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桜がまだ蕾だった2週間ほど前、五葉木通(ゴヨウアケビ)がほぼ車しか通らない街路樹の桜の枝に絡んでいたのを思い出し、そろそろ咲く頃かと同じ道を辿ってみた。
木通の花は蔓に小さな葡萄の房のようにたわわに花をつけていた。
そして桜は葉桜。
五葉木通の複雑に絡み合った蔓を丁寧に解きながら少々いただいて、帰路につこうとしたのだが、茶色の葉を出した葉桜がとても気になって引き返した。
前回の記事で『桜は近年いけていない』と書いてしまったが、その時どうしても葉桜を写真に撮っておきたい衝動にかられ、
『すみません、少しいただきます』
となってしまった。
満開の桜だったら、多分そうは思わなかった。
![](https://assets.st-note.com/img/1649321082642-dRu913iPHJ.jpg?width=800)
帰宅したのは夕方5時過ぎ。もう既に自然光を取り入れるのが難しい時間。
でもどうしても今日でないといけない気がして、慌てて『桜の木のボウル』
に入れ、ISO感度上げてなんとか撮影だけした。
春の夕暮れのまろやかな光は、散りゆくものを優しく照らす。
翌日、改めて青錆の入ったタライに入れた。
ここでも入れただけで『いけて』はいない。
![](https://assets.st-note.com/img/1649322026559-sWZucStQ3R.jpg?width=800)
物事には、必ず終わりがある。
最近は、何かにつけて終わりを考えてしまう年齢となってしまったが、多分それでも何か始まるものもあるきっとある、とふわっと桜が言っているような気がした。
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