初盆と百合の花
父親が死んでいたのが見つかったのは2021年1月14日、検視によりその1週間前にはこの世界からいなくなっていたことがわかったので、今年は初盆ということになる。
私にとってお盆とは「母方の"おばあちゃんの家"に行くと親戚のおじさん達が食卓を囲んで酒を飲み赤い顔をしており女たちは台所脇の小さな部屋に集まって残り物をつつく」日だった。
そこに先祖が帰るとか鎮魂といった意味は子どもには見いだせなかったが、連絡手段は電話しかなく、それ以外に互いの近況を知るよしもなかった親戚が集まり無事を確かめ親交を深める装置でもあったのだろう。
(赤い顔をした酒臭いおじさん達がいやだったこと、年上の男性のいとこにいつもプロレスの技をかけられて痛かったけれど誰にも言えなかったことは今でもよく覚えている)
父は母方のこの集まりが苦手で、ほんの少し顔を出して申し訳程度に料理に口をつけてはいつもすぐに帰っていた。
核家族だったこともあり、その後もお盆という行事の意味があまり見いだせないまま実家を離れてしまった私に「今年は初盆ですね」と周囲から言われても何の実感もなかった。
そもそもコロナ禍でなくとも親戚が集まるという行事はここ数十年途絶えていたわけだし、何かしなければならないのだろうか、実家に僧侶を呼んでお経を上げてもらったりしなくちゃならないのだろうかと考えた末に、何もしないことに決めた。
形式的な行事が大の苦手だった父も、「そういうことはしなくていい」とたぶん言うと思ったから。
そもそも父を見送った浄土真宗の考え方では、人は死んだ瞬間に仏になるという。ご先祖様という形になり自宅に戻ってくるという概念もないわけだ。他の地域でおこなわれている提灯や迎え火送り火、ナスやキュウリで作る精霊馬をこの地域でほとんど見たことがないのはそういうわけだったかと初めて合点がいった。
ただ、普段は当番の人に電話をして鍵を開けてもらわなくてはならない地域の納骨堂が、お盆には開放されているというので墓参りにだけは行こうと思った。
東京で1人と6匹暮らし。実家に帰っても無人だし誰に会う予定もない。移動が厳しく制限されるご時世だけど、黙って実家に行き黙って墓参りするくらいは許してもらえるだろうと勝手に決めた。
実家から徒歩10分。新興住宅地となり新しい家ばかりが建ち並ぶ一角に、懐かしい見覚えのある景色があった。一本の木である。
幼い頃、"おばあちゃんの家"の周囲を遊んでいたときの目印になっていた木だった。この木が見えるとお寺さん。曲がると私の家。舗装された道やコンクリートで固められた小さな川に、私は確かにあの頃の自分を見て、川を流れるきれいな水と草いきれを感じた。
納骨堂で父のお骨の前に行き手を合わせて話しかけても、正直、父がそこにいるともどこかで仏になっているとも思えなかった。このまま実家に歩いて戻ると、「墓参りお疲れさん、アイスカフェオレ作っておいたよ」とニコニコしながら差し出してくれるような気がしていた。それでいいのだろうと思った。
実家では百合の花が1本だけ、空高く育ち花をつけていた。
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