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カウンセリング記録【14回目】

14回目の記録


綿です。
カウンセリングも14回目。通い始めて10ヶ月くらい経ちました。

前回のカウンセリングから、2ヶ月くらい間が空いてしまった。

本当は1ヶ月後に行く予定だったけど、体調が悪かったり先生との予定が合わなかったり…

そしたらかなりの間が空いてしまった。

この期間、体調が特別悪いわけではなかったけど、良いわけでもなかった。

実は長年お世話になった方が亡くなってしまって。
10年近く関わっていた方だったのと、突然のことでお別れも言えなかったのが自分の中でかなりショックが大きかった。

それに重なるように、好きなアーティストさんが亡くなってしまったり、ちょっと悲しいことが続いたのもあるのかなあ。ちょっとメンタルが落ちていた。

あとは……自分の周りの環境の変化。

年齢が上がると、結婚した~とか恋人が~とか、そういう話が増えてくる。まじで増える。

周りがどんどん進んでいくのが、なんというか…悲しくて、勝手に置いて行かれたような気がして、自分の居場所がなくなってしまったように感じてしまっていた。 他人と比べてしまってるんだよね〜はあ…

カウンセリングの話に戻ります。
今回のカウンセリングは、これまでと違ったことをしました。

いつもは向かい合わせに置かれた椅子の片方に座って、もう片方には親(もしくは自分)が座ってると思って話したりする方法だったけど、今回は床に座ってのセッションだった。

周りにクッションとかブランケットとかを置かれて、

「好きなように使っていいよ。座り方も自由でいい。寝そべってもいいし、自分の好きなようにやってみて」

と先生に言われた。


その時の私は、自分の殻の中に閉じこもっていたい、小さくなって自分と周りの世界を遮断したい気持ちだったので、小さく丸まって、ブランケットをかぶって、クッションを抱きしめて小さくなった。

セッション中は、ずっと私が話している感じだった。

先生が質問を投げかけてくる感じではなくて、私がポツポツと思っていることを言葉にしていく感じ。

先生は時々相槌を打ってくれたり「そっか、そうだったんだね」と共感したり私の話をまとめてくれていた。


親は子供からもらったものじゃ満たされない。
子供は親からしか満たされない。


母がどんなに私に「ちょうだいちょうだい」しても、私は母のお母さんじゃないから心は満たされない。それがとにかく辛かった。

ずっとあげてたらおかしくなる。
そう思ったら、もう離れるしかない。ここにずっといたら共依存になってしまうから。

でも、離れようとするといろんなことを考えてしまう。

「私がいなくなったらお母さんはどうなるんだろう」
「寂しいかな。つらいかな」
「お母さんの悲しい顔は見たくない。それなら私が我慢した方がいいのかな」

だけど、ここで離れるのは私だけじゃなくて母のためにもなる。

離れることで、もしかしたら母も何かを思うかもしれない。母のお母さんのことを考えるかもしれない。

「離れる」っていうのは、縁を切るってわけじゃない。

ただ私は、人との距離の取り方、距離感の取り方が下手。

他人との境界線が少し曖昧で、「それは相手の問題でしょ」と普通の人なら思うようなところまで入ってしまうことが多々ある。

そこの境界線をこれから正して行かないといけない。
ちょっと近いな、とか、ちょっと他人のスペースに入ってるなっていうのは少しずつ思うようになってきたから、これから改善していかなきゃ。


今回のカウンセリングで、

「ずっと親のために尽くしてる自分に、なにを言ってあげたい?」

と聞かれた。

いつもだったら、
「ずっと頑張ってきたんだね。もういいよ」
「自分のために生きていいんだよ」って優しく言っていたんだけど、今日は強く引っ張ってしまった。


「もうやめて。そこにいちゃダメ」
「こっちおいで。そこにいたら壊れちゃう」
って、自分を自分の胸に閉じ込めた。


もうそれ以上そこにいないで。そこにいたらダメになるよ。あなたはそんな人間じゃない。そんなふうに雑に扱われていい人間じゃない。


「一人じゃないよ。私がいるから。もうそこに居続けないで」

こうやって強気に引っ張れたのは今までにない変化だった。

自分を守る覚悟ができたみたいな… 自分を大切にしたいと思えた感覚…


私は私が守る。
もうあの人の言いなりになりたくない。私は物じゃないもん。私は私だもん。


もう一度自分と向き合って、親とも向き合って、頑張ってみよう。

自分だけは離さないでいたい。自分で生きることは諦めたくないよ。

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綿
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