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今朝の閃き。

朝、夢と目覚めの間で、バラバラに体験したことがつながりあって、『そうか』と自分の中で腑に落ちるというか、大袈裟に言えば『神のお告げ』のように閃くことがある。

私は、長い間、花の仕事に携わりながら、一時は当時盛んだった花のコンテストなるものに参加していた。植物を使って、デザインすることに最初は面白さを感じてのめり込んでいたが、繰り返していくうちに段々苦しくなった。

他と違う手法をどれだけみせるかが過激になりすぎて『自然のものをこんなにまでデザインという名のもとに痛めつけていいのか』『美しさとは何か』『フラワーアートと呼ばれているものはアートなのか』など、モヤモヤが続き、『自分と植物の心地よい関わり方』を考え、その場から離れた。

その後は、美術館、展覧会を尋ね、まずは様々な見方や考え方に触れてみるようにした。勿論、好きな作品もあれば全く自分では理解不能な作品あり。
(特にコンセプチュアルな作品は解説もわからなさすぎて悶絶しながらですが、どこまで自分がアーティストの考えに近づけるかが、その時々で面白いところでもあります。)

その他、自分では花でなく写真作品での発表活動等をしながら、『アートってなんだろう』という疑問と『自分の表現したいこと』について付かず離れず向き合ってきた。

今朝の閃きは、なんとその迷路に、ある道標が現れたようだった。
そして、そこから先は、色々なアイディアが頭の中に浮かんできて、メモメモ、と急ぐ。ここ数年の世の中の混乱もあり、思考も停滞していたので、久しぶりの良い感覚だった。

その閃きの要因の一つが、先日の『リヒター展』。
特別前から気になっていた展覧会ではなく、実は思いつきで向かった展覧会であった。色彩に溢れていたことと、キャプションに当たっていた照明が私にはキツすぎで、それを夢中で読んでいたことで、出る頃には目がおかしくなってしまったのだが、この閃きに繋がったことには感謝したい。

見え方も色々。

今朝の閃きは、もう少し反芻して、そのうちいつか発表すると思う。
ふとその時浮かんだのは、昨年撮影した『後ろ向きのダリア』。
少し見方を変えることが閃きにつながっていく。
当たり前のことを忘れていたようだ。

後ろ向きのダリア
Leica M4 / DR-summicron / Kodak Tri-x 400


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