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【ショートショート】最後のマスカラ

 それはまるで、荘厳な儀式のようだった。
 老女が一人、鏡に向かって化粧をしている。その背筋は凛と伸びて、自らと対話をしているかのようにも見える。
 彼女はマスカラブラシを目元に近づける。まつげの根元に数秒当て、毛先に向かって左右に小刻みに動かす。慌てず、焦らず。まつげの一本一本を漏らさず塗りきるようにしてしっかりと仕上げる。作業が終わると、小さくまばたきをして満足そうに頷いた。
 ちょうどそのタイミングで白衣を着た女性が部屋へと入ってくる。格好を見るにどうやら医療従事者のようだ。彼女は老女に話しかける。
「これが最後のマスカラですか」
「ええ、そうなるわね」
 老女の表情に寂しさはない。
「なにしろ明日の美容処置が終われば、バイオテクノロジーでまつげのボリューム選び放題だもの。マスカラを塗る作業はそれはそれで楽しいけれど、煩わしく感じるときもあったし。良い時代になったものだわ」
 老女はそういって楽しそうに笑ったのだった。



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