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2022_0706_本読み

<2074字>

冒頭の写真:
浄水器と普通の水栓の根もと。

完璧はぜんぜん目指してないのですが、
気づいたら、いつもここを拭く(特に裏側)ということが
なんかすごい発見のように感じてます。

その前に、ふきんをきれいに保つようにしたら、この思いつきが生まれた、というのがあります。カビが目立っていたコーキングも剥がしてやりなおしました。

じわじわと全体的にきれいにして、たぶん、頭も整理されてくる、という予感がしてるわけです。

うまずたゆまずたのしんで。



7月6日(水)は以下を読みました。

『虹の解体』 リチャード・ドーキンス 著

福岡伸一 訳
早川書房
第6章 夢のような空想に ひたすら心を奪われ

6章のタイトルは、何かの詩からの引用なのではないか、と思いました。
エドガー・アラン・ポーをちょっと思い出しましたが、きっとイギリスの作家でしょうね。

占星術、占いの批判からはじまりました。

星座というものは、たまたま「ここ」から見てるからそう見えるだけの配置で、なんら意味がない、のは確かにその通り、ごもっとも。

しかし、人間は何にでも「意味」を見出してしまうのです。だからドーキンスの言うことは全くごもっともなんですが、私たちは集団でその神話を信じて(とは言い過ぎですが、影響を受けて)生きてる、という面がある、と思いました。

だからこそ、おかしなことになる、のはそのとおり。しかし「啓蒙」は少しずつ少しずつ進んでいる、と思います。

(音読した人:山崎)





『暗殺の年輪』から「溟い海」 藤沢周平 著

文春文庫

つぎつぎ登場する、北斎の弟子たちやら、息子の嫁などなどのやりとりから、広重は何者か、が少しずつ、またその絵がどんなであるのかが少しずつ、もやのなかかがら姿を表してくる感じです。

こいでさんが、藤沢周平は、小説のすごい職人、あたりはずれがない、と言ってましたが、それがわかる感じです。ひきこまれます。

(音読した人:こいでさん)





『連句  :  理解・鑑賞・実作』  五十嵐讓介 著

おうふう

季もどり、についてでした。
芭蕉は『三冊子さんぞうし』(土芳著、1703年)の中で連句について、一歩もあとへ帰る心なし、と言っているそうです。季節も前から後に流れないと、違和を感じるということですね。

ところで、ここで、7月6日は俵万智の「サラダ記念日」だ、という話に。

そこから、朝日新聞に載った記事のことをこいでさんが言いました。

俵さんが詠んだ長句にAI(俵さんの短歌などを学習させてある)が短句を付ける、という企画です。会員有料記事だけどリンク貼ります。

動画なんかもあって、すごく面白かったです。あらゆるところに意味とか繋がりを読み取る(作ってしまう)人間の性質が、すごくあらわれますね。

一方、『統計学を哲学する』をヒッポで読んだときに知った、AIがその答えを導き出した理由を人間は知ることができない、という事実のことを思い出しました。因果関係の筋道が人間とは違うらしい。

まあ、門外漢にとっては、脳もどうやって答えを導きだしてるのか、核心は、人間にはわからないのかもな、となんとなく思っていますが。

AI(ロボットって言っていたかな?)が人間に似るのではなく、人間がAIに似ていくんだ、なぜなら、人間(生物)には柔軟性があるから。
と養老孟司さんが言っていたのも思い出しました。

上の朝日新聞の企画では、

Wikipediaを学ばせたAIに短句を付けさせる。
俵万智の歌集6冊(だったかな?)を学ばせたAIに短句を付けさせる。

をやっていて、それぞれ面白かったです。

人間の「個」が脅かされる気持ちと
「わかる」だけの世界のことだよな、という気持ち

膨大、莫大な「わからない」の表面に「わかる」点を打って、関係を理解してる感じなんじゃないかな、と思いました。

(音読した人:きよもとさん)







『学問のすゝめ』 福沢諭吉 著


岩波文庫
十五編 事物を疑いて取捨を断ずること

譬え話が度を越して、というのか、漢文調の文語文に山崎たちの理解が追いつかず、混乱しました。

なんでも盲目的に西洋崇拝する、ということの現状(明治一桁)のおかしさを言いたいのだと思います。

例え話は、
実際に日本で過去に起きたことを全部西洋で起きたことに、
西洋で起きたことを日本で起きたこと、
に、取り替えて考えてみています。

それは衛生的でないから改めてください、と主張してる内容を
そのまま
それの方が経済的には合理的で優れているのです、
と逆に主張する、みたいなことが「開化先生」たちのやっていることで、
その場かぎりではなんとなく話の筋だけは、通せてしまうものですけど、
とてもばかばかしい、
って言いたいわけですね。

(音読した人:めいさん)





『芭蕉連句集』  中村俊定・萩原恭男 注

岩波文庫、
三五 馬かりて(卯辰集)117~119ページ

〈 靑渕せいえんうそ飛込とびこむ水の音 〉

有名な 蛙とびこむ と同じだな、と思いました。

きっとこういう使い方はあるんでしょうね。

ちなみに蛙〜の発句は貞享3(1686)年が初出。今は元禄2(1689)年。

(音読した人:山崎)


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