ケムリクサ


「あ」

喫煙所のドアを開けて入ってきたのは、偶然にも彼女だった。

「久しぶり」

彼女は軽く片手をあげてこちらに挨拶しながら、ハンドバッグから煙草とライターを取りだした。先客の僕は小さく頷いて彼女に挨拶を返す。彼女は真っすぐこちらに近づいて以前のように僕の隣にしゃがみこむと、こちらを見上げて言ってくる。

「煙草」
「え?」
「電子にしたんだ」
「ああ。最近だと電子オンリーの喫煙所もあるし」
「へえ。あんなに電子だと吸った気がしないって言ってたのに」

そう言いながら彼女はライターを何度もカチカチとするけれど、ガスが切れてしまったのか一向に火が点く気配はない。

「火。……電子だと持ってないか」
「あるよ」

僕は胸ポケットからライターを取りだして彼女に手渡す。彼女は艶やかな新品のリングが光る指先でライターを受け取りながら、目を細めてこちらに言ってくる。

「なんでライター持ってんの」
「や、まあ別に」
「どーせ相手に隠れてこっそり外で吸ってるんでしょ」

くすりと笑いながらそう話す彼女に僕は沈黙で答える。買ってからまだあまり使っていないライターは、すぐに火がついた。

「ん」

煙を燻らせながら彼女が返してきたライターを受け取るついでに、何となく聞いてみる。

「相変わらずメンソール?」
「そ。でも吸う量はちょっと前より減ったかも」
「じゃあ太った?」
「なんでよ」
「やめると太るっていうし」
「むしろ痩せました。スタイル良くなったよ」
「ふーん」

興味なしを装ってそう答える。きっともう目にすることもないだろう。

しばらくはお互いが煙を吐き出す吐息だけが、喫煙所に揺蕩っていた。

柔らかな沈黙。

コンコン、と喫煙所の曇りガラスが外からノックされる。映るのは僕よりも少し背の高い影。彼女はくしゃり、と空になった煙草の箱をつぶしてポケットに突っ込むと、勢いよく立ち上がり煙草を灰皿でもみ消して出ていった。
ゴミをきちんと持ち帰るというところと、灰皿に吸い殻を落としきれてないところは昔のままだった。
薄く口紅のついたフィルター。
僕は吸い殻を摘まむと、口紅がついた部分をちょっと見つめてから、灰皿に落とした。

吸殻がぎっしりと詰まった灰皿の中では、それだけでもうどこに彼女の吸い殻があるかは分からなくなった。

甘ったるい味のする電子煙草をもう一本箱から取り出してから、口をつけずにしばらく佇む。喫煙所の中には彼女の吸った煙草の煙がまだほのかに漂っている。

二人とも紙煙草を吸っていた時には分からなったけど、こんな匂いがするのか。今になってようやく、それを感じられるようになった。

「……今さら、だけどね」

僕はそう独り言ちると、取り出したままの電子煙草を再び箱に戻す気にもなれずにそのまま灰皿に捨てて、一人、喫煙所を出ていった。

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