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森と湖の国 中編

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街中の観光スポットをおおかたまわったわたしは、郊外に足を伸ばしてみたくなった。そのころには、乗り物にもだいぶ慣れ、バス下車の際には運転席のミラー越しに片手を上げてドライバーに謝意を伝えることも、車内の電光掲示板にあらわれるバス停の名前を見て自分の降りるべきバス停が近づいているかどうかもわかるようになっていた。

それはVRと呼ばれる特急列車に乗ってイッタラ村を訪れたときのこと。
前日、イッタラ&アラビアデザインセンターにすっかり魅了されたわたしは、あくる日の昼過ぎ、村にあるガラス工場の見学に行くことにした。調べた情報によれば、ガラス美術館もあるということだったので、時間も多めに帰りの列車のチケットは遅めの17時にする。ガラス工場は想像と違わずとてもおもしろかった。揃いのつなぎを着た職工たちが、いくつかのユニットに分かれ、軽妙なテンポでつぎつぎとガラスを仕上げてゆく。その真ん中には大きな円筒の釜があり、等間隔に開いた口からは赤々と燃えるガラスの海が見える。職工はそこにガラスの棒をつっこみ、棒の先にガラスをひと玉とると、垂れないように棒を両手でまわしながら、反対側から息を吹き込みガラスの玉をふくらませる。すこしふくらんだ玉はまだ赤々としている。それを型につっこみ、すこし経ってから別の職工が型から外すころにはガラスはすっかり色が変わっている。かたちの変わったガラスを回転させながら台に乗せる。台に乗ったガラスは機械によって棒から切り離され、クッションの敷かれたローラーを転がってゆき、また別の職工の手によってバリが削り取られ、きれいな商品のかたちとなって次の部屋へとつづくローラーに乗せられ流れてゆく。

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円筒のグラス、鳥のかたちをしたオブジェ、巨匠アアルトがデザインした切り株型のガラス。
目にも鮮やかなガラス製品がつぎつぎに生まれてはローラーの上を流れていった。デザイナーたちが生み出した美しい造形物は、職工たちの手によって受け継がれ、この工場で絶えず量産されている。その景色が目の前にあることをどこか不思議な気持ちで眺めていた。

工場を見学し、ランチをとってからいよいよガラス美術館へ。しかし、閉まっていた。たしかに営業時間内のはずだし、とくに表へお休みの張り紙が出ているわけでもない。近くの木工芸店で話を聞くと、「コロナウイルスの影響でお休みしている」という。これがフィンランドで初めて感じたコロナの影だった。

こういった不測の事態は旅にはつきものだし、行った先でインターネットが使えるとは限らない。それにヘルシンキが寒いからか、スマートフォンの充電池の減りはおそろしく早かった。電波や電池に頼らないアイテムは必須であり、旅先にはかならず本を持って行くようにしている。思いの外あまってしまった時間を、わたしは近くの図書館で本を読んで過ごした。

つぎにコロナの影を感じたのは、翌々日、ヘルシンキ近郊の湖へハイキングに出かけたときのことだった。airbnbの体験で4時間のハイキングコースに参加することにしたわたしは、集合場所や時間について主催者とチャットでやりとりをしていた。ハイキングは最後、ボランティアの手によって成り立っているサウナに行くまでがセットだったが、主催者はサウナは取りやめにするという。理由はもちろん、コロナウイルスだ。すこし残念ではあったがメインの目的はハイキングなので問題ない。ヘルシンキ駅で集合したわれわれはバスで湖へと向かった。その道中でフィンランドという国がまだ新しい国だということ、フィンランド語のほかにスウェーデン語も公用語であること、ロシアのサンクトペテルブルグが近いためロシア人観光客が多いことなどを知った。しばらく経ってから主催者の彼がアルメニア人であること、フィンランドへ移住してまだ3年であることも知った。その彼に東京の人口を聞かれたが、もちろん答えられなかった。海外へ行くと、自分が日本のことについてほとんど何も知らないという事実を痛いほど知る。そしてそのたびに帰国したら調べて英語で説明できるようになろうと考えるのだが、三日坊主ですぐにその決意を忘れてしまうのだった。英語で語れることなんて本当に豆つぶ程度だ。

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その人はフィンランドという国のことだけでなく、いろいろなことをよく知っていた。鳥の名前も、ブルーベリーの茂みがどれであるかも、白樺の樹からミネラルたっぷりの樹液を摂る方法も教えてもらったが、わたしがとくに気に入ったのはアニミズムについてだった。フィンランドには日本と同じく、すべてのものに霊が宿るという考えかたがある。木には木の、湖には湖の、サウナにはサウナの霊が宿っているのだという。湖のほとりにはムゥッキと呼ばれるちいさな別荘がいくつも建っていて、その近くにこのムゥッキを守ってくれることを願って置かれた小人の像が苔むしていた。
日本から遠く離れたこの国にも八百万の神がいる。それはこのフィンランドを近しく感じたひとときだった。

主催者の彼はサウナの案内をできなかったことを申し訳ないと詫び、いつかぜひ行ってほしいと言った。またかならず来るつもりだと答えたうえで、街中のサウナであれば2度行ったと伝えた。実を言えば、初めて行ったサウナでわたしは心震える体験をしていた。ひとりでサウナに入っていると、老婦人5人がわいわいと入ってきて、サウナの最上段でにぎやかなおしゃべりを始めた。おしゃべりは絶え間なくつづき、気分が最高潮に達したのか、歌を歌いだした。それはサウナの歌であった。ほかの部分はわからない。しかしサビと思しき部分で繰り返されていたのは「サウナ」という言葉だった。ほんのり薄暗く、ぼやけた蒸気の中で頭上から降ってくるサウナの歌はわたしをとても幸せな気持ちにした。もしかしたらあのとき、わたしはサウナの霊に会っていたのかもしれない。

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その話をすると、主催者の彼もそれはとてもめずらしい素敵な体験だと言ってくれて、その夜はサウナの代わりにおすすめされたサーモンスープを食べて帰った。からだには心地いい疲労感があった。
そして翌日、フィンランドに新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発表された。

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