見出し画像

【短編小説】ドライフラワー②(第一章)

第一章
---①
山の頂にわずかに冠雪の残る春の日、彼女は高層ビルの建ち並ぶ街を幾つも越えて、私の住む片田舎へ静養にやってきた。
まだ若かった私は、絹のように白く、ガラス細工のように繊細な彼女にたちまち夢中になった。
思い描く理想に限りなく近い彼女の造形が、私の心を強く刺激したのだった。
久しく忘れていた、消えかけていた感情の脈動を確かに感じた。
当時、私は制作に若干の行き詰まりを感じており、理想を追求しようにもその理想が現実としての質感を全くもって伴わないものとなってしまっていた。
もしかしたら、本当に美しいものなどはこの世には存在しないのではないかと、私の考えは深い地の底を彷徨った。

彼女の存在はそんな私の暗闇に差し込んだ一条の光であるとも言えた。
都会の汚い煙を吸って育ったなどとは到底思えない程の透明感と汚れの無さは私に新たな活力を与えてくれた。
それと同時に心の奥底で考えてしまうのだ、彼女の美しさはその造形に起因するものなのだろうかと。
あるいはその中身が腐臭を放ってこそ、彼女は刹那的な魅力を持ち得るのではないだろうかと。
過去の経験から生じる疑念はいつまでも私の頭の中をグルグルと駆け回り出て行こうとはしなかった。
そして私はこう結論付ける。
彼女を愛することで、前述のどちらであったとしても最終的に私の求める答えにたどり着くことが出来るのではなかろうかと……

---②
「肌が弱いから」
そう語る彼女は、もう七月になろうというのに長袖の黒いワンピースを着ている。
袖からのぞく白い手は、もしや血が通っていないのではないかと疑いたくなる程に弱々しく細かった。
それを見て私は丁寧に塗り上げられた陶器を連想して恍惚となった。
「紫陽花が綺麗に咲いているのね」
山間のこの土地は気温が低く、七月の中旬まで紫陽花が花を付けている。
薄紫色の花に顔を近付けて彼女はその表情を崩した。

彼女が顔にかかる髪をよけた時にわずかにのぞいた首すじには、紫陽花と同じ薄紫色の痣が浮かんでいた。
体調が芳しくないのだそうだ。
先週末、彼女は東京の病院で治療を受けてきた。
私に対して彼女が自身の病状を詳しく語る機会は少ないが、春に初めて彼女を見た時と比較しても衰弱していることは明白だった。

その頃からであろうか。
私は少しずつ焦燥を感じるようになっていた。
もしかすると、彼女にはもう余り時間が無いのではないだろうか。
しかし、このとき私にはこの焦燥が一体何に由来するものなのかはっきりと見定めることは難しかった。
彼女との関係を進展させることに焦っているのか、あるいは結論を見出す前に彼女の完全性が揺らぐのではないかという不安によって生じるものなのか判然としなかった。
いずれにせよ、私には目に見えて弱っていく彼女の姿から幽玄と形容するに相応しいような魅力を感じ、一方で、残された時間はそう長く無いだろう、そんな無慈悲な確信を抱いていた。
そして、その確信は私の心の隅にいつまでも居座った。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?