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森と湖の国 後編

3月16日、フィンランドの緊急事態宣言によって、すべての美術館、博物館、図書館の閉鎖が決められた。効力を発揮するのは2日後の3月18日から。とはいえ、対応を急いだ施設はレストランやカフェも含め17日から閉めていた。3月17日、わたしはヴァンターからフィンランド第2の都市でありサウナキャピタルとも呼ばれるタンペレと移動することになっていた。

そのころになってわたしもやや不安を感じ始めていた。帰りの飛行機は飛ぶのだろうか、外国人旅行者は出国できるのだろうか。すこし不安になったわたしはヘルシンキにある日本大使館へと赴くつもりで、街中へ向かうトラムを待ってカフェの窓から外を眺めていた。そのとき、眼鏡をかけた初老の男性に話しかけられた。彼の名前はMとしておこう。Mは親しげに話しかけるととなりに座らないかと言う。断る理由もないのでとなりに席を移すと、Mはどこから来たのかと尋ねた。日本から来たこと、観光であること、フィンランドのアーティストならルート・ブリュックが好きであることなどを話し、わたしが陶芸に興味があることがわかるとMの目は輝いた。

自分は建築家であり、大学で教鞭をとっている、日本の建築にもとても興味があると言う。日本の建材であればたたみが好きだとわたしは言った。たたみはフローリングよりも冬は暖かいし、夏は涼しい、寝転んでも痛くないし、新品のたたみは匂いがいい。い草でできていて、植物はなんていったって息をしているから。そんなようなことを説明すると、Mは手帳を取り出して「TATAMI」と書きつけた。自分は詩のサークルに入っている詩人でもあり、気になったことはこうして書いておくのだという。Mは「窓から見えるあの図書館は自分が携わったものであり、ぜひ中を紹介したい。まわりの建築についてもぜひ話して聞かせたいことがあるから散歩しないか?時間はどのくらいあるのか?」と聞く。1時間なら大丈夫だと言うと、それならぜひ行こうとMは誘った。日本大使館のことは頭をかすめたが、ガイドでもない現地の人に紹介してもらいながら街を歩く機会もそうないだろうと思い直してついていくことにした。

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Mが案内してくれた図書館は実にみごとで、1912年に開かれたその図書館は、フィンランドの中でも最も古い図書館らしかった。図書館はいまから30年前にフルリノベーションされたらしく、Mが携わったのはこの改修のときであろう。なかにはMがデザインした本のラックや棚もあった。当時のリーダーは女性で、仕事には厳しかったがとても聡明な女性であったという。いまのフィンランドのサンナ・マリン首相といい、フィンランドにはとても有能な女性が多いようだ。そしてそれを妬むでも僻むでもなく認めているMがとても好ましく感じられた。わたしたちはパン屋に行ってブルーベリーパイを食べ、あたりの建築を見てまわり、教会でキャンドルを灯し、もとのカフェの前へ戻ってきた。

Mは、美術館も図書館も閉まってしまうけど大丈夫。フィンランドには森がある。そこへ行って歩いていれば気分もよくなるし、あなたはきっと大丈夫だと言った。その言葉はわたしにとても優しく響いた。Mはキオスクを右に折れ、わたしは左に折れてさようならをした。そうして急いでヴァンターへ戻り、次の目的地タンペレへと向かった。

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タンペレに着いたのは18時過ぎ。フィンランド第2の都市であるはずのタンペレはひっそりとしていて、人気がなかった。ゲストハウスに着いてもその閑散とした様子は変わらず、宿泊客はわたしの他に3〜4人しか見なかった。当初の目的地であったムーミン美術館はゲストハウスから通りを隔ててすぐ向かいにあったが、17日からすでに休館となっていた。夕飯の買い出しに行ったピザ屋でも店主とするのはコロナの話。テイクアウトしてゲストハウスに戻ると、日本大使館からメールの返事が来ていた。旅行者が帰国できるのかどうかメールで問い合わせたのだ。大使館からの回答は、外国人旅行者は帰国できることになっているが飛行機が飛ぶかどうかは航空会社に問い合わせてほしい。そうしているあいだにもヨーロッパの感染者は増えつづけ、状況は思っていたよりも速いスピードで悪くなっていた。そして乗る予定だったフライトはキャンセルとなり、フライトの変更が必要となった。家族からも「無事なのか」「心配し疲れたから早く帰ってきてほしい」と連絡が来ている。それなりに堪能したし、また来ればいい、いまは身の安全と家族の安心が最優先と、帰国を予定よりも4日早めることにして、翌日半日かけてヘルシンキの宿の予約、ヘルシンキまでのバスの予約、帰りの航空券の取り直しをした。航空券の購入ボタンを押すときは指が震えていた。

