夏の百合 その場所で咲くこと
先週のお稽古で使った向日葵は、やはりこの猛暑であっという間に枯れてしまった。いけられた花は、夏は特に長持ちしない。
これまで季節がなんであれ、花をいけることを当たり前に続けてきた。
しかしこの数年、植物の自然環境下での生き生きとした姿、在り方を注意して見つめるようになり、その面白さに惹かれるようになった。
最近は、生産された花をデザインしていけることが少し辛くなることがある。
ただ、美しいという花よりも、それぞれの環境下での『姿や在り方』を見つめる方が愉しい。
山百合。
1枚目は、草木が生茂った森の中。優しく俯いている。
2枚目は、燦々と降り注ぐ夏の太陽に向かって、力強く岩の合間から生えていた山百合。
茎の太さやしなやかさ、花の向き方が植生で全然違う。
とても面白いと思う。
鬼百合。
鬼百合は、野山にも住宅街、街中にも咲くことのできる順応しやすい花。
1枚目は、数年前鎌倉の段葛の近くで、フィルム撮影。遠くの学生さんと同じく楽しげに群れ咲いている。
2枚目のお寺の庭に咲く花は、凛として緊張感もあり素敵だ。
どちらもそれぞれの夏のあり方。
『その場所で咲きなさい』とは、よくいったもの。
植物がそれぞれの種を落とした選べない環境下で生きているのと同様に、人間も、自分の意思だけでなく時間や社会の変化で、価値観も生き方も変わっていく。
変化することに正解は見えないから、色々戸惑うこともある。
しかし、その時々のポジションで幸せになることをイメージすればいいと考えれば、だいぶ楽になる。
変化しながら、自分はこれからも、植物と向き合っていく。
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