいレモネードを飲みながら、ドミノを楽しんでいました。
父:「夕ご飯でも食べに、アビリーンにドライブに行こうか?」
息子(娘の夫):「え?アビリーンに行くの?片道85キロもあるのに?この砂嵐と暑さの中で?エアコンのない1958年ビュイックで?」
娘:「いいアイデアね。私は行きたいわ。ジェリー、あなたどう?」
息子:「いいんじゃない。もしお義母さんが行きたいならね」
母:「もちろん行きたいわ。暫く行ってないしね」
こうして家族4人で車に乗り込み、アビリーンに向かいました。

暑さは過酷でした。約4時間往復170キロドライブした後、皆疲れ果て、長い間静かにファンの前に座っていました。

。。。
息子「素晴らしい旅だったね」
誰も話しませんでした。とうとうお母さんがイライラしながらこう言いました。
母:「実は、あまり楽しくなかったわ。ここにいた方がよかった。 あなた達全員が行きたいって言うから仕方なく一緒に行っただけよ。」
息子: 「あなた達全員ってどういう意味?僕をグループに入れないでよ。僕は、皆が行きたいっていうから付いて行っただけじゃないか。」
娘:「ちょっと私まで犯人扱いしないでよ!あなたとパパとママが行きたかったから行ったんじゃない」
父:「おいおい、待てよ。そもそも俺はアビリーンになんか行きたくなかったよ。暫く行ってなかったから、皆が行きたいかと思って、気を遣って聞いてみただけだぞ。正直、ここでアイスを食べながらドミノを続けていたかったのに。」
皆は黙って腰を下ろしました。。。

ジェリー・B・ハーヴェイ(Jerry B. Harvey), “The Abilene Paradox: The Management of Agreement”より抜粋

いかがでしたでしょうか。この家族は、誰一人としてアビリーンに行きたかったわけではないにもかかわらず、周りの人がこう考えているだろうと勝手に考えて発言した結果、アビリーンに行き、全員が後悔する羽目になりました。

このように、人間の集団では、各々が周囲の人の考えに忖度した結果、誰も望んでいない意思決定がされることがあるのです。

太平洋戦争の開戦を決定した時も、このような集団心理が働いていた可能性はあります。そしてそれが日本の破滅へとつながったのです。

現代の企業でも起こり得る

これは決して過去の過ちというだけではなく、現代の企業でも十分起こり得る現象です。実際、皆さんの職場でも、上司に忖度して自分の意見を隠して伝えるといったことは多いと思います。それを上司が承認したとしても、実は上司側も別の意見だったかもしれません。お互いが忖度を繰り返した結果、誤った意思決定をしてしまうことには注意しなければなりません。

これを防ぐのは非常に難しいですが、少しでも可能性を減らすためには、最近話題の心理的安全性の確保が重要だと考えます。お互い率直に意見が言える環境を作ることで、変な忖度を減らし、合理的な意思決定のための議論がしやすくなります。

心理的安全性というと、人の意見に対してNoと言わないようにするべきだと考えている人もいますが、それはあまり良くありません。むしろ、Noだと思った時に遠慮なくNoと言える、それでも関係性は悪くならないような環境を作ることが大切です。

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