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森と湖の国 前編

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いままでアジア諸国ばかり巡っていたわたしが、なぜ唐突にフィンランドに行くことしたかといえば、それはやはりわたしの育った町に由縁しているのであろう。

わたしが育った町はむかしからフィンランド、というよりはムーミンと関係があった。ムーミンの世界観を模した公園が丘陵のすぐそばにあり、そこへは子どものころからよく行っていたし、その親しみやすいフォルムに愛らしさも感じていた。そして去年、この町にあらたにできたのがムーミンのテーマパークである。テーマパークといってもアトラクションやショーのある部分は少なく、その手前には無料で入ることのできる公園スペースが湖を前に広がっている。わたしの家からこの公園へは歩いていっても30分強。行ってアイスクリームでも食べて帰ってくれば、じゅうぶん愉快な散歩コースになる。

大人になってずいぶん経ってからこの育った町にも居心地の良さを感じはじめ、ふと本場を見てみたくなった。模したこの世界は、ほんとうにあのフィンランドのムーミンの世界とあっているのか。ここにただよう空気は、あの北欧の国にもほんとうにあるのだろうか。

フィンランドの3月といえば、日本の真冬。そろそろしまうつもりだったセーターとダウン、厚手の靴下をリュックにつめこんだ。しかし世間は新型コロナウイルス騒動の真っ只中。3月末に予定していた友人との上海旅行はとうに中止となっていた。その時点でフィンランドの発症者は武漢からの中国人観光客1人のみだったが、行くべきかどうかギリギリまで悩み、航空券をキャンセルしてそっくりお金が戻ってくるならばやめようと思った。調べてみると、半分はおろか4分の1しか戻ってこない。

この先、まるまるひと月も仕事を休むことのできるチャンスがあるだろうか。いや、ないだろう。えい、行ってしまえ。その時は、まだわたしも家族も、とはいえ何事もなく帰ってこられるだろうと思っていた。
そして3月上旬、3年半ぶりの国際線でわたしは成田を飛び立った。

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フィンランドに着いてはじめの1週間は、ヴァンターという町で寝起きしていた。ヴァンターは国際空港のある町で、ヘルシンキまでは電車で20分ほど。わたしが泊まっていたアパートからヘルシンキまではバスで40分、ヴァンターの中でもやや郊外にあり、インド人のやっているバーがひとつあるほか、あたりに店らしきものはなかった。しかし、それなりに大きな団地だったので、バス停で降りる人も多く、おかげで滞在のあいだ降りるバス停を間違えることも、道に迷うこともなかった。

ムーミン美術館に行くことと、旅の後半でサーミ人の文化を見にラップランド地方を訪れるつもりであることのほかは、いつもどおりまったくのノープランで、なにしろひさしぶりの海外にすこし不安もあったので、出発前日に買ったガイド本を手に、そこへ載っている場所をかたっぱしから行ってみるつもりでもあった。

ヘルシンキはちいさくまとまった街で、行き当たりばったりに歩いていても知らず知らずにガイド本に載る有名な場所は制覇されてゆき、そうなるとわたしはいつもと同じようにGoogleマップ上を泳ぎまわって、気になった場所へゆく。
ヘルシンキ市立美術館、デザイン美術館、イッタラ&アラビアデザインセンター。
テンペリアウキオ教会、パキラ教会、アカデミア書店。
なかでも気に入ったのは屋内植物園のHelsinki Winter Gardenと、複合図書施設のOodi(オーディ)。

ヘルシンキは治安もよく、美術館などにはクロークやロッカー以外に上着をかけておくことのできるラックがあった。このWinter Gardenにも上着をかけるラックがあり、ひとびとは上着も脱いで気楽な格好で歩きまわり、ベンチに座ってお茶をしていた。自宅からコーヒーカップとソーサーを持参しているひともあり、海風が冷たい屋外とは打って変わって、庭園内はゆったりと暖かい空気で満たされている。

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このゆったりとした暖かい空気はいたるところにあって、複合図書施設のOodiもこの空気に満ち満ちていた。3つのフロアからなるOodiは、1階にカフェとインフォメーション、エントランス。2階にデジタルファブリケーション機器とミシンなどものづくりができる機器のあるスペースと、いくつもある個室のミーティングルーム。3階が広々とした図書館となっていて、それこそ1日中いることのできる最高の施設であった。

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大小さまざまなイスに、靴を脱いだ子どもたちが走れるスペース、PC作業にもってこいのデスクに、学生が勉強するためのデスク。ちいさな子どもから高校生のカップル、リタイアしたシニア層まで、めいめいの目的に合った過ごしかたのできるこの場所がわたしは好きだった。一日の半分をここで過ごすこともあった。広場に面した1人用のソファに座り、注文したコーヒーを飲みながらフィンランドのアーティスト、ルート・ブリュックの図録を読む。フィンランド語は読めなくても図録であれば楽しむことができる。ほかにもいくつか陶芸関連の書籍を手に、帰国後やってみたいアイデアなどを手帳に描きこんでいると時間はあっという間に過ぎてしまう。街中には日本人観光客も多かったし、すべては順調だった。そうして最初の何日間かは穏やかに過ぎていった。

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