きっとひとりじゃないんだよ
日常生活で、見知らぬ人や弱い社会的つながりしかない人々との会話や挨拶、感謝の言葉が多いほど生活満足度が高まるという研究結果が2023年11月に出たとき、実感と合うなあと思った。
研究では、例としてスーパーマーケットでレジ係に挨拶する、バスで隣に座る人と会話をする、庭の世話をしている隣人と話す、同じシフトで働いている同僚と会話する、毎朝コーヒーを買う店のバリスタと会話するなどの例が挙げられている。
実際はなかなか難しいことが多いかもしれない。バスで隣に座っている人に急に話しかけると、たぶん間違いなく変人と思われて警戒されるだろう。でもコンビニのレジで「ありがとうございます!」くらいは言えるかもしれないよね。そうしたら、相手もほんの少しだけニッコリしてくれるかもしれないし。
私は、あまりつながりのない人や見知らぬ人に話しかけることがけっこう多い。コンビニのレジの方やら宅配便を持ってきてくださった方、マンションのエレベーターに乗り合わせた方、ひとりで食事をしている時にたまたま隣り合わせた方などに、何か話しかけてしまう。
そしてその後はちょっとした幸福感が続く。
(もちろん、嫌そうであればそこで話をやめて引っ込むくらいの気は遣っている)
別の研究で、大学のキャンパスで行われた実験がある。この実験では、研究員が通りかかった人々と目を合わせるか合わせないかでどういう感情になるかを調べた。結果、目を合わせることで、人々は他者とのつながりをより強く感じ、目を合わせなければ、孤独感や排除感を感じたという。
小さな交流は、ひとつひとつは弱い蜘蛛の糸のようなものなんだけど、たくさんあると、それこそ蜘蛛の巣のようなセーフティーネットになるんじゃないかなという気がする。たった一過性のものであっても。
昨日、映画『PERFECT DAYS』について短い文章を書いたのだけれど、平山さんが淡々と生活しながら満ち足りているように見えるのは、決して親密ではないのだけれど、他者とのやり取りがたくさんあるからじゃないかなということも考えていた。
残念ながら世の中は良い人ばかりじゃないし、昨今、いろいろと悲しい出来事も多い。だから、いろんな人と小さな交流を持った方がいいかもしれないよと勧めるような結論を書くわけにはいかない。
けれど、実は、誰もが誰かにとっての蜘蛛の糸の一部になれるし、もうなっているかもしれないよね、ということが今日は言いたかった。
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