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【短編小説】腸詰奇譚 5話

女給の行方

結局のところ、乱歩と丸山、定子の三人の奇妙な銀ブラにどんな意味があったのかはかりかねたまま、定子は銀巴里で働き続けていた。何があったとしても生活はしなければならない。その後しばらく乱歩は銀巴里に姿を見せず、丸山もまるであの日の出来事が無かったかのように淡々とステージに立ち続けていた。

乱歩が再び銀巴里に姿を見せたのは、奇妙な銀ブラの日から三週間ほどたった日のことだった。今度は一人で銀巴里を訪れており、ステージで歌い終わった丸山を呼び寄せると、彼から何かの封筒を受け取った。その後に二人のいるテーブルに定子が呼び出されたのだった。

「やあ定子くん。しばらくぶりだね。すっかり夏の盛りも過ぎてしまったものだ」

「はい。先生もお変わりなさそうで」

答える定子に乱歩は封筒を差し出す。定子が受け取ると開けるようにと促された。中から出てきたのはタイピングされた一通の手紙だった。

差出人はなんと良美からだった。

驚きを隠せないまま、定子は手紙を読み進める。そこには良美が米兵と結婚すること、相手の米兵が日本駐在の任務が終わるために彼と一緒に日本を去ること、そして心配してもらったことへのお礼が書かれていた。驚きから抜け出せないままに定子は乱歩に尋ねる。

「一体どういうことなんですか。良美姉ちゃんは生きていたんですか。結婚するってどういうことなんですか」

「まあ落ち着きたまえ。まず、この手紙は丸山くんが米兵の将校から預かってきたものだ」

言って乱歩はちらりと丸山を見る。丸山は無言で頷いた。

「その将校は君があの日の夜に見た米兵の上官でね。そしてその米兵が良美くんの良人おっととなる男なのだ」

いまだに混乱の中にいる定子に乱歩が説明したところによると、くだんの店で良美と出会った米兵は、良美の境遇、つまり女衒ぜげんに騙されてカフェーで働かされていることを知って、あの夜に店から良美を救い出したということだった。誰かに見られてはまずいとひと一人隠れられるサイズのバケツに身を潜めてもらい、バケツごと店から連れ出す。定子が聞いた小さな悲鳴は、バケツごと持ち上げられた際に驚いて思わずこぼしてしまった悲鳴ということらしい。

なぜわざわざそんな回りくどいことをしたのか、米国の権力でもって件のカフェーを検挙してしまえばよいのではないかという定子の問いに、これはまだ秘密のことだから絶対に口外無用なんだがね、と念を押してから乱歩が語ることには「どうも今年の秋には講和条約が結ばれて日本の主権が回復するらしくてね。その前に米兵と日本人とのいさかいは極力表沙汰にしたくないそうなんだ。それに……」

それに、と丸山が乱歩の言葉を引き継いで話す。

「どうやら多くの米兵さんたちがあの店に入り浸っていることを知られたくないみたいね。まあ確かにあの店の兵隊さんたちはあまりお行儀がよろしくなかったわ。ふふ」

そう言ってうっすらと笑う丸山が、あの日店の表側で米兵相手にどう立ち回っていたのか、結局定子は聞くことは出来なかった。

その年の九月、乱歩が定子に告げたようにサンフランシスコ平和条約が成立し、日本は主権を取り戻した。あの日以来、良美は定子と連絡を取ることは無く、そもそも良美が米国のどこにいるのかまで定子が知ることはついぞ叶わなかった。

<続く>


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