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天国までは範囲外


別に競争しているわけじゃない。
そう言い聞かせてはみるものの、ただなんとなく気にかかるのは確かだった。

いつもの配達エリアを自慢のロードレーサーで疾走していく。
ハンドルに設置したスマホにちらりと目をやって、目的地を再度確認する。
到着まであと5分ほどだろうか。

俺は配達を生業としている。
配送業者に登録し、アプリを使って連絡を受け取り、店から客まで食事を届けるのが仕事だ。

元々は自転車レーサーを目指していたのだが、膝の怪我でやむなく引退。そうは言っても自転車乗りは諦めきれず、そんな俺にとって一日中自転車に乗っていられるこの仕事は天職のようなものだった。

その時、俺の横を、ひゅっ、と走り抜ける姿が目の端に映る。

またあいつか。

そいつはこの頃よく見かける同業者だった。
でかでかと配送業者のロゴが入っているバックパックを背負っているから、同業者は一目でわかる。活動するエリアが同じなのか、ちょくちょく遭遇することが多く、気にかかる相手だった。

あんなに飛ばして、よくスタミナ持ってるな。

いくら自転車に乗っているとはいえ、この炎天下はやはりきつい。
意識して栄養と水分を補給しないと、すぐにばててしまうし、下手をすれば倒れてしまう。だから俺は仕事中はスポーツドリンクとエネルギーバーのストックを欠かさない。常に自分の自転車ラックにはドリンクを入れておくようにしてあるのだが、奴の自転車を見るとラックはあるものの、ドリンクを入れてあるようには見えなかった。
そのくせそこそこスピードに乗っている状態の俺を軽く追い抜いていく。

別に競争しているわけじゃない。
そう言い聞かせてはみるものの、ただなんとなく気にかかるのは確かだった。

時たま、料理を受け取るために店についてから、配達する料理を受け取るまでに待ち時間が発生することがある。
そんな時に同業者とばったり鉢合わせすることもよくある話だ。

そういった場面では、俺は意識して情報交換をするように心がけている。
そんな雑談の時に、さっき見た奴のことがふと話題に上がった。

「そういえば最近よく見かける奴がいるんだけどさ」

そう言って俺は奴の特徴を述べる。

「……それ、最近の話?」

同業者の反応は意外なものだった。てっきり相手も話にのってくるかと思ったら、怪訝そうな顔でこっちを見てくる。ついさっき見かけたばかりなのでそう言ってやると、いよいよ相手は顔を青くしはじめた。

「……いや、嘘だろ。だってそいつ、この前事故にあって亡くなったはずだぜ」

いやまさか。だってさっき見かけたばかりだぞ。更に詳しく話を聞こうとしたところで、折悪しく料理の準備ができてしまった。話を続けたいところだったが、仕事が優先だ。俺は料理を受け取ると、バックパックに入れて客の所へ向かう。

今回の配達先は、かなり古びたマンションだった。郵便受けを見ると、一か所を除いてすべて目張りがされている。掲示板には、『8月末より取り壊し予定』と張り紙がされていた。つまりまだこのマンションに残っているのは俺の配達先の一部屋だけということらしい。
内張りがはがされて壁面が剥き出しのぼろいエレベータで6階へ向かう。
ゆっくりとエレベータが上昇するあいだ、俺はなんとなく扉の向こう側を眺めていた。このエレベータはドアがガラス張りで各階の様子が目に入って来る。確かに人気はなく、誰もいないようだった。
だが、5階のフロアを通り過ぎるときに、ちらりと見えたものがあった。

え?と思う間もなく、目的の6階に到着する。まずは仕事だ。俺はそう言い聞かせて目的の部屋のチャイムを鳴らした。
料金は既にアプリ経由で払い込み済みなので、俺のやることは料理を手渡すことだけなのだが、部屋から出てきた金髪の姉ちゃんに俺は念のため聞いてみる。

「この建物って、住んでいる人他にいるんですか?」
「えー、居るわけないじゃん、こんなボロマンション。アタシも今月中に出てけって言われておカネないから粘ってるだけだもん」
「ですよねぇ」

何がですよねなのかは自分でもよく分からなかったが、このマンションに人が住んでいるのはこの部屋だけだということは分かった。
しかし、そうするとさっき見たものは。

俺は配達を終えるとエレベータに乗りこむのをやめ、階段で一階分下に降りる。廊下をそろそろと覗き込むと、そいつはいた。廊下にぽつんと、同じロゴのバックパックを背負った男が一人佇んでいたのだ。

あいつだ。

俺はゆっくりと近づくと、「おい」と声をかける。振り向いた奴の顔は青白く、生気のない顔をしていた。
奴は無言でこちらにボロボロになったスチロール製の弁当パックを差し出してきた。何を言うべきかは分からなかったが、思わず口から出てきたのは「……受け取りました」の一言だった。

すると満足そうにうなずいてから、奴は階段を無言で降りていった。
俺は呆然としたままその場に立ち尽くす。

……そうか、届けられなかったのが無念だったのかもしれないな。責任感の強い奴だ。

俺はなんとなく清々しい気分になると、そのマンションを静かに立ち去ったのだった。



それで終わると思っていた。

思っていたのだが、その日以降も奴を見かけることがあったのだ。おまえ、満足したんじゃないのかよ。
恐ろしさよりも親しみの方が勝るようになっていたから、見かけても恐くはなく観察する余裕もあった。それで気がついたことがある。
奴は移動するスピードは速いものの、しょっちゅう首をひねりながら走っているのだ。

……おまえ、もしかして道に迷ってるんじゃないだろうな。

天国へのルートも迷っているならお笑い草だが、あいにくとそこまで俺が案内してやるには、せめてあと50年は欲しいところだ。
俺が案内してやるのが先か、あいつがルートを見つけるのが先か、どっちが早いのかは分からんが、まだしばらくはこの街をうろうろするあいつの姿を見かけることになるらしい。

スマホのナビにも天国へのルートは載ってないからなぁ。俺は奴を見かけるたびに、小さくため息をつくのだった。

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