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【R18】それを恋を呼ぶなら 第9話「忘れじの…」

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 涙混じりに母を問い詰めたところ、母は驚いた顔で、沙耶さんが僕に話したことを事実であると認めた。

「どうしてさ。僕はここの学校に転校すると思っていたのに」
「光輝にちゃんと言っていなくてごめんなさいね」
「なぜなの。どうしておじいちゃんの家に行くの」

 すると母は、その方がいいとか、おじいちゃんの家に移った方が友達ができるとか、理由にならない理由を言った。ぜんぜん納得できない。

 ここに残る、お母さんだけ行けばいいなんて駄々をこねてみたものの、まだ小学生の自分が大人たちの決定に逆らえるはずがない。

 ゆったり流れていると思っていた時間は急に加速度を増し、慌ただしく過ぎていく。ずうっと開いていた彼女の部屋のドアは固く閉じられてしまい、僕がノックしても返事もしてくれない。沙耶さんの顔を見ることもできなってしまった。

 悔しくて悲しい気持ちのまま、八月も最後の週を迎え、この家に居られるのもあと僅か。夏のあいだ、元気な姿を見せてくれたひまわりも、茶色にうなだれて枯れ果てた。そして僕は、かけがえのないひと時を過ごした伯父さんの家をあとにした。

 彼女へ、さようならも言えずに。

 新しい住まいは伯父の家よりも小さい。というよりも伯父さんの家が大きかったのだ。森に囲まれた小高い丘の上の西洋館。そこに彼女がいる。

 新たな住まいとなった部屋の窓を開けても熱風が入ってくるだけ。虫の声も聞こえない。聞こえてくるのは車のクラクションやとりとめのないざわめきだ。

 おじいちゃんとおばあちゃんは優しかった。九月に入り、僕は新しい学校へ通い始めた。親しい友だちはできなかったけれど、いじめにあうこともなく、僕はごく普通の平凡で平和な日常の中にいた。

 新居に移ってしばらくしてから、彼女に手紙を書いた。彼女の携帯電話の番号も知らないし、LINEもメアドも聞くひまがなかったから、仕方なく、あまりうまくない字で便箋に書いてみた。

 何を書いたらよいのか話題に困ったが、新しい学校のことや彼女の体調のことや、思いつくことをだらだらと書いて、彼女へ送った。

 一週間経っても二週間経っても一ヶ月経っても、彼女からの返信は無い。それでも僕はまた手紙を書いた。返事が来なくても、また次の手紙を書いて送った。その次の手紙も、次の次の手紙も。次の次の次の、そのまた次の手紙も。ほかにできることが無かったからだ。

 そうのち、返信を期待するのを諦めた。返事が来ないとわかっている手紙に、そもそも彼女へ届いているかどうか、届いていたとしても読まれずに捨てられているかもしれない手紙に、彼女への思いを綴る。

 一年経って二年が過ぎて、やがて僕は中学生になった。彼女を忘れるどころか思いは募るばかり。溢れる思いのすべてを書き綴り、彼女へ送る。僕の時間は彼女がいたあの夏で止まっていたから。

 ある日、僕宛に一通の手紙が届いた。薄いグリーンの封筒を裏返してみる。そこにあった差し出し人の名前は「三津井沙耶」。

 手が震えていた。まさか、まさか返事が来るなんて思ってもみなかった。とっくに諦めていた。そういえば…彼女の文字は初めて見る。初めてなのに、彼女らしいと感じた。綺麗で、静かな、美しい字だ。

 震える手で封を切り、封筒の中の便箋を取り出す。折り畳まれたそれを広げる。薄い花柄模様の便箋だ。そこに、彼女の字でこう書かれていた。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

光輝くんへ


忘れじの 行く末までは 難ければ
今日を限りの 命ともがな


沙耶より

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

 余白の方が多い。封筒の中をあらためてみても、手紙はこの一枚だけだ。

 どういう意味なんだろう。これは…和歌かな。

 和歌…。

 あっ、と思い出した。

 これは、あの時のだ。毛布の中で沙耶さんと裸でくっついて横になっていたときに、彼女が口にした歌だ。

 どんなに時が経っても大人になっても、僕は沙耶さんを忘れたりしないと言ったら、悲しい声で彼女が歌った。その和歌だ。

 僕はすぐに彼女へお礼の手紙を書いた。何枚もの便箋にびっしりと、お礼だけじゃなくて、とにかく思いつくすべてを歪な字で書いて送った。でも、いくら待っても返事は来なかった。

 冬が来て、春になって、夏がやって来た。母の口から"受験"という言葉が出始めた頃、ある蒸し暑い日の夜、眠っていた僕は母に起こされた。枕元の時計を見ると二時を回っていた。電話があったと言う。

 それは伯父さんからの、訃報を知らせる電話だった。

 彼女が…僕の沙耶さんが…亡くなった。


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最終話「君を忘れない」へ続く


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