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手のひらで感じる時間

古いモノを見たり、収集することがいつしか趣味になり、初期の頃は有田焼から鍋島焼、印判皿、豆皿集め、という、カメラの『レンズ沼』と同じの陶器の『沼』にはまりかけた。

ある時、『こんなに使わない数持っていて先々どうするの?』とハッとなり、このままだと収集も収拾がつかなくなりそうだったので、模様は『浜千鳥』に限定、鍋島焼のいいものを最終的に一点手に入れて、一旦休止とした。

浜千鳥のお皿たち

その後は、仕事でもある花をいけるために使えそうな『古道具』収集に移行していった。いわゆる『見立てる』ということで、古道具を他の使い方で蘇らせることが楽しくなった。
なぜか植物は、古道具と相性がいいと思う。

タライと何に使うかわからい容器にドクダミをいける

ここ数年の混乱で骨董市の開催が無くなったりで、その期間はネットでお気に入りのアンティークショップを見つけてはコツコツ集めていた。

  LeicaM4 / summaron / Kodak portra 400 2018年撮影

先週、『骨董市へ行ってみたい』という友人の誘いで、久しぶりに日曜日の会場へ向かった。
やはり、店主と会話しながらのお買い物はネットでは得られない情報や愉しみがある。楽しすぎて、中々先に進まず。
写真をバチバチ撮っている人もほとんどおらず。お客様皆さん目が泳ぎながらこれといったものを見つけたら、その前で真剣。
今回、久しぶりで私もこれといった会場の写真を撮っていなかった。

初めの頃に寄ったお店で、好みの『青錆』たっぷりの容器があり、『うーん』と唸っていたら、底に穴も開いていたし、汚れていたものだから、かなりのプチプラで譲って頂けた。これぞ、骨董市の醍醐味。

また、『後で買おうか』と思っていた店は『はて、何処のお店だったか』と戻りながらぐるぐると探し出すのに時間がかかった。
骨董市では、皆が思う素敵なモノは戻ってきたときになくなっていることが多いので、ピンときたものはすぐにゲットするのがお決まりだが、お目当てのものは、あまりにニッチだったのだろう。まだ売れてなくてよかった。

その他、最近古い『ボタニカルアート』が気になっていて、ちょうどそのお店があったので見ていたら、植物以外にも素敵なものが。
『鳥の巣と卵』がなんとなくシュールで絵になる一枚。
友人も気に入っていたことから、数ある同じ図鑑の色々な鳥の巣と卵のパターンがある中から、『今度家に見にきてね』と相談し、選び抜いた一枚。
自宅で木製のフレームに入れたら良い感じに収まった。

1865年の『鳥の卵と巣』の図鑑の1ページ

アンティークのリネンも100年以上前のベルギーリネンで味わいのある良いものを見つけられた。

ベルギーリネンとトマト

高価で珍しい骨董を収集することに満足感はあまりない。
かつて誰かか使った古道具を今の生活の中で使ってみること、つまり、過ぎ去った時間を感じながら、新たに命を吹き込むことに喜びを感じる。

骨董市の帰り、商品に沢山触れていたので、流石に手がザラザラした。
これも過ぎ去った時間の感触、というものなのだろう。

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