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2022_0615_本読み

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冒頭の写真:
夕方、ヒッポのミーティングに行く途中、いつも通る畑がダラっとした管理なので、いい感じに元気に大きくなったハキダメギク(多分)。

こういう移動いつもはジョギング。
だから、ハキダメギクあるなーでかいなー、と思いつつ通り過ぎてました。
この時は歩いていたので良く目に入り、写真撮りました。

なぜ歩いていたかというと、朝、週一の通勤で、駅で足を捻ったからです。

すごく痛いのを隠しつつ製本授業をこなして、
びっこひきひき昼過ぎに帰宅して、すぐに、こんな時の得意の処置をしました。

氷水で痛いくらいまで冷やしてからお風呂温度でじっくり温める、
を7回繰り返します(これはとても効きます)。

で、夕方。
行きは二キロを30分でゆっくり歩き、帰りは普通に歩けるようになってたので20分くらいで歩けました。

翌日は痛いながらも普通にジョギングできました。

そういえば、怪しい激しい発熱後のロングコロナっぽい疲労感もやっと少しおさまってきたふうに感じました。
回復に時間がかかるのは、歳だからでしょう。

この後どんな経過になるかわからないけれど、足のことは、意外に、まあよかったです。



6月15日(水)は以下を読みました。

『虹の解体』 リチャード・ドーキンス 著


福岡伸一 訳
早川書房
第3章 星の世界のバーコード

3章の最後は、太陽に惑星があるように、他の恒星にも惑星があるかどうか、というのを、ほんのわずかの、恒星の光の揺らぎのドップラー効果を観測することで知る、という話でした。

すごい。

(音読した人:山崎)





『目の見えない人は世界をどうみているのか』
伊藤 亜紗 著

光文社
第5章 ユーモア 生き抜くための武器

読了でした。

人により見方感じ方が違うとは、当たり前のことです。

だから、「見えない人(つまり障害者の一つ)」は当たり前に不便だろうな、と思うだけで、
話を聞いてみようっていう姿勢が全然無かったんだな、と感じました。

そこを「美術鑑賞」という見えない人には不可能と思える分野を使って説明していただいたことがとてもよかったです。

時々すれ違う、白杖を使って通勤してる人は、どんなふうにこちらを感じてるのかな、と思いましたし、機会をみてなにか体験をしてみたいです。

(音読した人:こいでさん)





『学問のすゝめ』 福沢諭吉 著


岩波文庫
十三編 怨望の人間に害あるを論ず

この編の結びは〈堪忍の心〉という表現がでてきました。

〈数日の間同処に置き(中略)実の心情を吐かしむることあらば(中略)讐敵にても必ず相和する〉

と、実際に面と向かって、忌憚なく話すことの大切さを説いていました。著者自身にそういう経験があったんでしょうね。

ロングセラーになったのがわかるなーと思いました。

夢を語ってると思います。

(音読した人:めいさん)





『連句  :  理解・鑑賞・実作』  五十嵐讓介 著

おうふう
第三章 

発句と脇句の意義というのか、役割というのかについて、とても詳しく書いてくれていました。

こんなにいろいろ決め事があるんだ、とちょっと嫌になる気持ちもありますが、「連句」というのはすごい芸術表現なんだという、熱い思いを感じました。

これは、いろいろ流派ができるわけだと思いました。

また、芭蕉から300年以上経った今だからこそ、このように細かい解釈や注意ができるのかもしれない、とも思いました。

(音読した人:きよもとさん)





『芭蕉連句集』  中村俊定・萩原恭男 注

岩波文庫、
三三 めづらしや(曾良俳諧書留)111〜113ページ

最後の前の、芭蕉の句

〈 花のとき鳴くとやらいふ呼子鳥よぶこどり

での、呼子鳥の注に、
〈 猿・山鳥・山つぐみ・鶯・郭公などの説(『滑稽雑談こっけいぞうだん』其諺 著、正徳三年、俳諧歳時記)〉
とあって、
呼子鳥ということばの、音と漢字のイメージの広がりが嬉しい感じでした。

(音読した人:山崎)

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