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【掌編小説】歯車

「私は画家として後世に名を残したいとは考えていません」
彼女は鋭く言った。
「なるほど、評価や名声ではなく、自己表現としての作品を作っていらっしゃるということでしょうか?」
インタビュアーが少し気を遣った様子で言葉を選びながら尋ねる。
「んー、それも少し違いますね。どちらかと言えば歯車のように描かされている感じです」
「私は芸術家ではないので分からないですが、ミュージシャンの方とかがよくおっしゃってる、降りてくるみたいな感じでしょうか」
今では少なくなった紙タバコを吸える喫茶店で、目の前に座る画家の女性が気だるそうにタバコを喫む姿にインタビュアーはやや緊張した。
「いえ、当時は自分のテーマを探っていました。でも行き着いたテーマは過去に著名な画家たちが扱ったテーマと同じものだと感じています。その同じテーマを現代に生きる私が代わりに描いているだけです。私の絵は著名な画家たちが伝えようとしたものを形を変えて後世に伝えるための歯車なんです」

ははあ、とインタビュアーは理解したような腹落ちしていなそうな中途半端な言葉を発して、しばし沈黙した。

インタビュアーは嫌な汗をハンカチで拭いながら続けた。
「そうすると、過去の偉大な画家たちが描いたテーマを現代に接続するための歯車的な役割が先生の作品という解釈でよろしいですか?」
「そうですね、画家に限らずですが、それが一番近いと思います」

そこからも少しずつ、テーマを掘り下げるような質問をして粘ってはみたもののこれといった成果を得られなかったインタビュアーは肩を落としつつ、喫茶店の会計を行った。

駅までの道を雑談しながら歩いていると、画家の女性が不意に立ち止まった。
ガラス張りのオフィスエントランスの奥側の壁に一枚の絵が飾られていた。

中世の庶民の生活を描いた一枚の絵。
おそらく複製画であろうとインタビュアーは思った。
それと同時に、先進のAI技術を提供する企業のエントランスにはおよそ似つかわしいとは思えない絵だと感じた。

「ああいうことです」
彼女は絵を指差して、初めてインタビュアーに笑顔を見せた。
「え、どういうことですか?教えてください」
笑顔を見せてくれた画家に対して、先ほどより少し砕けた調子でインタビュアーが尋ねる。
「あの絵は中世ヨーロッパの事実を描いてます。目の前にあるこのビルは今の生活の実態です。失われたものはなんですか?命ですか?中世の文化ですか?」
「ええっと」
インタビュアーは思考の整理が追いつかず、言い淀んだ。
「人がいて、生活がある。それだけなんです。現代も中世も何も変わっていません。変わったの世の中ではなくて個人です。気付かないだけで、失われたものなんてないんです。だから私は歯車になろうと決めたんです」
「ずっと昔から続く人の営み、そしてそれを描いたもの。現代まで普遍的に続く生の営みを伝えるための歯車ということでしょうか?」
彼女がふふっと笑う。
「あなたいくつだったかしら?私よりずいぶん若いわよね?」
「35です」
「そう、じゃあ私より20歳以上若いのね。私が死んだら、私の絵を見てちょうだい」
「え?死んだら?」
インタビュアーの戸惑いをよそに、彼女はひらひらと手を振ると地下鉄へ続く階段を降りていった。

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「サポートが必要ですか?」
東京都が設置した見回りAIが文化公園内にあるベンチに腰掛けた老人に尋ねる。
「大丈夫。ありがとう」
「体調にお気をつけて、ごゆっくりお過ごしください」
見回りAIは老人を敬う言葉を掛けると、小さなモーター音をさせてどこかへ移動していった。

老人は目の前の全面ガラス張りのドーム型の建物を見つめる。
視線の先にはドーム内の広いエントランスホールがある。
パイプオルガンのように聳える受付カウンターの背後の壁には大きな一枚の絵が飾られていた。
電車の中で紙タバコを吸う女性と、その隣りに座って赤ん坊に乳をあげる母親が描かれていた。

それは本当に「ただ描かれている」だけだった。
善でも悪でもなく、まして何かを訴えようとしているわけでもない。

無意識のうちに老人の目から涙が溢れた。
老人はベージュのスラックスにできたシミをポケットから取り出したハンカチで隠した。

「どうか大きな物語が途切れないように」という遺言を残して、昭和を代表する画家として著名な、この作品の作者は10年程前に亡くなった。

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