帰りの日時と便が決まると、途端に安心した。にわかに元気づき、外に出かけようという気になった。タンペレにはピューニッキと呼ばれる森がある。きのうの残りのピザを食べ、トレッキング用の靴に履き替えると、わたしはゲストハウスをあとにしピューニッキへと向かった。

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ピューニッキは湖畔にある、森と公園のあいだのような場所である。湖に沿って道を歩いていると、よく人とすれ違う。ショッピングモールにはあれだけ人がいなくて、ひとびとはどこへ行ってしまったのだろうと思っていたが、はたしてひとびとは森にいた。フィンランド人はよく歩く。そしてよくありがとうを言う。日本語で「ありがとう」と「ごちそうさま」と「またね」と「どういたしまして」が、kiitos(ありがとう)に集約されている印象だ。どこにいても、どんな人からもこの言葉は聞くので、「kiitos」「moi」に関してはかなり自然に使えるようになっていたと思う。湖畔を2時間も歩いただろうか。すこし疲れて景色のよく見えるベンチで休もうと腰を下ろすと、カラカラとガラスが風に吹かれてぶつかり合ったような音が聞こえてきた。その音は下から聞こえてくる。崖下をのぞくと、凍っていた湖が溶けて割れ、大小さまざまな氷が波にもまれてぶつかり合っている音だった。まるでウィンドチャイムだ。西にかたむきはじめた太陽がキラキラと湖面を照らしている。その景色と音はいつまでもそこにいたいほどで、涙がこぼれるくらい美しかった。

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それから帰国まではあっという間だった。タンペレからヘルシンキに戻ってからもわたしはよく歩いた。ほかに行くところもなかっということもあるが、フィンランドには都心のヘルシンキにいてもなお、歩いて自然を感じることのできる場所がたくさんある。思えばわたしの旅はいつも最後は歩き倒しておわる気がする。とにかくフィンランドは自然とともにあることを信じられる、そういった国であった。

出発の朝、Mからメールが届いた。メールには詩が添付されており、誌のタイトルは『TATAMI』であった。詩はフィンランド語と英語で書かれていて、カフェでわたしと会ったこと、たたみのこと、ブルーベリーパイを食べたこと、建築を見てまわったこと、教会でキャンドルを灯したことが詠まれていた。わたしの身を案じてくれていることに心を打たれたし、詩に励まされた。この出会いを詩の霊に感謝しておこうと思う。

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飛行機の窓から見たフィンランドは、まるで宇宙から見た地球だった。無数の湖が夕陽に照らされて輝いている。高度が高くなるにつれて、道なのか雪をかぶった尾根なのかわからなくなり、どちらが陸でどちらが湖なのかわからなくなった。
森と湖の国はすこしずつ、すこしずつ、窓の外にちいさくなっていった。

そうして日本へ帰ってきて、いまは自宅において2週間の自主隔離期間を過ごしている。症状の有無に関わらずという決まりなので、とにかくおとなしく家の中で過ごすのみだ。心配をかけ、また迷惑もかけてしまった家族には、大変申し訳なかったと思っているし、運良く健康なままに帰ってくることができたのも本当に運がよかっただけだと反省した。そして、こうして時間をとって今回のことを筆にとっている。

部屋で本を読みふけるわたしが最初に読み終えたのは、劉慈欣の『三体』。その最終章の副題は、「人類の落日」。
美しいフィンランドの森を想いつつ、この日々を乗り越えてひとびとがまた世界を行き来できる日が早く来ることを願っている。

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